第二十話 ミーア姫、鍋について哲学的考察を始める……
浜辺をのんびり歩いて戻ってきたミーアは、女子寮に着くなり、ふぅうっとため息。
「ううむ……。すっかり汗をかいてしまいましたわね」
秋に入り、涼しさが勝っているとはいえ、さすがに、不安定な足場を長く歩けば、体も温まってくる。
「会議の疲れを洗い流すためにも、夕食の前に大浴場に行きたいですわね」
「はい。わかりました。すぐに準備をいたしますね」
「ああ。アンヌ、別に急ぐ必要はありませんわ。転ばぬよう、足元に気をつけて」
「もちろんです。ミーアさ……きゃあっ!」
などと、かしましく準備をして後、ミーアとアンヌは大浴場へとやって来た。
アンヌに手伝ってもらって、ひょひょひょーいっと服を脱ぎ捨ててから、ミーアはサクサクと浴場へ。っと、そこには、先客がいた。
「はて……あれは?」
浴槽を覗き込むようにしている少女、黒く、いささかもっさりした髪をしたその少女は……。
「クロエ、あなたも、これからお風呂ですの?」
声をかけると、少女は、ビックリした顔で振り返り……ずずいっとミーアに顔を寄せて……。
「あ、ミーアさま……」
ようやく気付いたのか、ホッとした顔をする。
「ふふふ、眼鏡かけてないと、ちょっと印象が変わりますわね」
普段は、賢そうに見えるクロエが、ちょっぴりポヤーっとした顔に見えて、ミーアはふふふ、っと笑みを浮かべ……。
「それで、なにをしておりますの? 普通にお風呂、という感じではありませんけど……」
「ええ。実は、新しい入浴剤を試してるんです」
クロエは、小さく笑みを浮かべて言った。
「あら? そうなんですのね……。でも、それならば、なぜ、そんなにびくびくしているんですの? あ! まさか、ラフィーナさまに内緒で……?」
「いえ。一応、ラフィーナさまにも許可を取っているのですが、それを、入ってきた方にいちいち説明するのも、どうなのか、と思ってしまいまして……」
「ああ。なるほど。変に言い訳っぽく聞こえて、お風呂によからぬ悪戯をしようなどという、けしからんやつだと思われてしまいそうですわよね」
かつて……大浴場にキノコを浮かべようとしたけしからん姫は、そうして、肩をすくめるのだった。
「そんなわけで、できるだけ、手早く、こっそりと入れて試してみようと思っていたところなんです」
「なるほど。ちなみに、今回のはどんな入浴剤なんですの?」
ミーアは、早くも、クロエの持つ瓶に興味津々だ。
「これは、少し岩塩を混ぜたもので……」
「ほほう……塩を……それには、なにか意味がありますの?」
「はい。体の疲れが取れる効果がある、という触れ込みで」
「なんと……そうなんですのね。それは楽しみですわ」
などと言いつつ、ちゃちゃっと体と髪を洗うミーアwithアンヌ。
そうして、浴槽に身を沈めたミーアは、おふうっと、いささかアレな声を出す。
「なるほど……。なんだか、こう、じわりと沁みてきますわね。とてもいい感じですわ」
ぐぐいっと体を伸ばしつつ、ミーアは微笑んだ。
「しかし、塩が入浴剤になるなんて、変わってますわね……。うふふ、なんだか、ガレリア海で泳いだ時のことを思い出しますわ」
「ミーアさま、海で泳いだことがあるんですか? あの、危なくはありませんか?」
「全然ですわ。やってみると、意外と簡単ですわよ?」
下弦の海月は、そう得意げに笑って……。
「まぁ、海のほうがしょっぱくて、目に染みるということはありますけど、それ以外は大したことありませんでしたわね」
それから、ふと、思い出したように小首を傾げた。
「それにしても、不思議ですわ。塩水と、そうでない水とで、生きられる魚の種類が違うだなんて……」
「え……と、どういうことですか? ミーアさま」
「そのままの意味ですわ。塩を含んだ海水で生きている魚は、湖や川では生きられない。反対に、湖や川で生きている魚は、潮を含んだ海では生きられない」
ミーアは、先ほどオウラニアから聞いたことを、そのままクロエに話した。
「人は平気なのに、水に親しんでいる魚はダメだなんてよくよく考えるととっても不思議。いえ、水に親しんでいるからこそ、なのかしら……」
じんわーり、とお湯で体を温められて、ぽーっとした頭で、どうでもいいことをつぶやくミーア。あまりに、ぼおんやーりとしていたものだから、彼女は気付いていなかった。
そばで、クロエが、実に真剣な顔をしていることに……。
気付かずに……ミーアの思考は、さらにしょうもないほうへと向かって行く。
――不思議と言えば、なぜ、わたくしは、お湯に浸かっていても、鍋料理になったりしないのか……。お野菜と一緒に入っていないからかしら? もしかすると、お野菜やキノコと一緒にお風呂に入れば、わたくしも鍋料理になってしまうのかしら……? おお、これは、なかなか、哲学的な問いですわね……。
なぁんて、もっのすっごーく! どうでもいいことを考えるミーアのかたわらで……。
「塩水では生きられない魚……。環境の変化で生きていられる魚と、死んでしまう魚がいる。確かに、不思議……」
クロエは、なにやら、考え込むようにして、唸り声を上げる。
「不思議と言えば、先ほどノエリージュ湖では、とっても大きな魚を見かけましたけど、あれだけ大きくなるのに、どのぐらいの時間がかかるのかしら……? 思えば、魚について、わたくし、まったくなにも知りませんでしたわ」
ううん、っと体を伸ばしつつ、ミーアは思う。
――あの大きさであれば、なかなか食べがいがありそうですし……。鍋料理にしても、焼き魚にしても、おいしそうでしたわね。うふふ、考えていたらお腹が空いてきましたわ。
湯船にもたれかかり、ポヤーっとするミーア。クロエは、それを真剣なまなざしで見つめていた。