第十八話 ミーアエリート・ルーキー!
特別初等部には、十歳の年長組が四人と、七、八歳の年少組が三人在籍している。
その年長組の四人の中で、最も勉強ができるのは、ヤナでもカロンでもパティでもなく……もう一人の少年ローロだった。
ローロは、レムノ王国の孤児院出身だった。
他の子どもたちと大差ない貧民街で生まれ、相応に苦労して、孤児院へとたどり着き、そうして、セントノエルにやってきた。
同じ孤児のカロンは、セントノエルで金目の物を盗んで、自分だけでも生きていけるだけの金を得ようとしたことがあったが、ローロも根っこの部分では同じだった。
貴族なんて信用ならない。いつ捨てられるかわからない。
だから、自分一人でも生きていく力が欲しい、と、そう思っていた。
そうして、彼は、勉強に力を入れた。
セントノエルの高度な教育によって、自分一人でも生きていけるだけの力を得ようと努力したのだ。
けれど、あの日……。
銀の大皿が盗まれた時……目の前の皇女殿下は言ってくれたのだ。
心配することはないと。
あなたたちが何者であっても……たとえ力のない子どもであっても、その全存在を受け入れよう、と……。
全校集会でのミーアの言葉は嬉しかった。あんなことを言われたのは、無条件にすべてを受け入れてもらったのは、はじめてだったから。
とても嬉しくって……だから、夏休み……。
ミーアがパティたち三人を連れて帝国に帰った時、「嫌だな……」と思ったのだ。
パトリシアはミーアと特別な知り合いのようだから、仕方ないとしても、ヤナとキリルは、どうか?
どうして、あの姉弟がついていくというのだろう?
あの二人は、特別な存在なんだろうか?
思考はネガティブな方向へと進んでいく。
もしかして、あの日の、全校集会での言葉は……自分ではなく、パトリシアや、ヤナとキリルの姉弟にだけかけられたものではなかったのか? と。
だからまるで、その想いを見透かすように、ミーアが、
「あなたたちも……」
と言ってくれたことが嬉しかった。
ヤナたちだけじゃなく、あなたたちのことも、きちんと気にかけているよ、と言われて嬉しかったのだ。だけど……。
――本当、かな……?
その言葉は、無条件に信じるには綺麗すぎたから……。彼は、どうしても信じ切れなかった。
なぜなら……彼は以前、そんな都合のいい、綺麗な言葉に騙されたことがあったから……。
それは、三年前、レムノ王国を襲った革命未遂事件でのこと。
ローロは、とても綺麗な言葉を話す青年と出会った。
青年の名前はランベール。革命軍を主導した男だった。
「王が我々になにをしてくれた? 我々を殴りつけ、搾り取れるだけ搾り取るだけではないか! 我々は暴虐なる王を打ち倒し、自由を手に入れるのだ!」
その言葉は耳心地よく、ローロの心を明るくした。
話の中身は、わからないこともあったけど、それでも、この人についていきたいと思って……ローロは革命派の仲間になろうとして……。
そこで、彼は思い知る。
革命派の中でだって……孤児は、踏みつけにされ、殴りつけられ、支配される立場だと……。
結局は、なにも変わらなかった。
ランベールが言うような、夢のような世界など、なかったのだ。
もちろん、あの男とミーアとを比べることはできない。実際に助けの手を差し伸べてくれたミーアと、言葉だけだった彼とを比べるのは、とても失礼なことだ。
けれど、同時に思ってしまうのだ。この温情だって、今だけではないか、って。
しょせんは、持っている者の、気まぐれに過ぎないんじゃないかって……そんな不安はどうしても拭えなくって。だから……。
「……話を聞いてくれたって……なにもしてくれないかもしれないんじゃ、意味がない」
つい言ってしまったのだ。
――そうだ。この姫殿下の耳心地の良い言葉だって……誤魔化しに過ぎないんじゃないか? 結局のところ、この人だって……。
ローロは上目遣いに、ミーアを見つめた。
「僕たちの話を聞くことに、どんな意味があるって言うんですか?」
――む、むぅ……なかなかに、答えづらいことを言われましたわね……。
ミーアは、その少年に、一瞬、たじろいだ。
それから改めて見ると、彼は、割と知性的な顔をしていた。しかも、なんと、その顔にはメガネがあったのだ!
どことなく、ルードヴィッヒを彷彿とさせる雰囲気があるような気がする。それも、クソメガネのほうのルードヴィッヒだ。
――ふむ、このミニクソメガネみたいな子、わたくしの揚げ足を取ろうだなんて、なかなかに小癪。けれど、負けてはいられませんわね……。
ミーアは、ふん、っと鼻を鳴らす。それから、刹那の黙考。その後、結論を出す。
――もしも相手がミニクソメガネみたいな子でしたら、口先だけで誤魔化すのは、むしろ逆効果……。ここは、お姉さんの経験談を交えて、実感のこもった言葉で言いくるめるのが良いのではないかしら?
そうして、ミーアはゆっくりと口を開いた。
「まず、言っておきたいのですけれど、わたくしは、全知全能の神ではありませんわ。残念ながら……。欠けの多いただの人間に過ぎない。だから、あなたたちの求めが、真に必要なものであったとしても、それにすべて答えられはしませんわ」
前の時間軸、それは嫌というほどわかっているミーアである。
瞬時に、腹を空かせた民衆すべてに食べ物を用意することなど、人の身においては不可能。それができれば、一番良いのかもしれないが、それは不可能なことなのだ。
「実際に神さまが来て、直接、統治してくれたらどれだけいいか、と思うばかりですわ」
冗談めかした口調で言ってから、ミーアは続ける。
「でも、そうはならない。だから、当然、不足はあるし、失敗することだってあるでしょう。あなたたちの願いに対して、上手く答えを見つけられないことだってあると思いますわ。ただ問題は『完璧に上手くいくこと』と『最悪の結果』との間には、広い幅があるということですわ」
ミーアは思っている。
民の不平不満を一切生み出さないような善政を敷くことは、自分には無理だろう、と。
ゆえに、ミーアが目指すのはそこではない。
――革命が起こらない程度で、そこそこみんな幸せになってくれれば……。最低限、飢え死にしたりせず、どんな時も、そこそこに美味しい物を食べられる……。わたくしにできるのはこのぐらいですわ。
静かなる確信を胸に、ミーアはローロを見つめた。
「わたくしは、完璧なことはできない。たとえ、あなたたちの願いを聞いたって“あなたたちがもらったら心の底から嬉しいもの”は与えられないかもしれない。でも“もらうとちょっぴり嬉しいもの”だったらあげられるかもしれない。“されたらちょっと嫌だな”と思うことはしてしまうかもしれないけれど“絶対にしてほしくないこと”は、しませんわ。だからこそ、あなたたちの声が聞きたいんですの。だって、聞かなければわかりませんわ。他人の気持ちと言うものは」
それは、耳心地の良い綺麗事ではない。
ミーアの本心からの言葉だった。
「この答えでは、不足かしら? ローロ」
ミーアに名を呼ばれ、少年……ローロはピクンッと肩を揺らした。
「僕の、名前を……」
驚きに目を見開くローロに、ミーアは、
「もちろん覚えておりますわ。うふふ、パティからも、ヤナたちからも、いろいろと聞いておりますわよ? あなたたちの普段のこと。あなた、とっても勉強を頑張っているそうですわね」
すかさず、牽制がてら、軽くヨイショを交える。
人は褒められれば嬉しいもの。これで、ミーアの答えに多少文句があったとしても、許したくなるはず……。
――やれやれ、これで、なんとか誤魔化せたならいいのですけど……。
などと思うミーアであったが……。
さて、基本的にミーアは、ミーアエリートなる集団を作りたいとは思っていない。
自分の言うことを、なんの疑いもなく聞くような人材は、ちょっぴりアブナイんじゃないか、とすら思っている。
そんなミーアは知る由もなかった。
「ミーア姫殿下……」
その少年、ローロの心に、深く、揺るぎのない忠誠の心が芽生えつつあることなど……。
かくて、無意識に、新たなるミーアエリートをスカウトしてしまったミーアなのであった。