第十六話 ミーア姫、避暑地のお姫さまっぽい雰囲気を出してしまう
セントノエル島には、いくつか湖に臨む浜辺が存在している。
辺り一面に広がる白い砂浜に、さく、さくと音を立て、一人の少女が歩いていた。白金色の髪が湖から吹いてくる風に踊り、陽の光にキラキラと輝いた。
なびく髪を片手で押さえつつ、ふぅっと憂いを帯びたため息……。湖の向こう側を見る青い瞳には、切なげな色が映り……一応、念のため誤解のないように言っておくと、ミーアの描写である。
さながら、避暑地にやって来た、良いところのお姫さまと言った風情を醸し出しているミーアの描写なのである。ミーアだってやる気を出せば、このぐらいはできるのだ。
……もっとも、ミーアは間違いなく、良いところのお姫さまなわけで、頑張らないとこのぐらいの風情が出せないことのほうが、むしろ問題なのかもしれないが……。それはともかく。
議長として、生徒会の話し合いを導き、適切な場所でヨイショを入れ(途中からやや適当になってきてヨッコイショになっていたかもしれないが)……、そうして、ちょっぴり疲れた心を癒すため、ミーアは湖にやってきていた。
夏を過ぎ、秋が深まりつつある今日この頃、穏やかな風には、わずかばかり、冬の寒さが感じられた。
「風が、気持ちいいですね、ミーアさま……」
後ろからついてくるアンヌが、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「そうですわね……。もうすっかり秋。食事がとっても美味しい季節になってきましたわね」
天高く、姫肥える秋……。寒い冬に向け、たっぷりといろいろなものを蓄えておくべき季節である。
最近、なにを食べても美味しく感じてしまうことに首を傾げていたミーアであったが、先日、クロエから説明されて、なるほど! と手を打ったものだった。
冬に向けて蓄えなければいけない。だから美味しいのだ!
では、春と夏は食事が美味しくないのか? と疑問が浮かんできそうなものではあるが、そんなこと思いもしないミーアなのである。
秋は、冬に向けて蓄える時期。だから、仕方ないのだ! F.N.Y(証明終了!)
「ところで、アンヌ……誰かと仲を深めたいと思った時には、やはり、イベントごとが大切だと思うのですけど、どうかしら?」
ミーアは、ふと忠臣に、そんな問いを投げかけてみる。
オウラニアと仲良くなるためのイベント案は、結局、生徒会で募ることはできなかった。
共同研究の話し合いが想定以上に盛り上がってしまったため、切り上げ時を失ったのだ。
――まぁ、あれはあれで大切なことですし、結論は出なかったものの、充実した話し合いになりましたわ。
ラフィーナの手前、イベント事のために、有意義な議論を打ち切るのは、気が引けたミーアである。ということで……、ミーアは忠臣かつ軍師であるアンヌに相談事を持ち掛けたのだ。
「仲を深めたい……」
その言葉に、アンヌは顎に手を当て……ピンっと来た顔をした!
「ええ。そう。そのきっかけには、大きなイベントが有効だと思うのですけど……」
「そうですね。そう思います」
アンヌは生真面目な顔で頷く。その顔は、紛れもない、恋愛大都督アンヌの顔であった。今だったら、わずかな手勢で大水軍を迎え撃てそうなアンヌである。
「そこで、せっかくですし、秋らしいイベントを企画しようと思っておりますの」
「……なるほど。素晴らしいアイデアだと思います。ちなみに、どのような?」
「そうですわね。まず、食欲の秋ということで、森にキノコ狩りに……」
っと、キースウッドに却下されたアイデアを口にするミーアであったが……。
「それは、やめたほうがいいと思います」
アンヌ、きっぱりとした口調で否定する。
「なっ、なぜですの? アンヌ、あなたまで、どうして……?」
アンヌよ! お前もか! っと、裏切られたような顔をするミーアに、アンヌはこんこんと説明する。
「キノコ狩りでは、二人きりになりづらいと思います。それに、ミーアさまは、キノコ狩りに熱中しすぎて、仲を深めることが疎かになる可能性もあります」
「むぅ……なるほど。言われてみれば、そうかもしれませんわ……聞くべき点がありそうですわ」
忠臣の言葉には、さすがに耳を傾けざるを得ないミーアである。
「では、アンヌ、あなたは、どのようなものが良いと思うのかしら……?」
「そう……ですね。馬の遠乗り……あるいは、ダンスなどが……」
と言いかけたところで、アンヌは、言葉を呑み込んだ。
「普通……。普通は、駄目ってエリスが言ってた……」
「普通は……だめ?」
ミーア、その言葉に、思わず唸る。
――普通はダメ。なるほど、それは、なかなかに含蓄のある言葉ではないかしら……。
乗馬やダンスは、ミーアにとっては慣れ親しんだ『普通』のことだ。楽しさが容易に想像できるから、企画も立てやすいし、誘いやすくもある。
けれど……それは、オウラニアにとっての『普通』ではないかもしれない。
乗馬はともかく、普通に考えれば、姫というのは幼き日より、ダンスに親しんでいるもの。されど、それは、あくまでもミーアの常識、相手の常識ではないかもしれない。
普通、甘い物は好まれる……それがミーアの常識にすぎず、オウラニアには通用しなかったように。
あるいは「普通、高価なプレゼントは相手を喜ばせる」という常識が、ミーアの常識にすぎず、前時間軸のラフィーナに通用しなかったように。
「考えてみれば……慣れない土地にやって来た人に対してすべきアプローチは、こちらの『普通』を押し付けることではなかった。もっと親しみのある、それこそ、彼女の故郷を思わせることを……なにか、考えてやるべきなのでは……」
っと、アイデアが固まりかけた、その時だった。
「ミーアさま、あれ……」
アンヌが指さす先、子どもたちがやってくるのが見えた。
「これは、ミーア姫殿下。ご機嫌麗しゅう」
特別初等部の子どもたちを引率していたユリウスが頭を下げる。
「ユリウス先生、ご機嫌よう。どこかに、お出かけだったのかしら?」
ミーアの問いかけに、ユリウスは子どもたちのほうに目を向けながら……。
「実は、セントノエル島の浜辺に住む生き物を子どもたちに見せたいと思いまして……」
「なるほど。それは大切なことですわね……」
ミーアは感心する。どこにどんな生物が住んでいて、なにが食べられるのかを知ることは、水を得る方法と同様、生存術の大切な知識であるからだ。美味しい食べ物があるかもしれないのに、それを知らずにいることは、とても不幸なことなのだ。
「良い授業をしておられますわね。ユリウス先生」
「お褒めに預かり恐縮です」
頷きあうミーアとユリウスの間で、若干の齟齬があるような気がしないではないが……それはさておき。
っとそこで、ミーアは、ふと気が付いた。
なんとなくだが、ヤナとキリルに元気がないような気がしたのだ。
「ヤナ、どうかしましたの?」
と、ミーアが聞こうとした時、不意に、服を引っ張られる。見れば、パティが物言いたげな顔をしていた。
「パティ……?」
パティはそのまま、ちょこん、と背伸びして、ミーアに顔を近づけて耳打ち。
「あの……ヤナとキリル……ガヌドスの姫殿下の姿を見て、昔を思い出しちゃったみたいで」
「ああ、オウラニアさんですわね……」
言われて、ようやく思い至る。
そう言えば、ヤナとキリルはガヌドス港湾国では差別されてきた身。あまり、良い印象はないのだろう。
「これは、失敗しましたわね……ふぅむ……」
腕組みして、考え込むミーアに、パティは続けた。
「さっき、あっちの浜辺で、釣りしてるのを見かけちゃって……」
「釣り……? はて……」
意外な言葉に、きょっとーん、と首を傾げるミーアだった。