第十五話 ベル、ようやく考え始める。ようやく……。
「ふぅむ……」
その日、ベルは図書室に来ていた。
夏休み、いろいろなイベントをエンジョイしてしまったせいで、すっかり、ポーンッと記憶の彼方に飛んでしまってはいたが、自分がこの世界に召喚された意味を考えるためだ。
「パトリシア大お祖母さまが、この時代に飛ばされてきたことは……なんとなくわからなくもない……。それに、ミーアお祖母さまが、この世界を逸脱するほどの影響力を行使した結果、過去の時間にまでその叡智の力が及んでしまったというのも……わからなくはない。でも……」
ベルは、腕組みして、首をひねる。
「……ボクが、この時代ですることって、なんなんだろう……?」
それは、答えが出しづらい問題だった。仮に答えが出たとしても正解かどうかがわからない、そんな厄介な問題だったのだ。さらに……。
「それに、ボクが未来の世界に戻れるのって、いつになるんだろう……? どうやって帰ればいいんだろう?」
そんな風に、ちょっぴり心配になったベルに、この時代のルードヴィッヒは言った。
「どうやって……という視点では、おそらく答えは出ないでしょう。人が時間を飛び越えるなどと言うのは、それこそ神の御業に他ならないことですから」
彼は、眼鏡を押し上げながら続けて言った。
「もし、そうならば、むしろ、なぜこの時代に来たのか? なんのために、ベルさまは、この時代に飛ばされてきたのか? その面から考えるべきではないでしょうか?」
物事の仕組みではなく、意味を問う視点。ルードヴィッヒの言葉は、ベルに答えを与えるものではなかったけれど……別の考え方へと導くものだった。
「ボクがこの時代に来た意味……かぁ……。でもなぁ、やっぱり難しい」
椅子にちょこん、と腰を下ろし、足をプラプラ。辺りに視線をさ迷わせながら、ベルは、うぅむ、っと唸り声を上げた。それから、辺りを見回した。
視線の先には、たくさんの本が置かれていた。
「本……本かぁ」
ベルの脳裏に一番に浮かんだのは、エリスの顔だった。けれど、次の瞬間に浮かんだのは、祖母の、もう一人の眼鏡の友人で……。
「そういえば、クロエ大おばさまが、いろいろな本を読めって言ってたっけ……」
ミーアネットの長にして、祖母ミーアの読み友。さらには、ベルの友人の祖母でもある人……クロエは、頻繁に帝都に立ち寄っては、いろいろな本をお土産にくれる人だった。
幼い頃、エリスの書く小説ばかりを読んでいたベルに、クロエは優しく笑みを浮かべて言っていた。
「エリスさんの書くお話には、エリスさんの思想が色濃く表れる。同じように、ミーアさまの皇女伝には、ミーアさまの思想が見て取れる。それを学ぶことは、とても大切なことだけど、より広い視野を持つためには、たくさんの人が書いた本を読んだほうがいいんじゃないかなって思って。本はいろいろなことを教えてくれる。考えるヒントをくれるものだから……」
「って言ってたけど……」
ベルは改めて、図書館の本を眺めた。
読むのは……すごく大変そうだ。
「あ……そうだ。この時代のクロエ大おばさまに、なにか、ヒントになることがないか聞いてみたら……」
なぁんて、ベルが〝そのまんまミーア“な答えに流れていきそうになった、まさにその時だった。
「あれ……? ベルさ……ま?」
ふと顔を上げると、そこに立っていたのは、他ならぬ、クロエ・フォークロードその人だった。
「あ、クロエさん……うふふ、ちょうど良かったです」
にんまーりと、悪い笑みを浮かべるベルに気付かず、クロエはあたりをキョロキョロしつつ、近づいてきた。
「お一人で読書ですか……?」
先日、ベルがミーアの孫娘であると聞いた時から、クロエはベルに敬語を使うようになっていた。未来の世界においては、「ベルさま」呼びに慣れているベルであったが……急に呼び方を変えられるのはこそばゆくもあり……。
「ベルさま?」
「あ、はい。あの、クロエさん、ボクには、別にそこまで敬語を使わなくっても……」
「いいえ。あなたがミーアさまのお孫さんだと言うのなら……そうミーアさまがおっしゃるのなら、そんなわけにはいきませんから」
生真面目な顔で首を振るクロエだったが……、それからマジマジとベルを見て……。
「それにしても、本当に、ベルさまは、ミーアさまのお孫さん、なんですね……。なんだか、小説の出来事みたいなお話ですね……」
「その言い方は、すごくクロエさんっぽいです」
ベルはニコニコ笑ってから……。
「それにしても、クロエさんは、物語以外にもたくさん読まれるんですね」
クロエの持つ分厚い本に目を留めて言った。
「ミーアお姉さまに聞きましたが、この図書館の本を全部読みつくしているとか……。すごいですね」
そうして……流れを作り出す。ベルの悩みに対して、適切な助言をもらえるように……。楽して助言をもらえるように!
っと、
「そう、ですね……」
クロエは、静かに唇に指をあてて……。
「実は、私、最初は暇つぶしのために本を読んでいたんです。というか、教室で一人でいることの気まずさを紛らわすため、といったほうが正確かもしれませんけど……ともかく、時間があったので、ここの本はすべて読み切ってしまったんですよ……」
「え……?」
意外な話に、ベルは目をぱちくりさせる。てっきり、クロエは本が大好きな人だと思っていたので、意外の念は禁じ得なかった。
「最初は、本当にただの暇つぶしだったんです。だけど、ミーアさまとお会いして……お話しするお友だちができて、一人でいる気まずさを紛らわす必要もなくなって……それで、ふと思ったんです。私、どうして本を読むんだろうって……」
クロエはちょっぴり照れたように笑って。
「ミーアさまとお話しするネタになるから、というのはもちろんあるけど、でも、それだけじゃない。私はやっぱり本を読むのが好きなんだって……気付いて……」
そうして、クロエはベルのほうに視線を向けた。
「でも、今はそれだけじゃないんです。私は……、ただ好きなだけじゃなく、いろいろな文献で得た知識をミーアさまのために役立てたいって……そう思うようになりました。だから、私はたくさん本を読もうって思うんです」
「知識を役立てる……?」
「そう。大好きな本の知識を使って、大切なお友だちの役に立つことができる。それって、とても素敵なことじゃないでしょうか」
その言葉を聞いて、ベルは、すとんと腑に落ちた。
「そう、なんですね……。クロエおば……クロエさんの生き方は、そういうものだったんですね」
いつも、お土産に本をくれる優しい人……。彼女のそれは、自分自身が本によって力を得た経験からくるものだったのだ。
――やっぱり、ミーアお祖母さまのお友だちには、すごい人が多いんだなぁ。
そうして、帝国の叡智への尊敬の念を新たに、ベルは図書室を後にした。
……クロエから助言をもらうことは、ぽーんっと頭の中から飛び去ってしまっていたのだった。