第十四話 聖女ラフィーナの懊悩
ミーアの司会進行を見ながら、ラフィーナは……。
――どうしよう……。
ちょっぴり、焦っていた。
なぜって……だって、共同研究を提案したのは、エメラルダに対抗心を燃やしてのことだったからだ。
「ラフィーナさまのお考えには、改めて、脱帽ですわ。実際、その効果のほどは、わたくしもよくわかってはいたのですけど、さすがに、ミーア学園のほうから、このお話を持って行くことはできなかったですし。感謝いたしますわ、ラフィーナさま」
そうして、ニッコリ微笑まれてしまうと、もうダメだった。
ラフィーナは、涼やかな笑みを浮かべつつ、すすすっと視線を逸らす。
誰もがミーア・ルーナ・ティアムーンのようであれるはずがない。無心で波に乗り続けられる海月は稀有な存在だ。
自分の意図とは別のことで、褒めたたえられれば当然、羞恥心は刺激される。
「もっ、もうこれ以上、言わないでぇ!」
などと、悲鳴を上げたくだってなるものなのだ。
なにしろ、ラフィーナはそんなご立派な考えで共同研究を提案したわけではないのだから。
それはちょっぴり醜い、私情によってなされたものだったから。
誰もがミーア・ルーナ・ティアムーンのようであれるはずがない。やって来た波の、その行き先がどこかであるかなど、まるで気にせず、ひょーいっと飛び乗れるほど、蛮勇に富んでいるわけではない。
つまり、要するに、ミーア・ルーナ・ティアムーンは常人離れした器の持ち主なのだ!
……とまぁ、冗談はさておき。
そんなわけで、ラフィーナは焦りつつ……けれど、その議論を止められずにいた。
なぜなら、話が、とても良い方向にいっていたためだ。
ミーアの舵取りは、とても巧みなものだった。
ラーニャの発言は今日の会議の主旨から言えば、少々外れたものだった。けれど、ミーアはそれを否定することなく、膨らませて意義あるものへと変えていった。
――それに、その後の誘導も素晴らしいわ。みんなが口を開きやすいように、否定せず、ともかく、アイデアを出すことだけに集中させている。素晴らしい手腕だわ。
ヴェールガ公爵令嬢として、たびたび、中央正教会の会議にも参加するラフィーナであるのだが……、その不毛さに嫌気がさすことも少なくない。
いたたまれない空気に、その場を離れたくなったことは幾度もある。有意義な会議の場を作るのは、至難の業なのだ。
にもかかわず、ミーアは、実に話しやすい空気を作っていた。
――さすがはミーアさんね。すごいわ……。
さらにラフィーナが感心するのは、ミーアがいつでも、他人の力を頼ることを厭わないことだった。
自分自身の力を過信せず、頼り過ぎず、大義を成すためには、どんな手段もとる。
それが、ラフィーナには大変まぶしいものに映った。
――やっぱり、私とミーアさんとは全然違う。私、まだまだだわ。もっと頑張らないと……。
思い出す。
昨日のお茶会……ミーアは、ラフィーナがお友だちでよかった、と言ってくれたのだ。
大切なお友だちだと、言ってくれたのだ。
――あのミーアさんの言葉に報いるためにも……頑張らないとダメね。
なぁんて、反省している間に、話し合いはちょっぴり危険な方向へと進みつつあった。
ラフィーナが気付いたのは、その流れができつつある時だった。
彼女の耳に、ふと、こんな言葉が聞こえてきたのだ。
「効率的に、ウサギ、とれる仕組みの研究する、どうでしょう?」
発言したのは、ティオーナの従者、リオラ・ルールーだった。彼女は厳密に言えば生徒会役員ではないが、従者の知恵は主人の知恵というのは、セントノエルでは常識だ。
ということで、森の民ルールー族の知恵を存分に披露するリオラだったのだが……。
「私たち、弓矢でウサギとる、です。でも、罠も使う、です。罠を改良して、たくさんウサギとれれば……」
っと、じゅるるっと口元を拭うリオラである。
「ほう。なるほど……」
ミーアは、顎に手を当てて頷く。
「ルールー族出身のリオラさんらしい素晴らしい意見ですわ。確かに、美味しいですものね、ウサギ鍋。あれは、いくらでも食べられる素晴らしいものですし、ウサギを効率的に捕まえてこられれば……」
じゅるるっと、ミーアも口元を拭っている。
……森のウサギが絶滅してしまわないか、不安である。
ちなみに、ラフィーナは基本的に、ウサギを見ると可愛いと感じる感性の持ち主である。ウサギを見て、美味しそう……と思うことは、あまりないわけで……。
「罠は……どうかしら?」
などと、思わず口を出しそうになるも……自重する。なにしろ、すでにミーアがどんな意見も否定せずに……と言ってしまっていたためだ。
――ウサギ鍋……。それを可哀想と思ってしまうことも、またエゴなのでしょうね。子どもたちがお腹を空かせないためには、そういう研究も必要なのかもしれないし。うん、私もまだまだだわ。
「ミーアさま、よろしいでしょうか?」
続いて手を挙げたのはクロエだった。
「実は、最近、こういう本を読んでいるのですけど……」
っと言って、差し出したのは、『秘境の珍味グルメ パート5』なる、なんともアブナイ臭いのする本だった。
キースウッドなどは、そのタイトルを見て仰け反っていたが、そんなことは一切無視して、クロエは言った。
「これを読んでいると、珍味というのは、普通は捨ててしまうような部分に宿るような印象があります。そこで、普通は捨ててしまうような部分、例えば、内臓の生肉とかを安全に食べられる方法を……」
――内臓の……生肉……。
ラフィーナは涼やかな笑顔を浮かべつつ、想像して、ちょっぴり背中が寒くなる。
ラフィーナは聖女だ。基本的に訪れた村で出された食事は、ニッコリ笑顔で食べるようにしている。が……ごく当たり前の話だが、好き嫌いはある。
そして、内臓の生肉とやらは……あんまり、食べたくない。いや、すごく食べたくない。火が通っているならまだしも、生は……ちょっときつい。
「さらに、ワーム類は、とても栄養が豊富だという話も載っていて……」
――ワーム類……。
思い浮かぶのは、うねうねと体をうねらせる、毛がたくさん生えたタイプのヤツである。
基本的に、ラフィーナは、虫が好きではない。というか、ごく普通に嫌いだ。
足の長いクモの類とか、幼虫類とか、甲虫類とか……。部屋で見かけたら、直接、手では触れないし、潰しもしない。本の端っこに乗せて、外に出すようにしているが、その理由は、別に慈愛の心からではない。
潰すのが気持ち悪いからだ。
……それを、食べる……? え? 食べ……るの?
もしも、それこそが飢饉を解決する重要な研究だと言われたとして……認めることができるかどうか……。
――で、でも、ミーアさんが作り出した良い空気を壊すのも……うう、でも……。
深い……深い葛藤の渦に飲み込まれる聖女ラフィーナであった。
そうして、ルールー族の叡智を存分に披露したリオラや、秘境の珍味本の知識を朗らかに披露するクロエを筆頭に、いくつかの独創的かつ突飛なアイデアが出てきて、それを聞いていたキースウッドがお腹を押さえていたりしたわけだが……。
結局、結論は出ずに議題は持ち越しとなって、その日の生徒会はお開きとなるのだった。
個人的に、虫料理は、まだ食べる勇気がないのです……。