第十一話 小さな決意の芽生え
ミーアと共にセントノエルへと帰ってきた年少組の三人は、同じく故郷から帰ってきた特別初等部の子どもたちと再会を祝い合っていた。
もともとが、孤児院や貧民街出身の子どもたちである。一度の別れが永遠の別れになる、などということも決して珍しいことではなかった。
だからだろう、再会の喜びは大きく、みなの顔には笑みがあふれていた。
そんな笑顔の輪の中で、パティはいつも通り、みなの様子を観察していた。
「元気そうね。カロン」
そうヤナに話しかけられて、カロンはニヤリ、と片頬をあげた。
「お前のほうもな。弟ともども元気そうで良かったな。てっきりお貴族さまに売られちまったかと思ったぜ?」
悪ぶってみせるカロンに、ヤナは小さく笑みを浮かべて言った。
「あれ? もしかして、あたしたちのこと、心配してくれたの?」
まるで、からかうような口調に、カロンは言い返そうとして……けれど、うっと唸るだけだった。なぜなら、ヤナが、心なしか柔らかな笑みを浮かべていたからだ。
ヤナは、とても整った顔立ちをしている。額の瞳の刺青も、どこか神秘的で……だから、素直な笑顔を浮かべると、とても可愛らしいのだ。
それはもう、見惚れてしまうほどに……。
――前までは、弟を守らなきゃって思ってたから、どこか棘があったけど……。
自分が心を許した結果、裏切られでもしたら、弟もろとも酷い目に遭うという状況。そこから解放されて後も、しばらくは、信じ切れなかった彼女だが……ようやく、その警戒を解いたようだった。
友だちのそんな変化が、ちょっとだけ嬉しくて……。同時に、それを素直に認められるようになった自分に、パティは少しだけ戸惑う。
「良い顔をするようになりましたね」
ふと、声をかけられて振り返る。と、眼鏡の教師、ユリウスが立っていた。穏やかな笑みを浮かべる彼に、パティは素直に頷いて……。
「はい。ヤナは……夏休みの間、ミーアお……さまの良いところをたくさん見させてもらってたから……」
きっと改めて、ヤナは思ったのだろう。
ミーアならば、信じても大丈夫だ、と。
――あるいは、ただ単に、守られる環境に慣れてきたということ、なのかな……。
もしも、ここがあのクラウジウス家だったら……。蛇の教えを施す場であったなら……。まさに、その瞬間に、彼らは裏切ってくるだろう。
手ひどい裏切りを加え、根深い不信を植え付ける。だから、パティは、どんなことがあっても心を開くことはない……と思っていたのだが……。
「あなたのこと、だったのですが……」
パティの答えに、ユリウスは思わずといった様子で苦笑する。その顔を見たパティは、自らの口に手を当てて……。
「私……? もしかして、私、笑って、ましたか?」
「ええ。ああ、でも、もちろん、あなただけではありませんよ。ヤナさんも、カロンさんも、キリルさんも……。みんな、ここに来た頃とは比べ物にならないぐらい、柔らかい表情をするようになりました」
優しげな口調で、ユリウスは続ける。
「パティさんは、まだ、少し緊張しているようにも見えますけど……大丈夫。私たちが、みなさんを守りますよ。ラフィーナさまも、ミーアさまも、絶対にみなさんのことを見捨てたりなんかしませんから。どうか、安心して……私たちを信じてください」
その言葉は……パティの胸の内に温かな感触を残した。
「ありがとうございます。ユリウス先生……」
その感情に促されるままに、パティは言葉を紡ぎだす。
心をそのまま言葉にしてもいい……。それが今は、少しだけ嬉しくって。でも……同時に思う。
それでも、きっと自分は、心から笑うようなことは、ないのだろう、と。
状況の把握ができた分、安心できるし、この世界ならば、もしかしたら心を許せる友だちもできるかもしれないけれど……それでも。
――過去に戻った時のために、警戒心のすべてを捨て去るようなことは、できないから。それに……。
「ユリウス先生……」
「うん? なんでしょうか?」
首を傾げるユリウスに、パティは覚悟のこもった声で言った。
「ユリウス先生の、昔のお話、聞かせてください」
多分、この先、この人は、きっと多くの子どもを助けるだろう。
今までだって、たくさん助けてきたのだろう。だから……。
「オベラート子爵の家に引き取られたのは、いつ頃のことですか?」
バルバラは言っていた。自分の子どもは死んでしまったと……。
それは、バルバラが騙されていただけ、子爵家が口から出まかせを言ったということでもあるのかもしれないけれど……。
――私が、変えたから、そうなったのかもしれないから……。
あの時、バルバラの話を聞いた時、確かに、パティは思ったのだ。
可哀想……と。
そして、もしも、自分にそれを止める力があったら、どうだろう? その子どもを、ユリウスを助けないだろうか?
パティは、自分が未来の世界に来ているという意味を、正確に把握していた。
蛇によって刷り込まれた、観察し、思考する習慣が、この時に役立った。
――できることはあまり多くないかもしれないけど……。
皇妃になったからと言って、できることは多くない。特に、蛇の監視がある以上、好き勝手なことをしていたら、いつ消されるかもわからない。
けれど……とパティは思う。
――たぶん、なにもできないというわけじゃないから……。
それは、少女の胸に芽生えた小さな決意。
蛇と戦おうという……勇敢な決意だった。