第九話 聖女ラフィーナのアピール! ミーア姫は油断した!
「共同研究……ですの?」
突然の提案を吟味するように、ミーアは口の中でつぶやく。対して、ラフィーナは、まるで以前から考えていたかのような、しかつめらしい顔で、重々しく頷いた。
「ミーア学園では、小麦の研究をなさっていると聞いているわ」
「ええ。そうですわね。寒さに強い小麦の開発を進めてもらっておりますわ」
「飢饉の問題は、すべての民に共通する問題。そして、ヴェールガ公国も、中央正教会もずっと取り組んできたことでもある。協力できることがあるんじゃないかと思うの」
困窮する人々に対し、常に手を差し伸べてきたのは中央正教会だった。
新月地区に踏みとどまり、孤児や病人の世話をしていた、あの神父の顔が、ミーアの脳裏を過る。
あの……清貧な……聖女マニアの神父の顔が……。
――ふむ、今度、働きを労うためにラフィーナさまの肖像画を送りましょうか。
などと思いつつも、ミーアは冷静に検討する。
――メリットとデメリット……を考えるべきですわね。
気になるのは、セントノエルに功績を横取りされることだった。もしそんなことになったら……なったら?
そこで、ミーア、はたと気付く。
――あら? 意外と問題ないのではないかしら……?
という事実に。
なるほど、確かにミーア学園が単独で新種の小麦を開発すれば、その分、学校の名も上がる。その設立者であるミーアの名もきっと光り輝くことだろう……たぶん、黄金の色とかに……。
ごくり、と、紅茶で喉を鳴らしつつ、ミーアは思う。
――下手をすると、ベル辺りが……女帝ミーアとかいうわたくしが知らない方の功績をたたえる黄金像が立ったとか、言い出しそうですわね……。そのせいで財政が悪化したとかいうことになりかねませんわ。そうなると、いろいろと面倒……。
さらに、思い出されるのは、エメラルダからの手紙だった。
――その功績につられてやってきたたくさんの学生が、〝周囲からの良い影響〝とやらを受けて、わたくしの信奉者になってしまうかもしれませんわ。それは……ちょっと、アブナイ感じがいたしますわね。
大きすぎる功績というのも、厄介ごとを呼び寄せるものなのである。
――むしろ、その功績の実りさえ得られればそれで満足。その賞賛を誰が受けようとも、大陸全土が小麦で満ち足りれば、わたくしは、それで満足ですわ。
そうなのだ。ミーアの叡智はいつだって本質を見逃さないのだ。
大切なことはなにか?
それは、もちろん、美味しいものをお腹いっぱい食べることである。当たり前のことである。
では、そのために大切なことはなにか?
それは、すべての人に食べ物を行き渡らせることである。
それこそが、ミーアが求めるものであって……逆に言うと、それさえ手に入るならば、この際、功績に関しては誰のものでも構わないのだ。
むしろ、セントノエルが、小麦の知識の普及などに一役買ってくれるのならば望むところだ。
あるいは、こうも言えるかもしれない。
今や、ミーアの求めるものは、自身が栄誉を受けることでもなければ、帝国のみが飢饉を生き抜くための食べ物を得ることでもない。それでは全然足りないのだ。
あの『パンケーキ宣言』をしてしまった以上、事は帝国よりももっと大きな規模、近隣諸国、否、大陸全土にも及ぶほどのものになってしまったのだ。
それゆえに、すでに、大陸最高峰の学府として知られるセントノエルの名は、大変有用なものだった。
自分がなにもせずとも、自分が望んだ結果が向こうからやってくる。これほど素晴らしいことが、この世界にあるだろうか?
ミーアはどちらかというと、種蒔きも刈り取りもしたくないし、その功績も欲しくはない。刈り取った後の果実をちょこっとわけてもらえることこそ、ミーアの理想なのだ。
――まぁ、そうそう上手くいかないから、頑張る羽目になっているわけですけど……。
ともかく、一緒に働いてもらえることならば、遠慮なく任せてしまいたいミーアである。が……。
「では、小麦の研究にセントノエルも参加するということで……」
と頷きかけたミーアに、けれど、ラフィーナは首を振った。
「いえ、それはミーア学園主導の研究。後から参加して、功績を横取りするような真似はできないわ。もちろん、協力を惜しむつもりはないけれど……」
と、やんわり断られてしまった。
「それに、ミーアさんのことですもの。もうそろそろ、小麦のほうは研究の成果が出て来ているのではないかしら?」
「ええ……まぁ、わたくしがどうこう言うより、セロくんやアーシャ姫が頑張ってくれておりますし……」
ミーア、すかさず訂正しておく。
上手くいかなかった時に「これだから、ミーアさんは!」などと言われぬようにということも、もちろんあるが、結果が出た時には、きっちり彼らの功績にしてもらわねばならないからである。
「功績をミーア姫殿下が横取りした!」などと言われてはたまらない。
――セロくんのお姉さんはティオーナさん……。怒らせると革命の鬼になってしまう可能性が万に一つもあるかもしれませんし……それに、アーシャ姫はペルージャンの姫君。あの国の機嫌を損なうのは、現状、とてもよろしくないですわ。
せっかく築いてきた良好な関係を崩さぬよう、細心の注意を払う。アフターケアに定評のあるミーアカンパニーである。
「うふふ、ティオーナさんやラーニャ姫から聞いているわ。すごく働きやすい場所でサポートも充実してるって。ミーアさんには感謝しかないって、言っていたわ」
そう微笑んでから、ラフィーナは続ける。
「でも、小麦だけでなく、もっといろいろなものを研究できるのではないか、と私は思っているの。まだ、具体的にはわからないけれど、きっとなにかあるはず。そして、できれば、各国の王たちにも、その動きへの協力を訴えたいと思っているの」
「飢饉への対策、そのためにミーア学園とセントノエルで共同研究を始めた、という、その表明を各国に示したいと……つまり、旗印ということですわね」
「そう。そして、そのための題材を、探したいと思っているのよ」
「それは、なかなかに難題ですわね」
ミーアは、うむむ、っと唸った。
寒さに強い小麦に関しては、ミーアには知識があった。されど、それ以外の飢饉への対処については、まったくのノーアイデアなミーアである。
そもそも、ミーアはイエスマンなのだ。
誰かの提案にイエスということはあっても、誰かに提案するというのは、あまり得意ではないのだ。
ということで……。
「そうですわね。これは、すぐに思いつく類のものでもございませんし、一度、持ち帰って考えたいと思いますわ」
「もちろん、構わないわ。ただ……」
っと、そこで、ラフィーナはとても真面目な顔で、ミーアを見つめてきた。心なしか、その頬をちょっぴり赤くしつつ……。
「私は……私も、ミーアさんのお友だちとして、ミーアさんの役に立ちたいと思ってる。ミーアさんがしようとしていることは、とても素晴らしいことだから……私も一緒にそれをしたいと思ってる。そのことを、どうか忘れないで」
その、真剣そのものの顔を見て、ミーアは、思わず嬉しくなる。
――ふむ、ラフィーナさまがこんなにやる気なのであれば、飢饉の心配はいっそう、遠ざかったと言えますわね。あら? むしろ、わたくしが、それほど頑張らなくっても良いのではないかしら?
なぁんて……性懲りもなく、ちょっぴり危険な油断を始めそうになるミーアなのであった。