第六話 エメラルダのお茶会
エメラルダ・エトワ・グリーンムーンは、後世において、ミーアの親友の一人と目される女性である。
大貴族の令嬢らしい気位の高さと、目下の者に対する表面的な当たりの強さ、それと相反するような懐の深さで知られている。
そんな彼女であるが、公人としての働きを評価されることは、あまり多くはない。
歴史の表舞台において、彼女の活躍が記録されることは、ほとんどなかった。
されど……実のところ、彼女が果たした役割は決して小さくはないのだ。
サフィアス・エトワ・ブルームーンが国内の貴族の抑えとして……星持ち公爵令息として動いていたように、エメラルダもまた、星持ち公爵令嬢としての役割をしっかりと全うしていたのだ。
なにも「ミーアさまに誘われないかしら?」なぁんて、屋敷内でソワソワしてばかりはいなかったのだ! まぁ、たまにはそんな日もあったのだが、ともかく、彼女はきちんと仕事をしていたのだ。
実のところ、エメラルダが動き出したのは、シオンたちが訪ねてきた翌日のことだった。
「やはり、まず着手すべきは、ガヌドス港湾国のことですわね」
ミーアに言われるより前から、そう目付をしていたエメラルダは、すぐさま、ガヌドスに自ら赴くことを決断。
果断速攻のその様は、思い付きの人ミーアを彷彿とさせるものだった。
ちなみに、準備はほとんど、メイドのニーナに丸投げである。
アンヌとルードヴィッヒがするような仕事を一手に担う、彼女は凄腕のメイドなのである。
「さすがの手際ですわね、ニーナ。さすがは、我がグリーンムーンのメイドですわ」
エメラルダの称賛を受けたニーナは、ニコリともせず、頭を下げて……。
「過分な評価、痛み入ります、お嬢さま。それと、僭越ながら……帝国四大公爵家の令嬢たる者がメイドの名前を覚えているのは、あまりよろしくないのではないかと……」
「まっ! なにを言っておりますの? あなたは、幼少の砌より、私に仕えてくれている大切なメイド。名前を覚えることぐらい当然のことですわ!」
なぜか、ドヤ顔で胸を張るエメラルダに、ニーナは、ふぅっと切なげなため息を吐いて……。
「……まぁ、でも、これはこれで……」
などとつぶやくニーナに、小首を傾げるエメラルダであった。
そんなこんなで、エメラルダはガヌドス港湾国に赴いた。
さて、ガヌドス王都にあるグリーンムーン家の別邸にて。
エメラルダは、客人を出迎える準備をしていた。と言っても、実際にやっているのはニーナなわけなのだが……。
ともあれ、並べられていく茶器やお茶菓子を眺めながら、エメラルダは小さく笑みを浮かべた。
「ふふふ、あの方とのお茶会も、思えば久しぶりですわね」
そうして、待つことしばし。
客人は、約束の時間ぴったり……にはやってこず、一刻ほど遅刻して現れた。
……まぁ、いつものことなので、エメラルダは気にしないことにしていたが……。
「ご機嫌よう、本日はお招きいただき感謝いたします。エメラルダさま」
そうして、スカートの裾をちょこんと持ち上げるのは一人の少女だった。
とても背の高い少女だった。舞台女優のように、すっと伸びた背筋と、すらりと長い手足を持つその少女は、エメラルダを見て、ふんわりした笑みを浮かべた。
「本日は、お忙しい中、いらしていただき感謝いたしますわ。心ばかりではございますけれど、お茶会を楽しんで行っていただけると嬉しいですわ。オウラニア姫殿下」
その少女の名は、オウラニア・ペルラ・ガヌドス。ガヌドス港湾国の王女である。
そして、二人は、お茶のみ友だちでもあるのだ。
もともと、ガレリア海に遊びに来ることが多いエメラルダのこと……。この国の有力者と食事を共にすることも多く、必然的に、年の近いオウラニアとも親しくする機会があったのだ。
そんなわけで、まぁ、彼女をお茶に誘うこと自体は珍しいことではないのだが……。
「ところで、オウラニア姫……」
世間話もほどほどに、早速、エメラルダは斬り込む。
「少し小耳にはさんだのですけれど、どうもお父君は、我が帝国に対して、不穏な態度を取っておられるとか……」
「え、ええと……? そう……なんですか?」
オウラニアは、小さく首を傾げる。根本的に、彼女は政治に一切かかわりを持っていない。王宮の中、大切に世間から隔絶されるようにして育てられた姫なのである。
そのことを把握していたエメラルダは、優雅に紅茶を飲みながら、
「ええ、そうなのですわ。まぁ、それは昨年の夏あたりからわかっていたことではありますけれど……。それで、そのことを、我が友ミーアさまが問題視されておりますの」
「まぁ、ミーア姫殿下が……?」
オウラニアは、目を真ん丸にして口を押えた。
「ええ。そうなんですの。それで、私としても、どうしたものかしら……と思いまして。私、ガヌドス港湾国との仲は、とても大切と思っておりますのよ? 我が帝国と、あなたの国との仲がこじれること、これほど悲しいことはありませんわ。なにしろ、ガヌドス港湾国に最も近しい帝国貴族は我がグリーンムーン家ですしね」
すまし顔で、エメラルダは、ケーキを一口。それから、オウラニアのほうを上目遣いに見て……。
「だから、あなたに、国王陛下に態度を改めるように言っていただけないかしら? と思って……」
「うーん、私が……ですか? それは……無理なんじゃないでしょうか……?」
オウラニアは、のんびりとした口調で首を振った。その様子に、エメラルダは、内心で頷く。
エメラルダは、交渉の基本を知っている。
まず、大きなことを要求し、そのうえで、呑み込めるギリギリの条件を提示する。そのセオリーに則り、エメラルダは真の要求を突きつける。すなわち……。
「では、どうかしら? あなたが聖ミーア学園で、勉学に励む、というのは……」
「……えぇと……それは」
オウラニアは、ぽーっとした視線をエメラルダに向けてから……。
「人質ということ、でしょうか?」
ゆーっくりとした仕草で首を傾げる。
エメラルダはにやり、と笑みを浮かべて頷いて……。
「ふふふ、相変わらず、言葉を飾りませんわね。あなたのそういう実直なところ、嫌いではありませんわよ?」
エメラルダは、オウラニアのことを世間知らずのお姫さまだと思っていた。箱入りで、王宮の外のことはまるで知らない……無知なる者であると。
されど、それは、愚かであることを意味しない。
オウラニアは世間知らずの箱入り姫ではあるが、相手の言葉をきちんと理解できる頭を持っている。ゆえに、エメラルダの言わんとするところの本質を、端的に言葉にしてきたのだ。
その実直さと頭の回転の速さを、以前からエメラルダは好ましく感じていた。
が……実のところ、エメラルダは、オウラニアを人質にしようとは思っていなかった。彼女が企んでいることは、もう少し、ミーア寄りのことで……すなわち。
――聖ミーア学園は、通っているだけでミーアさまの良さにたっぷり触れられる環境。であれば、オウラニア姫を入学させることで、こちらの仲間に引き入れられるはずですわ。
これである。
まぁ、もっとも、それを素直に教えるはずもなし。エメラルダは笑みを浮かべたまま続ける。
「まぁ、実際には、それほど悪い話ではありませんわ。聖ミーア学園は、我が帝国でも最高峰の学府となる予定の場所。あなたの学びのためにも、とても良い機会になるのではないかしら……?」
「あのー、私にはお断りする権利はないと……?」
「断る理由がない、と言っておりますのよ。こんないい話、滅多にございませんし……。仮に断った際、私から吹っ掛けられる面倒事を思えば……ここは引き受けておいたほうがいいのではないかしら?」
そうしてすまし顔で紅茶をすすってから……。
「あ、それと、寒月天がお土産に欲しいのですけれど、どこか、良いお店を紹介していただけるかしら?」
ずうずうしくも言ってのけるエメラルダであった。