第七十九話 ミーア姫、同情する
――ああ、なぜ、このようなことに……。
馬上で、ミーアは小さくため息を吐いた。
先頭を行くディオン隊長、まさか自分を殺した相手の先導で目的地に行くなどとは、思ってもみなかった。
憂鬱で体に力が入らず、ミーアはぐったり、馬に揺られていた。
「ほう、姫さん、なかなか馬の乗り方が様になっておりますな」
ミーアのやや前を行く副隊長が話しかけてきた。
「きちんと力を抜いて、馬の動きに委ねてますな。普通の貴族のお嬢さんじゃあ、こうはいかねぇはずだが……」
「まぁ、それはありがとうございます」
ミーアは、悪人面の副隊長に会釈を返した。
ミーアの見たところこの副隊長、見た目はさておき、人柄は悪くない。
先ほどから自分の方を気にしてくれていたことに、ミーアは気づいていた。
それに、副隊長と言う肩書を考えてもディオンを諫められる立場にいるものなのだろう。
いざという時、ディオンに対しての歯止め役として使えるのではないだろうか。
ミーアの打算的な直感が告げる。
この副隊長と仲良くしておいた方がよさそうだな、と。
さらに言えば、乗馬技術をほめられたこともちょっとだけ嬉しかった。夏休みに入ってからも、ミーアは時間があれば馬に乗るようにしていた。
なにしろ、乗馬技術はミーアにとって文字通りの死活問題。
いざ何かが起きた時、頼りになるのは忠実な部下たちと物理的な移動力である。
馬をいかにうまく乗りこなすかで、ギロチンかそうでないかが決まるのだから練習にも身が入ろうってもんである。
「どうかしら? もし仮に、わたくしがディオン隊長から逃げるとして無事に国境まで逃げ切れるかしら?」
「あー、まぁ、そいつは……」
「それは無理ですねぇ。悪いですが、三日もあれば追いつけますよ」
ふと顔を上げると、ディオンがにっこにこの笑みでこちらを振り向いていた。
「だから、駆け落ちでもして国外に出るんだったら、僕の目の届かないところでやった方がいいですよ?」
「ま、まぁ、でも、あれだ。今から十年も鍛えれば、隊長にだって負けねぇ乗り手になれますぜ」
「……ああ、そうですのね。十年……」
日記のままに歴史が進めば、革命が起きるのは今から、遅くても五年後だ。
ミーア、しょんぼりである。
そんなミーアを慰めるように、副隊長の馬がひひんといなないた。
「あら、その馬……」
ミーアは副隊長の騎乗する馬を見る。
しなやかに力強く躍動する筋肉と、それを覆う黒く艶やかな毛並みが美しい馬だった。
「いい馬ですわね。特に毛ツヤがとても美しいですわ」
「おっ、姫さん、わかるのかい」
ほめられて、まんざらでもない笑みを浮かべる副隊長。
「へへへ、こいつはな、外国から取り寄せた馬用洗薬を使って、しっかり手入れしてるんで」
「まぁ、そうなんですの。なぜでしょう? なんだか、他人とは思えませんわ。すごく親しみがわきますわ」
馬はミーアの方を横目に見て、ぶふふん、と親し気に鼻を鳴らした。
およそ半日で、ミーア達一行は、静海の森の入り口に辿り着いた。
ディオンが率いる帝国軍の百人隊は、森から少し距離を置いた平地に陣を敷いていた。
即席の幕屋が整然と立ち並び、その周辺を簡易の柵が覆う。その柵の内側で兵士たちが忙しげに動いている。
きびきびとした動きは、兵の練度を表すものかもしれないが、ミーアは、なんとなく嫌な臭いを感じ取っていた。
「なんだか、みなさん、ピリピリしてますわね」
「姫殿下がいらっしゃったのですから、緊張するのは当たり前では?」
近衛の問いかけに、ミーアは首を振った。
「……いえ、そういうのとは、少し違いますわ」
張り詰めたような気配、火が燃え上がる寸前の緊張感。
その感覚にミーアは覚えがあった。
――革命が起きる前夜の空気に、どこか似てますわ。
「なるほど、姫殿下はやはり、いい感覚をしているみたいですね」
ディオンが、ミーアの傍らに立って笑みを浮かべた。
「ここは戦場ですから。いつ戦いが始まってもいいように、兵たちは心構えを整えているんです。そうしないと、命を失いますから」
「まぁ!」
そんな過酷な環境にいるなんて……。ただでさえ、鬼のような戦闘狂である隊長のもとでしごかれているのに……。
人を人とも思わない酷い男の下で仕事をするだけでも大変でしょうに。
「兵たちが、かわいそうですわ……」
ミーアは深く深く兵たちに同情した。
――ふーん、貴族の横暴に振り回される兵たちに同情できるのか。このお姫さん、噂通り知恵者かもしれないな……。
幸いディオンに読心術の持ち合わせはない。
「ここに、兵を駐屯させておく必要があるのかしら?」
「僕の個人的な意見ですが、必要ないですね。むしろ、ここにいるだけで戦いが始まるリスクが高まると思いますよ」
「でしたら……」
「しかし、あいにくと、僕らは命令を受けて来てるだけですから。引いた方がいいとわかっていても、理由がないと動けないんですよ」
ディオンがやれやれ、と肩をすくめた。
「兵を引く理由……」
ミーアは、かすかにうつむいて考え込んだ。




