第百十話 水の音の子守歌
さらに、翌日。ミーアたちは急ぎ帝都にとって帰した。
ちなみに、帝都に戻ったところで、めでたく、マティアスとは別行動になった。
「シューベルト候とは、久しく顔を合わせておらんし、私も……」
などとぶつぶつ言っていたが、スルーである。
さて、ミーアたちのお願いを聞いたレティーツィアは、快く屋敷に入れてくれた。
「クラウジウス家から譲り受けた楽器というと、これのことでしょうか?」
そうして、レティーツィアが案内してくれた先にあったのは、木の箱と陶器を合わせたような、不思議な細工の楽器だった。
「あら……これが楽器なんですの? なんだか、ヘンテコな形をしておりますけれど……」
「これは、クラウジウス家が保管していた、紙で音が鳴るという変わった楽器なんです」
そう言って、レティーツィアは、箱に大きな紙を入れて、それから横にあるハンドルを回し始めた。
穴の開いた紙が中に吸い込まれていき、直後、チィン、と陶器の澄んだ音が鳴る。
「あら、綺麗な音……。不思議な楽器ですわね」
硬質な音は、やや不規則ながら、ほぼ一定のリズムで鳴っていた。
まるで、中に小さな人間が入って、太鼓を叩いているみたい! などと、ワクワクするミーアだったが……。ふとパティのほうを見ると、彼女は怪訝そうな顔をしていた。
「あの……これの使い方、ゲルタは言ってませんでしたか?」
そう問われて、レティーツィアは、首を傾げた。
「使い方、というと……これではだめなのかしら?」
その問いに、パティは静かに頷いて……。
「この楽器は、ここに水を入れないと、上手く音が出ないから」
そう言って、パティはちょこんと背伸びをすると、箱の上部につけられた陶器を取り外した。
「これに……水を入れるの?」
不思議そうな顔をするレティーツィアに、パティは小さく頷き、
「この印がついてるところまで水を入れるの」
ミーアが覗き込むと、陶器には、それぞれ微妙に違う位置に線が引かれていた。
パティの指示のもと、水を入れた後、木箱にはめる。それから再び紙を挟んでハンドルを回してみる……っと!
「おお! これは……」
先ほどとは打って変わって、聞こえてくるのは、単純なリズムだけではなかった。
それは、れっきとした音の連なり。教会で聞く聖讃美歌のような、きちんとした曲だった。
「これは……すごいですわ! こんなものがございますのね。どんな仕組みなのかしら?」
などと、ウキウキ喜んでいたミーア、であったのだが……。
「あら……なぜかしら……? なんだか、こう……聞いてるとちょっと不安な気持ちになってきますわね」
流れるのは、確かに綺麗な音の連なりで……でも、どこかに不協和音が混じるような……なにか不快な音が混じっているような、そんな曲で……。
「これは、確か、聴いた人が一週間後に死んでしまうという呪いの曲だったような……」
「なっ! なんで、そんな恐ろしそうな曲がございますのっ!?」
思わず悲鳴を上げるミーアである。
対して、パティも顔をしかめて、
「私も、この曲、怖いから嫌い。でも、クラウジウス家にあった曲は、全部、邪教の影響を受けた秘密の曲だったから……」
「そうか。中央正教会に知られるとまずいような、邪教の儀式歌。それを記録して後世に伝えるための道具が、この楽器なんですのね……」
つまりは、この楽器もまた、蛇の遺産ということになるのだろう。
「なるほど、だから、ゲルタさんは正しい使い方を教えなかったんですのね。納得ですわ」
腕組みしつつ、うむうむ、と頷くミーア。一方、ルードヴィッヒのほうも感心した様子で、楽器を眺めていた。
「そうか、ここから、着想を得たのが、ヨルゴス式音階か……」
「ん? どういうことですの?」
「ヨルゴス式音階の優れた点は、言ってしまえば、音の共通化を成したことです」
そう言ってから、ルードヴィッヒは、レティーツィアにお願いして、グラスを用意してもらった。そこに、それぞれ、量を変えた水を入れていき、軽く指ではじいて音を出す。
「このように、グラスに入れる水の量によって、音の高さは変わります。これにより、それまで口伝でしか伝わってこなかった音階を共通のものとして広めたのです。例えば、この一番上の穴は、グラスのここまで水を入れたもの、二番目は、ここまで、といった具合に、あらかじめ決めておくわけです」
「なるほど。これは、なかなか面白いものですけど……」
それから、ミーアは、パティのほうに目を向けた。
「では、この紙をあの楽器に差し込むと、なにかの音楽が流れると……あら? でも、これって、サイズが合わないような気がいたしますけど……」
ミーアは、手元の虫食い状態の紙と、目の前の楽器に差し込まれた紙とを見比べる。
「楽器に入れた紙のほうは四倍ぐらいの大きさがございますけど……」
「はい。これは、あれに、直接、差し込むためのものじゃないです」
そう言うと、パティは、ミーアから紙を受け取る。
それから、紙を指でなぞりながら、
「この一番左の穴が、この音……」
ルードヴィッヒが用意したグラスを指ではじく。
「次が、これ。その次が……」
キン、キン、と高さの異なる音が鳴る。音は繋がり、一つの曲を奏でだす。
「こうやって、いつもハンネスと遊んでるんです」
そうして奏でられたのは、どこかもの悲しいような、それでいて懐かしいような……。なんとも言えない曲だった。
「ふむ……、なるほど。
つまりこれは、ハンネス大叔父さまが、昔を懐かしんで、作曲したものを本に挟んでいただけ、ということかしら?」
意味深に挟んであった割には、ちょっぴり拍子抜けだったが……。
「いえ、どうなのでしょう……」
ルードヴィッヒが難しい顔でつぶやく。
「それならば、別に、わざわざ穴を開ける必要がないはず。ただペンで書けばいいだけではないでしょうか。わざわざ穴をあけたということは、この楽器のことを思い出してもらいたかったからで……」
「なにか、パティにだけ伝えたいことがあったのだ、と……そういうことですのね……」
と、その時だった。
黙って、パティの奏でる曲を聞いていたヤナが口を開いた。
「……これ……この、曲……。母さんが歌ってくれた歌だ……」
「へ?」
ぽかん、と口を開けるミーアに、ヤナが興奮した様子で言った。
「昔、母さんが歌ってくれたんです……。あたしたちに、子守歌でよく歌ってくれてた歌なんです」




