第百六話 夜中の皇女子会
さて、とりあえず、シューベルト邸に帰るのは二日後にして……。予定通りこの日の夜は、クラウジウス邸に泊まることになった。
そう、あの……呪われたクラウジウス邸に……!
ということで……。
「……まぁ、ハンネス大叔父さまが生きているのであれば、呪いとかも嘘でしょうし……うん。大丈夫に違いありませんわ」
ミーアは、ベッドの上でぶつぶつつぶやいていた。
アンヌも一緒に……と思っていたミーアであったが、父が同行しているので、あまり好き勝手なことはできない。本来、主人と従者とは、同じ部屋で寝たりはしないものなのだ。否、そもそも、高貴なる姫殿下と言うものは、広い部屋に一人で眠るのが普通なわけで……。
ミーアは、客室に一人きりだった。
「大丈夫、大丈夫……だいじょう……ぶ?」
がたり、とどこかで音がする。
びっくーんっと跳び上がったミーアは、そのまま、ベッドの中に潜り込み、ギュッと目を閉じた。
「醍醐羊が一匹、醍醐羊が二匹……美味しいミルク、飲みたいですわ……」
雑念混じりに、羊の数を数え始めたミーアであるが……睡魔はなかなか訪れない。あまぁいホットミルクが飲みたくなってきて……眠気が飛んでしまう。
「羊を数えるからいけないんですわね。ここは、馬の数を数えて……荒嵐が一匹、東風が二匹……馬パンを久しぶりに食べたいですわね……」
ちょっぴり夕食の量が足りなかったミーアであった。
っと、その時だ。再び、がたり、と音が鳴る。それも、すぐそば……。ベッドの真下から!
びっくーんっと跳び上がったミーアは、恐る恐る、ベッドの下を覗き込んで……見たっ!
ベッドの下から、髪の長いナニカが這いだしてくるのを……っ!
「ひっ! ひぃいいいいいいっ! あっ、アンヌ、アンヌぅっ!」
かすれた声を上げるミーアに、その這いだしてきたナニカは、ミーアの姿を見て、
「あ、ミーアお姉さま。よかった、無事に来られました」
ニッコリ笑みを浮かべた。
「へ……、あ……ああ。ベル……」
現れたのはベルだった。さらに、その後ろからは、パティが這いだしてくるのが見えて……。
「二人とも、なぜここに……? というか、なぜ、ベッドの下から?」
「えへへ。パティ、すごいんですよ。このお屋敷の隠し通路のこと、すごく詳しくって」
パティのほうを見ながら、ベルは笑った。
「なるほど……。隠し通路……そのようなものが……。しかし、なんだか、前にもこんなことがあったような気がしますわね」
そういえば、初めてベルと出会った時、同じように幽霊だと思ったんだっけ……。
ミーアは思わず懐かしい気持ちになる。思えば、あれから二年近く経つのか……と。
「……って、まさか、探検しようと思っただけなんですの?」
「はて? そこに隠し通路がある。入るのに十分な理由じゃないですか?」
きょっとーん、と不思議そうに首を傾げるベルに、ミーアは思わず頭を抱えかけるが。
「ふふふ、というのは、冗談で。実は、パティが、ミーアお姉さまに用があるって言うんで、連れてきました」
「あら、パティが?」
首を傾げつつ、パティのほうに目を向ける。っと、パティは小さく頷いて、
「あの……どうしても聞きたいことがあって……」
おずおずと、パティは話し始めた。
「ミーアお姉さまが、私の孫だって……いうのは、本当ですか?」
「ええ。それはさっき言いましたわよね。本当のことですわ」
「ということは、ええと、パパ……じゃない。皇帝陛下が私の、子ども……?」
心なしか、顔色を悪くしながら、パティが言った。
「まぁ、そういうことになりますわね。あんな感じなので、不本意かとは思いますけど……、あ、でも、いい人ですわよ? 優しいし、そこまで悪い人ではありませんわよ? だから、あまり気落ちしなくても……」
などと、自らの父を弁護するミーアだったが……。パティは、膝から崩れ落ちるようにしてうずくまる。それから、自らの頭を守るように、両手で抱えた。
「ありえない……。どうして……」
その口から、小さなつぶやきがこぼれおちた。
「どっ、どうしましたの? パティ……?」
突然のパティの反応に慌てるミーア。パティは、うう、っと唸った後……。
「だって、マティアスって名前……犬の名前、だから」
「…………はぇ?」
「マティアスっていうのは、私が昔飼っていた犬の名前です。私……どうして?」
などと、ガッツリへこむパティ。その一方でミーアは……。
「犬の名前……お父さまが……?」
脳裏に浮かぶのは、城に帰るたびに「パパと呼びなさい!」と言いつつ、走り寄ってくる父の姿……。ちょっぴり大型犬めいた、その姿をついつい思い出してしまって……。
思わず、ベルと顔を見合わせて……それから、ミーアとベルは吹き出した。
しばし、しかつめらしい顔をしていたパティだったが、ミーアたちにつられたのか、くすくすと小さな笑い声をあげる。
それは、とても……とても、楽しい時間だった。
「あ、そうですわ。せっかくですし、アンヌとリーナさんも呼んで女子会にするのはどうかしら? ヤナも呼んであげて……。キリルくんにはご遠慮いただいて……」
と、そこまで言ったところで、ミーアは一瞬、黙り……。
「いえ、そうですわね……。やっぱり、せっかくですし、今日は三人だけで……。それに、時々、また、三人でお話ししましょうか」
考えてみれば、ミーアは祖母と話をしたことがない。ミーアが物心つく頃には、彼女は亡くなっていたからだ。当然、ベルだって、こんなことがなければ、パティと話すことはなかったのだ。
こうして、三人が集まって話をする……それは、まるで奇跡のような瞬間で……。
「いつ二人が元の世界に帰ってしまうかわかりませんけれど、それまでの間は、たくさんお話ししたいですわ」
そんなミーアの提案に、孫と祖母は、笑顔で頷くのだった。