第百五話 彼の目指す剣
さて、ミーアを筆頭とする頭脳班(ごく一部を除く)が奮闘している頃、屋敷の警備にあたっていた者たちもまた、しっかりと仕事をしていた。
「どのような事態にも対応できるよう、しっかりと周囲を固めておくように」
指揮するのは、始まりの皇女専属近衛隊員こと、忠義の兵、オイゲンだった。
てきぱきと部下に指示を飛ばす彼のそばには、アベルとディオンの姿があった。
「敵の侵入を防ぐことはもちろんだが、館を出なければならなくなった時の、脱出路も想定しておく必要がありそうですね」
顎に手を添えながら、アベルが言った。
兵の数が揃っていれば、館への侵入を防ぐのは、そう難しいことではない。
逆に、屋敷に火を放つなどして、燻し出されたところを奇襲されるほうが危険そうだった。
城壁を打ち破り、外から城を攻め落とすのは楽ではない。それよりは、なんとかして城から出させるか、あるいは、こっそり内部に侵入する方法を考えるほうが幾分楽なものなのだ。
「なるほど。確かにその通りですな。いくつか脱出経路を想定しておいたほうがいいでしょう」
そう頷くと、オイゲンはすぐに部下に指示を飛ばす。
「ディオン殿は、なにか、お気づきのことはありますか?」
「そうだね……。まぁ、土地勘がないわけだから、警戒するに越したことはないと思うけどね……。僕としては、こっそり中に潜入される危険性も決して低くはない、と思ってるよ」
「それは、シューベルト邸のように、秘密の通路がこの屋敷にもある、と……?」
そう眉間に皺を寄せるアベル。
「無論、それも一つの方法だ。しかし、正面から突破してくるかもしれない」
ディオンは、静かにオイゲンに目を向ける。
「ここを襲うなんて言うんだったら、当然、敵は手練れだろう。もしも、あの狼使いと同程度の暗殺者が送り込まれたら……。君たち近衛兵は精鋭には違いないが、それでも、二人程度ならば声を上げる間もなく殺されるだろう」
「なるほど……。では、最低でも三人一組で行動するようにしましょう。そうすれば、声を上げて警告を発せるでしょう」
オイゲンは、特に怒った様子もなく、当然のことのように言った。
「そうだね。欲を言えばあと一人追加して、戦わずして、敵を威圧することを考えたほうがいい。兵の損耗はできるだけ防ぐべきだし、そのほうが姫さんも喜ぶだろう」
それから、ディオンはアベルのほうに目を向けた。
「姫さんが喜ぶといえば、アベル殿下は、こんなところにいてもよろしいんですか?」
わずかにからかうような笑みを浮かべて、ディオンが言った。
「ああ、あちらにはミーアもいるし、ルードヴィッヒ殿や、その後輩殿もいる。ボクがいても、あまり役に立てるとは思えなかったのでね」
ルードヴィッヒはともかく、ミーアが戦力として考えられている辺りに、致命的な計算ミスがあるような気がしてならないのではあるが……。
「それに、時間があれば、ディオン殿に稽古をつけてもらおうと思ったのだが……」
「稽古、ですか……ふーん」
すぅっと瞳を細めて、ディオンがアベルを見つめる。
「別に構いませんが……。ただ、もしも稽古をするのであれば、その前に方針を決めていただきたいですな」
「方針……? というと?」
不思議そうに首を傾げるアベルに、ディオンは姿勢を正して言った。
「アベル・レムノ王子殿下……。あなたは、剣になにを求めているんですか?」
「なにを、求めて……?」
虚を突かれたような顔をするアベルに、ディオンは続けた。
「あなたは強いですよ。王族が戦場に出なければならないのだとしても、そのぐらい強ければ十分でしょう。それ以上を求めるのであれば……ただ漠然とした強さではなく、しっかりと、具体的なヴィジョンが必要なのではないか、などと思いましてね……」
それから、ディオンは、そっと腕組みをして……。
「レムノの剣聖、ギミマフィアス殿の教えは徹底していたのではないですか? あの御仁は、王が必要とする剣術というものをよくご存じだ。戦場において、王が斃れることの意味を、彼はよく知っているのでしょう」
アベルの脳裏に、レムノの老剣士の顔が思い浮かぶ。
彼は、圧倒的な剣の技量を持ちつつ、常に、どんな手を使ってでも勝つこと、最後まで戦場に立ち続け、生き残ることを強調していた。
「では、あなたのご友人、シオン殿下の剣はどうか? あれは天才の剣。されど、サンクランドの剣の本質は、正義を執行する、正々堂々たる剣。シオン殿下も、また、それに倣った剣の使い手となるでしょう」
相手の攻撃を、正々堂々と正面からいなし、圧倒的な一撃によって粉砕する。
卑怯さを一切含まない正義の剣。それこそがシオンの剣だ。
「そして、僭越ながら、僕、ディオン・アライアの剣は、戦場で百人、二百人を斬り倒す剣。恐怖と威圧により、相手の足を止めることを目指した剣です。まぁ、自分で言うのもどうかと思いますがね」
ディオンは肩をすくめて言った。
「いや、正直、ミーア姫殿下の剣として、このやり方じゃダメだと、自分でもやり方を模索しているところなんですが……。まぁ、それはともかく……」
静かな、けれど、鋭い視線がアベルを貫く。
「アベル殿下が目指す剣は、奈辺にあるのか……。正直、他国の王子殿下にこのようなことを言うのはいかがなものかと思うのですがね……。ただ、あなたは、うちの姫さんの想い人。そして、あなた自身も、ご自身の将来を、姫さんの隣と定めているらしい。ならば、それを踏まえたうえで、聞かないわけにはいかなかったものでね」
「なるほど……それは、考えたことがなかったな……。そうか……」
アベルは、うつむき黙り込む。されど、沈黙は一瞬。すぐに答えは出た。
……否、答えは初めから決まっていた。
「ボクが目指すのは――ミーアを支え、守る剣だ」
顔を上げ、真っ直ぐにディオンを見つめて、アベルは言った。
「ミーアの盾となって守り、倒れそうになる時には支える、そんな剣術だ」
「ほう……。なるほど」
その言葉に、ディオンの目に、興味深げな光が宿る。それから、彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「盾……。そうですな……。それならば……実際に持ってみますか? 盾を」
「盾……?」
思わぬことを言われ、アベルは目を瞬かせた。
「僕の見たところ、あなたの剣は攻めの剣。上段からの強烈な振り下ろしにより、相手の体勢を崩し、終始優位を確立しようという剣。確かに強いが、誰かを背中に守りながら戦うには、不向きな剣だ」
「なるほど、それを補うための盾か……」
「王族には相応しくない、ですかね?」
「いや、そんなことはない。ただ、盾というのは、考えたことがなかったな……」
物思いにふけるアベルに、ディオンは、彼にしては珍しく優しい笑みを浮かべるのだった。