第百四話 ミーア姫、かぶる……!
「あら……この紙……穴が空いてますわね」
ベルから受け取った紙を見て、ミーアは小さく首を傾げた。ゆっくりと、それを指でなぞってから……。
「これは、虫食い……かしら?」
「おお! やはり、ミーアもそう思うか! 私も同意見だったぞ」
嬉しそうに笑みを浮かべるのは父、マティアスであった。
ギョッとしたミーアは、思わずベルのほうに目を向けると……。
「はい。パパもさっき同じことを言ってました」
ベルはニコニコしながら頷いて、
「やっぱり親子ですね」
「わはは、そうだろうそうだろう。さすがは我が娘ミーアだ。わはは!」
よほど嬉しかったのか……上機嫌に笑うマティアスである。
ウザ! ……と思ったミーアであったが、当然、口に出すようなことはせず、ただ、頬を引きつらせつつ……。
「い、いえ。よくよく見れば、穴の位置が揃ってますし、虫食いなはずがありませんでしたわね。わたくしとしたことが、ついうっかり愚かなことを言ってしまいましたわ」
それから、ミーアは改めて紙を見つめて、真剣に……真剣に! 考えて……!
「これは……もしや、火で炙ると文字が浮かび上がるとか……」
「ああ、やっぱり、そう思いますよね。ボクと同じ考えです!」
今度はベルが嬉しそうに声を上げる。
「さすがは、ミーアおば……お姉さまです。うふふ、意見が合うなんて嬉しいなぁ」
お気楽な笑みを浮かべるベルに……ミーア、若干の渋い顔をする。
――真剣に考えた結果がベルと同意見と言うのは……どう考えればいいのかしら?
っと、そこで、横からシュトリナが手を差し出して、
「ミーアさま、失礼いたします」
紙を受け取ったシュトリナは、そっとそれを鼻に近づける。そっと瞳を閉じて、小さな鼻をひくひくさせてから……。
「一般的な、炙り出しに使う薬品には、特徴のある匂いがつくものですが、これからは感じられません」
紙をミーアに返しながら、シュトリナは続ける。
「無臭の薬品を使ったか、あるいは、年月を経るうちに匂いが薄れてしまった可能性もありますが、今の時点で火に当てるのは、リスクが大きいと思います」
「ふむ……。なるほど……。とすると……」
再びミーアは、ジッとその紙を眺めていたが……ふと、なにか思いついたのか、ポン、と手を打ち、
「ああ。そうですわ。パティに聞くのがいいんじゃないかしら?」
なにしろ、パティは、この屋敷のもともとの住人である。しかも、この紙を残したのは、恐らく彼女の弟のハンネスのはずなのだ。
一瞬、そんなことしたら、父にパティの正体がバレるんじゃ? と考えなくもなかったが……。横目で窺った限りでは、父は、ちょっぴりお馬鹿な高笑いを続けている。
――まぁ、大丈夫ですわね。この感じなら、たぶん。
そもそも、時間を越えて幼き祖母が、この時代にやってきた、などという事態を想像しろというのが無理な話なのだ。
ということで、ミーアはパティに目を向けた。
話を振られたパティは、目をパチパチ瞬かせていたが、おずおずとその紙を受け取る。
「どうかしら、パティ。これに、なにか心当たりはございますかしら?」
言いつつ、ふと、ミーアは思った。
――しかし、よくよく考えると、この紙がなにか大きな手掛かりになっていると考えるのは、早計なのではないかしら? 仮にこの穴が人為的に開けられたものであったとしても、ハンネス卿に繋がる手掛かりになるとも限りませんし……。そもそも、屋敷にいた子どもの、ただの悪戯ということも考えられますわ。
「これは……」
紙を受け取ったパティは、マジマジとそれを見つめた。そっと紙の表面を細い指でなぞって、それから、ハッとした顔をする。
「音……」
「え……?」
パティはミーアのほうに目を向けて、それから、もう一度、紙に目を落として……。
「これは、音を記録したもの……。シューベルト侯爵家の、あの楽器があれば、弾けると思います」
「ほう。音を……」
唸るミーアの後ろで、ルードヴィッヒが手を打った。
「ああ、そうか。聞いたことがあります。十年近く前から、教会では、伝統的な聖讃美歌を民衆が歌えるように、音を記号であらわす試みをしていると……。確か、発案者の名前をとってヨルゴス式音階とか……」
音楽は、神が民に与えた喜びの表現法……と、神聖典は語る。
神を讃え、種蒔きに、収穫に、その御業を感謝する時に、人々は音楽を使ってきた。
けれど、それが、真に民衆のものになったのは、つい最近のことだった。
教会のとある神父が発案した表記方法。通称ヨルゴス式楽譜が登場するまでは、音楽を表記する方法は、この世界にはなかったのだ。
ゆえにそれまでの音楽は、楽器を扱う専門の職人によって、師から弟子へと伝わるもの。あるいは、歌い継いでいくもの、と思われていた。
人々が真の意味で音楽に親しむようになったのは、西方の小国に派遣された神父ヨルゴスによって、十二の音階の表記法が発案されてからのことで……。けれど……。
「え? そんなはずない。だって、これは、私とハンネスが考えたんだから……」
パティは、目を見開いて言った。
「あの楽器を弾いて、二人で遊んだの……。私たちだけが知ってることのはず……」
その言葉に、紙を手にしたルードヴィッヒは、すっと眼鏡の位置を直した。
「もしも、それが本当であれば、その神父とハンネスさまは、なにか、繋がりがあるのやもしれませんね」
「なるほど。ハンネス大叔父さまから聞いたことをもとにして、その神父さまが、音階表記法を発案したと……」
顎に手を当てて、考え込むミーア。そのすぐそばで、
「ヨルゴス神父って……もしかして……」
ヤナが弟、キリルの顔を見た。
「もしかして……あの時の……」
皮肉屋ヨルゴスを忘れてもいいと言ったがあれは、嘘だ……




