第七十八話 ルードヴィッヒ、謀(たばか)る
――どっどっど、どうして、この男がこんなところに、おりますのっ!?
意識を取り戻したミーアは、目の前に立つディオンに目を向ける。
「ご気分はいかがですか? ミーア姫殿下」
愛想のいい笑みを浮かべて、ディオンは頭を下げた。
「お初にお目にかかります。僕はディオン・アライア。この地に派遣された帝国軍の指揮をとっています」
悪意の感じられない完全無欠な笑み。けれど、ミーアはその笑みに刺し貫くような恐怖しか感じなかった。
その顔を見ると、首筋に、冷たい刃の感触がよみがえってきそうで……。
「? どうかしましたか? 姫殿下」
呼びかけられ、顔を上げる。と、そこには、ディオンの顔があった。
すぐ目の前、まるでミーアの心を見通すかのように、じっとミーアの目を見つめてくる。
「ひっ、ひぃっ」
思わず、腰が抜けて座り込みそうになるのを、横に立っていた大柄な副隊長が慌てて止める。
「大丈夫ですかい? 姫さん、馬車で酔われたんじゃねぇのかい?」
気遣うような言葉も耳には入ってこない。
ミーアは、ディオンから視線を外すことができなかった。
「僕の顔に何か?」
「なな、なんでもありませんわ。こ、この、副隊長さんが、熊のようで怖かっただけですわ」
「ははは、熊はよかったな。まぁ、確かにお姫さんには俺の顔は怖いでしょうなぁ」
豪快な笑い声をあげる副隊長。けれど、ディオンは冷静にミーアを観察していた。
――嘘だな。この子、さっきから僕に怯えてる。
そう推察したディオンは、ミーアの観察眼の正しさを認めた。
悪人面ではあっても子どもに甘いところがある副隊長は、よほどのことがない限りミーアに手をかけるようなことはない。
例えばミーアが武器を構えて襲ったとしても、その武器のみを狙うような、そんな優しさがある。
一方、一見して優男のディオンだが、必要があれば子どもであろうが容赦なく殺す。
相手が武器を持ってこちらを殺しに来るならば、容赦することはない。しかも、強さで言ってもディオンの方が圧倒的に上なのだ。
だから、ディオンの方を警戒するという態度は正しいのだが……。
――戦場で対峙した戦士というならともかく、帝室育ちのお姫様が、そんなことを見取ったのだとしたら、侮れないな。
そんなことを考えている時だった。
ミーアの付き添いで来ていたメガネをかけた文官、ルードヴィッヒが唐突に口を開いた。
「ミーア様、ディオン隊長とともに森の査察に行ってきてください」
「……はへ?」
ぽかんと口を開けて、ミーアは間の抜けた声を出した。
――お、おほほ、まったくもう、何を言っているのかしら、このメガネ……。
などと、一瞬、現実逃避しかけるミーアであったが……。
「このまま子爵邸に行っては妨害される恐れがあります。秘密裏にミーア様だけ行かれる方が、状況をしっかり把握できるはずです」
ルードヴィッヒが本気で言っていると気づいて、慌て始める。
「なっ、ちょっ、まっ!」
「勝手に話を進められても困るよ、ルードヴィッヒ殿」
ディオンが面倒くさそうに、顔をゆがめる。
「それに、もしも森にお連れするにしても、ミーア様だけということになりますよ?」
「それはどういう意味ですかな? 我ら近衛は当然同行を……」
「鎧が目立ちすぎるよ。森は今、緊張状態。ルールー族を刺激して、戦が始まったら君ら、責任とれるの? それとも……」
ディオンは、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべて言う。
「脱ぐかい? 近衛の証であるその鎧を……」
「そうせねばならぬなら、そうするのみ。姫殿下に付き従うことこそ、我らが誇りだ。全員、武装を解除、鎧を脱ぎ、剣のみ携えて姫殿下に続け」
朗らかな笑みを浮かべ、近衛隊長が言う。その命令に、一切の迷いもなく従おうとする近衛たち。
さすがのディオンも、驚きに目を見開く。
近衛兵と言えば、忠義と武力の双方を認められた、帝国軍一プライドの高いエリート集団だ。にもかかわらずの、この行動である。
「……それだけミーア姫に心酔している、ということか?」
口の中で小さくつぶやく。
「そのぐらいにしてくれ、近衛隊長。君たちには俺たちといっしょにきて、ベルマン子爵へのカモフラージュをしてもらわなければならない」
「ですがっ!」
「二名だ。二名をミーア様に同行させ、他は我々とともに子爵邸に」
そういうと、ルードヴィッヒはディオンの方を見た。
「それで、どうですか?」
「あー、うーん、まぁ、そういうことなら、仕方ない、かな」
ここまで相手に折れられては、ディオンとしてもノーとは言えない。それに、少しだけ興味が出てきてもいたのだ。
近衛兵たちにここまでさせるミーア姫という存在に。
「そういうことで、よろしいですね、ミーア様」
一方のミーアだが、
――ぜっ、ぜぜ、ぜんぜんよろしくないですわっ!
引くに引けない状況、すでに自分が口を差しはさめる状況ではないことを敏感に察してしまい……、
――ぜんっぜん、よろしくないですわっ!!!
心の中で大絶叫を上げるのだった。




