第八話 ミーア姫、ドヤ顔を披露する
彼との出会いは、最悪だった。
その日、ミーアは、とある青年文官のもとに慰労に訪れていた。
第一印象は、それほど悪くなかった。いや、むしろ良いほうだった。
耳が隠れるぐらいまで伸ばしたサラサラの髪、外国製の小さなメガネのレンズの向こう側、涼やかな瞳が知的な光を放っていた。
少し冷たい感じはするものの、とても端整な顔立ちは、ミーアの審美眼にも十分かなうものだった。
だから、ミーアは、平民には滅多に見せない微笑みを浮かべて、優しく声をかけたのだ。
にもかかわらず、返ってきた答えは、
「あなたたち王族の食事にいくらかかっているか、知っているのか?」
これだった。しかも、大変冷たい、凍えるような声で、だ。
「な、なんですの? あなた、少し失礼じゃないかしら?」
突然のことに、ミーアは目を白黒させた。
目の前のメガネの青年は、どうやら怒っているようだったが、なぜ、怒っているのかがまったくわからない。
誰かに怒られたことなんか、ほとんどないミーアである。
まして、初対面の相手にそんなことを言われるとか、意味がわからない。
「そもそも、どうして、労いに来て、そんなことを言われなければならないんですのっ!」
そうなのだ。彼女は、今、目の前の人物にありがたいお言葉をかけにきているのだ。
財政破綻に、流行病、少数部族の反乱によって、窮地に立たされた帝国。多くの文官と武官、大臣まで逃げ出しかねない状況にあって、孤軍奮闘している青年文官がいるという話を聞いたミーアは、
「なかなか感心なお話ですわ。このわたくしがじきじきに訪問してあげるべきですわね」
と思い、こうしてやってきたのだ。やってきてやったのだ!
なのにっ! なのになのにっ!
忠義の青年文官は、眼鏡の奥の冷めた瞳を、ちらり、とこちらに向けて、冷たく一言。
「あなたたち王族の……」
なぁんて、言いやがったのだ。その上、
「いつまでもそんなところに突っ立っていられると邪魔です。時間があるなら、お姫様にしかできない仕事をやってください、ミーア姫殿下」
――なんて仕打ちですの! この男、絶対許してはおけませんわ!
ミーアはその日、腹立ちのあまり眠れなかった。
ベッドに入ってからも、ギリギリ歯ぎしりしつつ、枕をバンバン叩いて……手足をジタバタ暴れさせていたら、気づいたら朝になっていたのだ。
とまぁ、そんな感じで出会いは最悪だった。
でも彼が、ミーアが牢に捕らえられてからも帝国を立て直すために、各地を走り回っていたのは事実だった。
ミーアを釈放するようにも訴えてくれたらしいし、たくさんいた家臣の中でも、処刑される日に会いに来てくれたのは、彼とアンヌの二人だけだった。
それだけに、ミーアの彼に対する信頼は大きい。
――まぁ、もう少し口がよければ、言うことないのですが。
「……ふん、そこまで言うのであれば、ルードヴィッヒ三等税務官、貴官に赤月省への出向を命ずる」
そうこうしている間に、事態は転がりだしていた。
――ああ、そうですわ。ルードヴィッヒでしたわ、あいつの名前……、って、赤月省?
「……地方に行け、ということですか?」
「そのとおり。地方の税を増やせば、貴官の言う帝国の危機とやらも回避できるだろう?」
「ですが……」
――ああ、まずいですわ。これ、あの陰険メガネ、さっそく地方に飛ばされそうになってますわ!
ミーアは大いに焦った。
地方に飛ばされた彼が帝都に戻ってくるのは、ティアムーン帝国がどうにもならなくなってからなのだ。
それはすなわち……、
――ぎっ、ギロチンまっしぐらですわっ!
いそいで物影から飛び出したミーアは、二人の前に踏み出した。
「ちょっ、ちょっとお待ちなさい!」
「なんだ、おま……なっ……。み、ミーア姫殿下」
「お話は、大体聞かせていただきましたわ」
「これは、お見苦しいところをお見せしまして……」
突如現れたミーアに、上司の男は額に浮いた脂汗を拭きつつ言った。
「構いませんわ。それより、あまり感心いたしませんわ。安易に若い役人を地方に飛ばそうというのは。大いに議論を重ねて、帝国のために働いていただきたいですわ」
「はっ、いえ、ですが……」
なにか言いたげな役人に、ミーアはちらり、と一睨み。
「あら? わたくしの言うことが聞けないのかしら?」
「うぇ? いえ、めめ、めっそうもございません」
「そう、よかったですわ。ところで、そこの若い方、えーと、確か、ルードヴィッヒさんとか、言ったかしら?」
「え、ああ、はぁ……」
突然、話を振られて、ルードヴィッヒが戸惑い気味の声を上げる。
「ちょっとお話があるのですが、よろしいかしら?」
ミーアはルードヴィッヒの手をつかむと、建物の裏に連れだした。
「あの、なんでしょうか? 俺……いえ、私は仕事があるのですが……」
先ほどまでは、どこか呆気にとられた様子だったルードヴィッヒだったが、冷静さを取り戻したのか、今は白けた様子だった。
「少しお話したいんですの」
「あの、俺、忙しいって言ったんですけど……」
「ちょっと教えていただきたいことがあるんですの」
「……お構いなしですか。聞きしに勝るわがままっぷりですね」
ちょっと呆れた様子で肩をすくめてから、ルードヴィッヒはため息を吐いた。
「で、なにが聞きたいんですか?」
「そうですわね、単刀直入に言うなら、帝国の財政をどうすれば立て直せるか、ということになるかしら」
それを聞いて、ルードヴィッヒの瞳が、すぅっと細くなった。
「ふん、ならば、聞きましょうか。ミーア姫殿下、あなたの食事にいくらかかっているか、あなたは知っていますか?」
まるで、バカにするように鼻で笑って、ルードヴィッヒは言った。
それに対して、
「そうですわね、一食あたり、あなたのお給金の一か月分ぐらい、三日月金貨一枚と言ったところじゃないかしら?」
最上のドヤ顔で答えるミーアだった。