第百二話 妙ですわね……
「病気……?」
ミーアは確認するように、自らの知恵袋、ルードヴィッヒのほうに目を向ける。
「いえ、クラウジウス候が病気であったという話は聞いていませんが……。念のため、ジルベールにも確認したほうがいいでしょう」
「そうですわね。ふむ……」
ルードヴィッヒの答えを吟味するように腕組みし、ミーアは考え込んだ。
「治った……ということなのかしら。ねぇ、パティ、その病気は、治るものなんですの?」
「……わかりません」
吐き出すように言って、パティはギュッと唇を噛みしめる。
「詳しいことはなにも……」
大変、悔しそうなその顔に、ミーアは慌ててフォローする。
「ああ、そんなに気にする必要はありませんわよ? それが普通というものですわ」
いかに聡明な自らの祖母パティといえど、十歳そこそこの少女に、病気の詳細を問うのは酷な話だろう。しかも、パティが持っている知識と言うのは、大部分が蛇からのもの。であれば、当然、蛇は大切なことは教えていないだろうし……。
などと考えつつ、ミーアは腕組み。考えてるっぽい雰囲気を醸し出す。
「とすると……ハンネス殿は……ええと……うーんと……」
ぐむむ、っと唸るミーア。っと、そこに、すすすっとアンヌが歩み寄ってきて……。
「ミーアさま、あの、よろしければ、お茶とお菓子をお持ちしようかと思うのですが……」
そんな提案をしてくれた!
それで、ミーアはようやく気付いた。自らの体内の糖分が、すでに払底しているということに!
お腹をさすりつつ、改めて空腹を実感したミーアは、ほわぁ、っと力の抜けた笑みを浮かべた。
「ああ、よく言ってくれましたわ、アンヌ。確かに考えごとをする時には大切ですわね、お茶とお菓子は。すぐに用意していただきたいですわ」
そうして、ミーアの命を受けて、素早くお茶の準備を始めるアンヌであった。
さて、小休止の後、ミーアの目の前には、淹れたての紅茶と、大きめのクッキー二枚が運ばれてきた。
二枚ではちょっと少ないような気がしないではなかったが、夕食前であることを考えると、こんなものだろうか。
「うふふ、やはり、考えごとをする時には甘いものとお茶、ですわね」
上機嫌に笑うミーア。その正面にはパティが座る。さらに、その両隣にはルードヴィッヒとシュトリナがそれぞれ座っていた。
アンヌだけは、やはり気遣うようにパティのそばに立ち、ミーアの指示があれば、すぐにでも動き出せる姿勢をとっていた。メイドの鑑である。
――本当に、アンヌにはいつも助けられてばかりですわ。
っと心の中で感謝しつつも、さっそく、クッキーを一口。
さくり、さくり……。
それを紅茶で洗い流す。
――おや、このクッキーなかなかですわね。甘さが控えめですけど、その分、上品なお味……。うーん、もう一枚。
さくりさくり……。
紅茶をもう一口。うーん、美味しい!
「ミーアさま……よろしければ、少し状況を整理いたしたく思いますが……」
ふと、そんな声が聞こえる。視線を上げると、ルードヴィッヒがこちらを見つめていた。
「ええ。そうですわね。現状わかっていることと、疑問点を挙げていただけるかしら……?」
「では、僭越ながら……」
眼鏡の位置をクイッと直し、ルードヴィッヒが話し始める。
「まず、今の休憩時間に、ジルベールに確認をとってきました。クラウジウス候ハンネスさまが、ご病気を召しておられた、という話は、少なくとも公の記録には残っていないようです」
「なるほど。ということは、やはり完治したということかしら……あるいは……」
っと、ミーアはパティのほうに目を向けて、
「その病気というのは、薬を飲んでいる限りは、わかりづらいものなんですの? 目立った症状が出ないとか、そういうことは?」
「薬を飲んでいれば、少し元気がないぐらい。体が弱い子というぐらいです……。でも、飲まなかったら、衰弱して死んでしまう……」
「薬を飲まなければ、死んでしまう……ふむ。とすると……」
ミーアは、ゴクリ、と紅茶を飲んでから、テーブルの上に手を伸ばし……。その手が空を切る。
ミーア、思わず目を見開き、確認。クッキーのお皿が空になっているのを見つける!
「……妙ですわね」
わたくし、いつの間にクッキーを食べたのかしら……? と、思わず首を傾げるミーア。それに同調するようにルードヴィッヒが頷いて。
「ええ、ミーアさまの仰るとおり妙です。もしも、薬を与えないだけで死ぬというのであれば、わざわざ、イエロームーン家を使って殺させる必要がない。薬を与えなければいいだけですから……」
その指摘に、シュトリナが続く。
「お父さまの代になって以降、イエロームーン家は一人の暗殺にも関与していない。暗殺対象は国外に逃がし、いずれ、蛇と袂を分かつ際の味方にしようとしていたから……。だから、そんな症状を持つ人を、なんの備えもなしに国外に逃がしたとは思えません」
「確かにそうですわね。リーナさんのお父さま……ローレンツ卿は、抜け目ない方ですし……。となると、病気が完治したのか、あるいは、蛇以外から薬を継続的に手に入れる手段を得ていたのか……」
クッキーから瞬時に思考を切り替え、さも"まさに、そのことを考えていました"的な顔を作るミーア。熟練波乗り師の面目躍如といったところだろうか。
「いずれにせよ、ハンネス大叔父さま……? にお会いして聞いてみなければ、なんとも言えませんけれど……」
っと、その時だった。不意に、ドアが勢いよく開いた。
「ミーアお姉さま!」
賑やかな声をあげて入ってきたのは、ベル探検隊の一同だった。
「もう、ベル、少しはしたないですわよ? もう少し慎み深く……」
「そんなことより、気になるものを見つけたんですけど、見ていただけますか?」
ミーアの注意を華麗にスルーしつつ、ベルが差し出してきたもの……それは……。