第九十五話 報告、そして……
とりあえず、ミーアは、自身が滞在する予定の部屋にやって来た。
そこは、領主の執務室、といった趣の部屋だった。
重厚な机と、分厚い本が収められた本棚、接客用の円形のテーブルなども置かれている。
オヤツの合間に仕事をするには、ちょうど良さそうな部屋だ、とミーアは分析する。さらに、壁には剽悍な青年の肖像画が飾られていた。おそらくは十代の後半ぐらいだろう。若々しい生気に溢れた彼が、パティの弟、ハンネスだろうか?
――大叔父、ハンネス。どんな人だったのかしら……?
っと、そうこうしている間に、ルードヴィッヒの後輩、ジルベール・ブーケがその場に片膝を付いて一礼する。
「ああ、そんなのは不要ですわ。ええと、ブーケさん?」
「よろしければ、ジルベール、もしくは、ジルと呼んでくれると嬉しいっす」
「そう。ならば、ジルさん。そこの椅子に座って、報告を聞かせていただけるかしら?」
それから、ミーアはルードヴィッヒにも目を向けて、
「ルードヴィッヒも、疑問に思ったことは構わないから、すぐに聞いていただきたいですわ。わたくしでは気付かないことがたくさんあると思いますし……」
「かしこまりました。もっとも、そんなことはあり得ないと思いますが……」
ルードヴィッヒは苦笑いしつつ、ジルの隣に座る。ミーアも同じく円形の卓を囲んだところで、ジルベールの報告が始まった。
「ルードヴィッヒ先輩の指示を受けて、私と護衛の二名は、クラウジウス家のことを探っていたっす。ただ、いかんせん、昔の話ですし、聞き取りをするにも限界がある。ということで、少しリアクションを見たいな、と思いまして……」
「……クラウジウス家のことを探る者がいるという情報を、それとなく流したのだな?」
ルードヴィッヒが探るような目つきで見つめる。と、ジルは苦笑いを浮かべて頬をかいた。
「まさか、それが、誘拐未遂事件を誘発するとは思ってなかったすけど……面目ないっす。リアクションが来るとしたら、こっちかと思ってました」
一転、しゅんと肩を落とすジルに、ミーアは首を振った。
「レティーツィアさんが誘拐されたのは、遅かれ早かれ確実なわけですし。防げたのですから、問題ありませんわ。それよりも、自分の身を危険に晒すようなことは、避けていただきたいですわ」
あのルードヴィッヒが信頼して、仕事を任せるような人物と釣り合うような情報というのは、ミーアには想像できない。自身がイエスマンでいるための貴重な人材を失う愚を避けたいミーアである。
「敵の最大戦力は狼使い……火馬駆だと思っておりましたけれど、聞くところによれば、それをも凌ぐ実力者がいるとか。用心するに越したことはありませんわ」
ミーアの言葉を受けて、ジルは、ぽかん、と口を開けたが、すぐに首を振り……。
「ご心配いただき恐縮っす。以後は、このようなことをしないように心がけるっす」
それに、一つ頷きを返してから、ミーアは続きを促した。
「はい。それで、ええと、クラウジウス候ハンネスが失踪したのは、今から二十二年ほど前、皇妃パトリシアさまが亡くなる五年前のことみたいっすね」
「まぁ……わたくしが生まれるより前のことなんですのね……」
どうりで、覚えていないはずだ、とミーアは納得する。そもそも、会ってすらいないのであれば、記憶に残るはずもない。まぁ、もっとも、会ったことがあるとしても、どうでもいいと思ったことは綺麗さっぱり忘れたりするのが、ミーアという人ではあるのだが……。
「では、もしかすると、あそこに飾ってある肖像画は、ハンネス卿の若かりし日の姿かしら?」
ミーアがそう問いかけると、ジルは、なぜだろう、悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「いえ、あれは失踪する、その直前に描かれたものみたいっすよ」
「失踪する直前……? というと、ええと、四十代ぐらいかしら? ですけれどあれは、どう見てもまだ少年の姿に見えるような……」
「どうも、それが呪われたクラウジウス家という噂に、信ぴょう性を生む結果になったとか、そういうことみたいっすよ。なんでも、ハンネス卿は、悪魔に魂を売ったがゆえに、年を取らず、いつまでも若々しいままであった……とか。領民の血をすすって若さを保ってるとか、いろいろと噂は耳にしましたが……」
それから、ジルは少しだけ真面目な顔をして、
「どうも調べたところ、ハンネスさまの失踪は、暗殺の線が濃厚のようっす」
「暗殺……ああ、やっぱり、そうなんですわね」
ミーア、小さくため息。それから、パティにどう話そうか考え出す。
――生きててくだされば、まだ話しやすかったのに……。ぐぬぬ、なんと説明したものかしら……。ああ、でも、蛇の関係者が暗殺したというのであれば、それをきっかけにパティを味方につけられるかもしれませんわね……。
考え込みつつも、ミーアは続きを促す。
「ちなみに、その暗殺、誰の手によってされたものですの? やはり、蛇?」
その問いかけに、ジルはうーん、っと悩ましげに唸って……。
「犯人は捕まってない……というか、暗殺自体が確定したわけではないのでなんとも、っすけど……。ただ……」
と、そこで言葉を切るジル。それから、
「これは、今、確認を取りに行っているところなんっすけど、どうも、この暗殺には、イエロームーン家が関わっているのではないか、と思ってまして」
「まぁ! ローレンツ殿が関わっているというんですの? あら? ということは……」
ミーアの脳裏に、かつてのローレンツの言葉が甦る。
自分たちは、ただの一度も暗殺をしたことはない、と。
「もしかすると、ハンネス卿は……」
と、その時だった。ドアの外、かたり、という物音が聞こえた。
「え……?」
ビクッと、肩を震わせるミーア。なにせ、呪われたクラウジウス家で鳴った怪音である。
ビビるなというのは、大変、酷な話であって……。
ルードヴィッヒとジルが急いで扉を開ける。っと、そこに立ち尽くしていたのは……。
「……ぱ、パティ? 今の話を聞いて……」
蒼白な顔をするパトリシアに、嫌な予感が、ミーアの中を駆け抜けて……。