第九十四話 ミーア姫、助言してみる
こうして、ミーアたち一行は、クラウジウス邸へと足を踏み入れた。
すでに、パティを連れたアンヌたちは、先に屋敷の中に入っている。また、護衛に当たっていた皇女専属近衛隊も屋敷の中に素早く展開していった。
その兵士たちの背中を見送りつつ、ミーアは、改めて屋敷の中を見回した。
――なんだか、やっぱり薄気味悪いですわ。
屋敷の外観と同じく、それは、ちょっとした違和感の積み重ねだった。微妙に、わからないぐらいに傾斜の付いた廊下。先が見通しづらい廊下は、蛇がのたうつように、わずかに曲がりくねっている。
天井も、なんとなく気持ちの悪い高さで、奇妙な圧迫感を覚える。
それに、窓が少ないせいで、空気が淀んでいるようにも感じる。長くこの場に留まっていたら、病気になってしまいそうな……あるいは、心を蝕まれてしまいそうな……そんな気配だ。
――パティの弟、ハンネスはここで地を這うモノの書を熱心に読みふけっていたと言いますけど……。
蛇にとり憑かれたように、邪悪な書を読みふける男……。そんな男がある日、忽然と姿を消したという。
ゲルタたちの監視すら届かぬ方法で、姿を消した……それは、いったいどこに?
――まさか、この屋敷に呑み込まれてしまったとか……。
なぁんて、自分で想像して、ミーアは、すっかり怖くなってしまう。
「あ、アンヌは、どこかしら? アンヌ、アンヌぅ?」
などと、歩き出そうとした、まさにその時だった。
「おお、ミーア姫」
突如、声をかけられて、ミーアは、ぴょんこっ! と飛び上がる。それから、恐る恐る振り返ると……。
「ああ……慧馬さん」
ミーアたちの周囲を、ずっと隠れながら護衛してくれていた慧馬だった。彼女は、ドヤァ、ッという笑みを浮かべて、
「屋敷内に怪しい者の気配はないようだぞ」
そんな報告をしてきた。
「そう。それは朗報ですわね。感謝いたしますわ、慧馬さん」
「ふふふ、我と羽透にかかれば、隠れている人間を見つけることなど造作もないこと。もっと気軽に頼るがいい」
などと、ますます調子に乗った様子で胸を張る慧馬だったが、ふと、思い出したように後ろを振り返り、不安そうな顔をした。
――あら、やっぱり……。慧馬さんもこの屋敷のことを不気味に感じておりますのね?
ミーア、そんな慧馬の様子に親近感を覚える。
「やはり、慧馬さんも、この屋敷に不吉なものを感じるのかしら?」
そう問いかけると、慧馬はきょとんと首を傾げた。
「いや、屋敷自体はなんとも思わないが……。先ほど、廊下の突き当りでディオン・アライアと出くわしたのだ。あれは、心臓に悪い」
「……ああ」
未だにディオンに対して不安そうにしている慧馬に、ミーアは強い親しみを感じる。
――確かに、ディオンさんの殺気は心臓に悪いですものね……。うんうん、よくわかりますわ。
頷きつつも、ミーアは微笑む。
「でも、いかにディオンさんでも、急に斬りかかってくるなんてことは、そうそうございませんし……」
「それは、急にじゃなければ、斬りかかってくることがあるということか!?」
慧馬は目を見開いて、ぶるる、っと体を震えさせた。
「ああ……これは言い方が悪かったですわね。確かにディオンさんの場合、奇襲じゃなくて、正々堂々と斬りかかられても、その時点でおしまいですし……。うん、斬りかかられること自体が、そうそうございませんわ」
「し、しかし、そうそうない……ということは、たまにあるということか?」
「いや、滅多にありませんわ」
「ということは、ちょっぴりなら、斬りかかられることもあるということか?」
「うーん……」
ミーア、そこで長考。本当は、絶対にあり得ないと言ってやればいいのだが……。かつて、首を落とされた経験上、絶対とは言い切れないミーアである。
「あ、そうですわ。そういうことでしたら、リーナさんに扱いを聞いてみるのがいいのではないかしら?」
「どういうことだ? 毒物のことならばいざ知らず、ディオン・アライアの前では、彼女も無力なのでは……」
不思議そうな顔をする慧馬に、ミーアは静かに首を振った。
「いいえ。リーナさんは、かつて蛇として、ディオンさんとは敵対していた。にもかかわらず、今では軽口を叩きあう仲にまでなっておりますわ。きっと、ディオンさんの恐怖を克服した秘訣があるはずですわ」
そう力強く言ってやると、慧馬は神妙な顔をして、
「わかった。後で聞きに行ってみよう」
それから、辺りに油断なく視線を走らせながら、歩いて行ってしまった。
「ふぅむ……なんだか、慧馬さんを見ていたら、ちょっぴり安心できましたわね」
自分以上に怯えている人を見ると、冷静になれるものなのだな、なぁんて思いつつ、ミーアは、今日、泊まる部屋へと向かおうとした。そこで……。
「失礼いたします。ミーアさま、少しよろしいでしょうか?」
ルードヴィッヒが話しかけてきた。彼の後ろには、人懐っこい笑みを浮かべる青年の姿があった。
「なにかしら、ルードヴィッヒ」
「実は、先にクラウジウス家のことを探っていたジルベール・ブーケから、報告したきことがある、とのことでしたので、連れてきたのですが……」
「それはご苦労さまでしたわね」
ミーアは、ジルベールに労いの言葉をかけてから……。
「そうですわね。後々、お父さまとお食事をしたりなんだりで、忙しくなりますし、報告を受けるならば、今ですわね」
腕組みしつつ、頷くのだった。