第九十三話 探検家ソウル、昂る!
ふと見ると、先に行ったマティアスやベルたちも、屋敷の前に佇んでいた。どうやらミーアと同じく、屋敷に目を奪われているようだった。
さらに、庭の一角では、パティが立ち尽くしているのが見えた。そして、その視線の先には大きな木が風に揺れていた。
そっとミーアが歩み寄ると、パティの消え入りそうな、小さな声が聞こえてきた。
「ここ……、ハンネスと種を植えたの……」
ヤナに言ったのだろうか。パティは目の前の木を指さして、悄然とした様子で続ける。
「三十年で大きな木になるんだって、あの子が言って……だから、木が大きくなるまで生きてようって、約束して……でも……」
パティの目の前には、その大きな木があるのだ。
「……どうなってるのか、わからない……。わからない」
パティは、そう言うと、顔を覆ってその場にへたり込んでしまった。パティのかたわらで、ヤナが、その背中をさすってあげていた。
「少し休ませてあげたほうがいいですわね……。ええと、アンヌ、いいかしら?」
声をかけるとアンヌが真剣な顔で頷き、パティのそばに行く。さらに、
「リーナも行きます」
シュトリナがそう言ってくれたので、ミーアはそっと耳打ちする。
「リーナさん、前も言ったと思いますけれど、パティは蛇の教育を受けた者。そして、クラウジウス家は、蛇と極めて近しい家ですわ。だから……」
「……わかりました。念のために、気をつけておきます」
「ああ……。ええと、それもそうなのですけど……できれば、蛇から抜け出した者として、助言をいただけると嬉しいですわ」
「え……?」
パチクリ、と瞳を瞬かせるシュトリナ。そんなシュトリナの目を見つめて、ミーアは言った。
「あの子を……パティを、蛇から救い出したい。あの子がもしも、また、蛇の教えの中に戻らなければいけないとしても、そこで耐え抜く力をつけてあげたい……。それが、わたくしの望みですの」
ミーアの言葉をシュトリナは、静かな表情で聞いていたが……。
「わかりました……。リーナになにができるかわかりませんが、できる限りのことをします」
そうして、シュトリナは、パティたちのほうに歩いて行った。それを見送ってから、改めてミーアは屋敷のほうに目を向けた。
「しかし、ここ、誰か住んでおりますの?」
「いえ、管理は青月省の管轄になっていて、管理人が坂の下にある家から通っている、と聞いております。いつでも、新しく領地を継ぐ者が入れるように、と準備してあるようですが……」
「ああ……なるほど」
それで、ミーアは納得する。屋敷から感じられる空虚な気配……。生気のない、まるで死人のような雰囲気は、人が住んでいない住居特有のものだった。
屋敷自体が死んでいるような……なぁんて不吉なことを考えてしまい、ぶるる、っとミーアが体を震わせたところで……。
「それで、ミーアさま。今夜は、こちらにお泊りになられるということで、構いませんか?」
「…………はぇ?」
ルードヴィッヒの問いかけに、ミーアは思わず、ぽっかーんと口を開ける。
てっきり、宿屋に泊まることになると考えていたミーアだったから、これには完全に不意を突かれた。けれど、言われてみれば当然のことで、クラウジウス邸に行く、と命令を受ければ、ルードヴィッヒも当然、この屋敷を調べると思っているはず……。であれば、この屋敷に滞在するのが効率的なわけで……。
「すでに、ジルベール・ブーケに手配して、準備は済ませてあります。後ほど、彼からも報告が入ると思いますが……」
などと、ルードヴィッヒの話は進んでいく。ミーアは大慌てで、軌道修正を図る。
――こっ、こんなところに泊まるとか、冗談ではありませんわ!
というか、そもそも、パティに屋敷を見せることが目的だったのだ。すでに、パティは、ここが未来であるという証拠を突き付けられている。目的は、すでに達成されているのだ!
となれば……。
「ええ。わたくしとしては、この幽霊屋敷……じゃない。クラウジウス邸に泊まるのもやぶさかではございませんわ。けれど、残念ながら、今回の旅での最高権威者はわたくしではなく、お父さま。であれば、まずご意見を窺わなければなりませんわ。お、お父さまぁ?」
そうして、ミーアは、とことこと父のもとに走り寄る、と……。なぜだろう、父は、ちょっぴりワクワクした顔をしていた。
「おお、ようやく来たか。ミーア。実はな、ベルが、あの屋敷を探検したいと言っていてな」
「なっ!?」
ミーア、思わず、ベルのほうに目をやる。っと、ベルはキリルと二人で、元気よく拳を突き上げるところだった。探検家ベルは、血沸き、肉躍っていたのだ!
そして……。
「私も久しぶりに来たら、すっかり懐かしくなってしまったよ。今夜はゆっくり、屋敷に泊まれると思うと、ワクワクしてきてな!」
懐かしさになど、まるで浸っていない、ウッキウキ顔で、マティアスが言った。
――ああ、これ、絶対、ベルが一緒に探検しよう、とか誘ったやつですわ……。
基本的に、ベルはマティアスのお気に入りなのだ。
「それに……パティもなにやら、この屋敷に所縁がありそうな様子だし、な……」
ふと見上げると、マティアスは、どこか感慨深げな目をしていた。
――ふむ、お父さま……。ベルのことといい、パティのことといい、もしかして、薄々、察しているのではないかしら……?
などと、一瞬、思いかけるミーアであったが。
「ほら、パパ、早く行きますよ!」
「ははは。ベル、待ちなさい。そんなにはしゃぐと転ぶぞ。キリルも足元には気をつけなさい」
「……パパって呼んでもらったのが嬉しかっただけっぽいですわ」
呆れつつも、ミーアは、改めてクラウジウス邸を見た。
「では、ルードヴィッヒ、お父さまもああ言っていることですし、今夜はここに泊まりますわよ。ただし……、警備は厳重に! 幽霊も通さないぐらいに厳重に、ですわ!」
「かしこまりました。ミーアさま」
真剣な顔で言うミーアに、ルードヴィッヒは静かに頭を下げるのだった。