第九十一話 ミーアエリートの芽吹き~讃えよ! 帝国の叡智~
「兄上! ご無沙汰しております」
部屋から出てきたエシャールは、シオンに駆け寄ると、ピンと背筋を伸ばした。
生き生きとしたその笑みを見て、シオンは思わず、といった様子で胸を撫でおろす。
「エシャール、壮健そうでなによりだ」
「はい。兄上も、この度は、お忙しい中、わざわざいらしていただき、ありがとうございます。キースウッドもありがとう」
無邪気な笑みを浮かべ、部屋の中に案内するエシャール。
一つ頷き、シオンは部屋に入った。ティオーナとエメラルダは遠慮してくれたらしく、二人でお茶会に行ってしまったので、同行者はキースウッドのみだ。
勧められるまま椅子に腰かけたシオン。テーブルの上には、すでに紅茶の用意がしてあった。
おそらく、シオンたちがここに来るタイミングを計って、用意したものだろう。
――そういえば、グリーンムーン家には、やり手のメイドがいたんだったか……。
無人島での経験を共にした、ニーナというメイドの顔を懐かしく思い出しつつ、シオンは紅茶を一口すする。サンクランドのものでも、ティアムーンのものでもない。あまり馴染みのない、されど、なんとも味わい深い風味だった。
「飲んだことのない味だな……」
「はい。グリーンムーン家は、外交に強い家柄と聞いています。いろいろな国とかかわりをもち、さまざまな取引をしているとか……。このお茶も海の向こうのものだそうですよ」
「そうか……。学ぶには良い環境のようだな」
「はい。良くしていただいています」
そう言って、エシャールはそっと視線を、カップに落とした。揺れる表面に映し見るのは、懐かしきサンクランドでの日々か、あるいは、自らが犯した罪か……。
それを飲み込むように一口、お茶を飲んでから、エシャールは顔を上げた。
「ところで……兄上が言っていた意味が、少しだけわかってきたような気がします」
「うん?」
「ミーア・ルーナ・ティアムーン皇女殿下のことです」
目をキラキラさせながら、エシャールは話し出した。聖ミーア学園で学んだことを……否!
「ミーア姫殿下は父上にも負けない、偉大な方です」
洗脳されたことを……。
「ははは、そうだろう? 俺などでは及びもつかないほど、彼女の功績はすさまじいものだ」
「そんなご謙遜……と言いたいところなのですが……今では、兄上の言が、あながち謙遜でもないと思えてしまう……。それほどまでに恐ろしい功績です。まさか、ミーア学園が、ルドルフォン家とベルマン子爵家とのいさかいをきっかけに作り出されたとは、知りませんでした」
そうして、エシャールは、語りだす。この帝国において、ミーアが成してきたこと。
「実は、ルールー族という少数部族出身の友だちができたのですが、ご存知ですか?」
「リオラ嬢の出身部族だな。それに、以前、新月地区の教会を訪ねた折にも聞いた覚えがあるが……」
「おそらく、その彼です。ルールー族族長の孫で、ミーアさまに命を救われた。それに、セロ……。ええと、ティオーナ嬢の弟君ですが、彼にもたくさんミーアさまのことを聞きました。あとは、セリア。とても優秀な女の子だけど、ミーアさまに見出されなければ、学識を得ることはできなかった子……。他にもたくさんの人と出会いました」
こうして、エシャールは熱のこもった口調で話し続けた。ミーアの輝かしき功績を。
その中には、シオンが知らないものも混じっていたので、話は大いに盛り上がった。
……ちなみに、若干尾ひれがついたものも散見されたが、それを疑うこともなく……。
「ああ、そういえば、セントノエルでも似たようなことがあったんだ。ミーアが……」
などと、シオンも負けじと語りだす。最近あった特別初等部のこと、今はもう遠き昔になったレムノ王国事件のこと……あの時、ミーアがかけてくれた言葉についてなどなど……。
サンクランドの二人の王子たちによる、熱い、あっつーい、ミーア礼賛の言葉の応酬。
心の底からミーアの功績を褒めたたえる二人を止める者はなく……、良識派のキースウッドですら……。
『うん……これだけのことをしているのだから、料理がちょっとぐらいやんちゃでも許されるべきなのだろうな……。いや、むしろ、あのパンを馬型にしたのも、今から考えるとすごく画期的で、スバラシイことだったんじゃないだろうか……? いや、いやいや、そんなことは……でも』
なぁんて、騙されてしまう始末! 極めて、ヤバい状況が展開されていた!
「実は、エメラルダさまとも、よく寝る前にお話しするのですが、エメラルダさまでもご存知ないこともたくさんあって……。それで、ついつい盛り上がってしまうんです」
「なるほどな……ん? 寝る前……?」
エシャールの話を微笑ましい気持ちで聞いていたシオンだったが、ふと、気になる単語があったので、首を傾げる。っと、
「あ、はい。えーと……その、サンクランドを離れて寂しいだろうと、寝るまでお話をしてくれるんです。あ、もちろん、ミーア学園の学期の間は、皇女の町に滞在していましたから、お休みの間だけですけど……、寝るまでずっと頭を撫でてくれることもあって……」
などと、頬を赤くして、恥ずかしそうに言うエシャール。そんな弟の姿を見たシオンは、少しだけ微笑ましい気持ちになる。
『サンクランドを離れて、少し肩の力が抜けたか……。気の置けない友人たちと、優しく気遣ってくれる年上の人たちに囲まれて……このまま健やかに育っていってくれればな……』
などと思う一方で、別の見方をする人物がいた。それは……。
『エシャール殿下……年上の女性に優しくされる味を覚えてしまったか……これは、少し心配だぞ……』
自身の経験に照らし合わせて、割とまっとうな心配をするのはキースウッドであった。
けれど……そんな彼ですら、真の危険に気付くことはできていなかったのだ。
はたして、聖ミーア学園という帝国の叡智のフェイクニュースが飛び交う学園に通い、エメラルダというミーアマニアから、夜な夜なミーアの功績を、あることないこと吹き込まれるというこの環境が……純粋な少年の心にどのような影響を及ぼすものか……。
沈着冷静なキースウッドですら、その危険性に気付くことはできなかったのだ!
……まぁもっとも、セントノエル学園にしても、実質的なトップが結構なミーアマニアなわけで……しかも、サンクランド国王や王妃の心にもバッチリ帝国の叡智の虚像が刻まれてしまっているので……実際のところ、あーんまり変化はないのかもしれないが……。




