第九十話 領都クラウバルト
ルードヴィッヒの予想通り、というべきか……。いくつかの中継地点の村々でも、特に妨害に遭うこともなく。一行は無事、旧クラウジウス領、領都「クラウバルト」に着いた。
あまり高くもない城壁を抜けると、そこに広がったのは、古い城下町といった光景だった。
その規模こそ侯爵領に相応しい広さがありそうなものの、町行く人たちからは、どことなく垢ぬけない印象を受ける。
「ふぅむ……。ここがクラウジウス領ですのね……」
馬車の中から見たミーアは、思わず、といった様子で唸る。
「なんというか、平和な、普通の町ですわね……」
若干、拍子抜けした感がないではないミーアである。
なにしろ、今向かっているのは、呪われたクラウジウス家である。
かつてミーアが、その怪談を聞いて「こわぁ!」っと思って以来、決して近づこうとしなかった土地なのである。
血の川が流れ、死体がルンルンと歩き回っていたとしても驚かないぐらいに覚悟していたミーアだけに、目の前の光景は実に意外だった。
――まぁ、いくら蛇とのかかわりが深そうなクラウジウス家とはいえ、いかにも怪しい町、ということにはならないでしょうけど……。
蛇の恐ろしいところは、非常に見つけづらいところにある。悪魔は、わかりやすく悪魔の顔をしていない。気安げな友人の顔をして歩み寄ってくるのだ。そして、それは蛇も同じこと。
ミーアは、ちょっぴり気持ちを引き締めつつ、パティのほうに目をやった。
「パティ、どこか、見覚えがある場所はあるかしら?」
パティは立ち上がり、トコトコとミーアのところまで歩み寄ってくると、ジッと外の風景を見つめる。やがて……。
「あのお店……見たことがあります。でも……」
と、しかつめらしい顔をして……。
「なんだか……古びてるような……」
っと、しきりと首を傾げている。
「ふむ……」
まぁ、そうでしょうね……という言葉を呑み込み、頷くのみにしておくミーア。すると、
「ミーアさま、このままクラウジウス邸へ向かうのでよろしいでしょうか?」
御者台のほうからルードヴィッヒが声をかけてきた。
「ああ、そうですわね……」
ミーア、一瞬の黙考。その後、
「それでよろしいかしら、お父さま」
父のほうを振り返る。
形の上では、父がこの場で最も発言権があるわけで。今回は、一応、それに配慮したミーアであるのだが……。
「今回の旅はミーアの計画したものだ。お前に任せよう……いや、だが、そうだな……」
っと、マティアスは顎を撫でながら……チラリとパティのほうに目をやり……。
「どうやら、パティはこの町に来たことがあるようだし、せっかくだから、町を回ってから行くのはどうかね?」
それから、マティアスは、ぐっぐっと体をひねってから。
「それに、馬車旅で、少々体がなまってしまった。少し歩きたいところだな……」
「なるほど、そうですわね……」
父の言葉を受け、ミーアは頷く。
――これは、たぶん、わたくしと一緒にいろいろ町を遊んで歩きたいということなのでしょうけれど……。
と思いつつ、先ほどのパティへの視線を思い出す。
――もしや、パティに気を使ったのかしら……? だとしたら、珍しいこともあるものですけれど……まぁ、でもいずれにせよ、これは好都合ですわ。ここが、未来の世界だとパティに認識させるためには役に立ちそうですし。
ミーアは御者台のほうに目を向けた。
「少し町を歩きたいですわ。ルードヴィッヒ。護衛の者たちに手配をお願いできるかしら?」
「かしこまりました」
特に反対することもなく頷くと、ルードヴィッヒは、馬車を大通りの入口にとめた。
馬車を降りたミーアのそばに、寄ってきたのはディオンだった。
「お嬢さま、それに、旦那さま。どうぞ、不用意なことはせず、我々の指示に従ってくださいますように。できれば、あまり離れずにいていただけると嬉しいのですが……」
そんなディオンの言葉に、マティアスはむっつりとした顔で頷き、
「ふむ。護衛がそう言うのであれば、仕方ないな。ほら、ミーア、近う寄れ。それに、お前も遠慮なくパパと呼んでくれても……」
「ええ、わかっておりますわ。お父さま。みなもいいですわね? 勝手に動かず、言うことを聞くんですのよ?」
ミーアお姉さんの指示に従い、一行はそのまま、パティが「見覚えがある」と言った店に向かった。そこは、どうやら、服の仕立屋のようだった。
「あの……」
店の戸口に立つと、パティが中に声をかけた。
「はいはい。なにか、ご用ですか? お嬢さま」
もみ手をしながら、愛想のよい老人が出てきた。
「? あの、店主さんは……?」
「私がこの店の店主ですが……? なにか?」
パティに目線を合わせるように、膝を曲げる老人。その顔をジッと見つめて……パティの顔色が変わる。
「やっぱり……どうなって……るの?」
ぽつり、とつぶやき、パティが店を走り出た。
「ちょっ、パティ。一人で行ったらっ!」
と、慌てて追いかけようとしたミーアを制して、ヤナが走り出した。
「お姉さまは、そこにいてください。ここは、あたしが……」
言うが早いか、見る間にその背が見えなくなる。
「ミーアさま、我々もいきましょう。おそらく、向かったのは……」
「ええ、そうですわね。できれば、もう少し寄り道して、クラウジウス領の名物でも……と思っておりましたけれど……」
キッと顔を上げて、ミーアは言った。
「向かうとしましょう。クラウジウス邸へ……」