第八十八話 皇帝陛下、満喫する!
ポカポカと晴れ渡る空の下。一台の馬車が街道を進んでいく。やや大きめの馬車だ。一見すると、乗合馬車のようにも見えるその馬車に、まさか、この国の皇帝陛下とその娘とが乗っているなどということは、誰も思わないだろう。
馬車の中には、ミーアとマティアス、アンヌとベル、シュトリナとパティ、ヤナ、キリルまでが揃っていた。子どもたちを合わせると合計で八人だ。
二頭立ての大型馬車とはいえ、さすがに、手狭感は否めないわけで……。
普段は、豪華な馬車を広々と一人で使っている皇帝マティアスは、さぞ、ご機嫌斜めかと思いきや……。
「うふふ、あはは。ああ、ミーアと旅行など、いつぶりだろうか……。ああ、楽しいなぁ!」
上機嫌に笑っていた! 不満なんか、まるでなかった!
――まぁ、お父さまのことですし、別に心配はしておりませんでしたけど……。
ミーアは父の姿を見て、ふぅっと小さくため息を吐く。ちなみに、父の右隣りにはパティが、反対側にはベルが座っていたりする。
ミーアはその正面、向かい合わせの席だ。両隣を母とひ孫に、正面をミーアに挟まれて幸せそうに笑う父。その構図が、なんとなく面白くて、思わず笑ってしまうミーアである。
「あっ、おじ、陛下……。あそこ、見てください! すごく綺麗な花が……」
ベルが、馬車の外を指さして、ぴょんぴょん跳ねる。それを見たマティアスは、
「こら、ベル。ダメだろう?」
途端に、ご機嫌を損ねたように眉をひそめると……。
「私のことはパパ、もしくは、お父さまと呼ぶように!」
一転、にっこりととろけそうな笑みを浮かべる。
「あっ、すみません。パパ!」
それに、ノリノリで答えるベルである。普段のノリの良さは健在だ。
ちなみに今回は、お忍び旅ということで、偽の身分を演じるように決めていた。皇帝マティアスが商人で父親役。他の者たちは全員その子どもという設定だ。
たくさんの子どもたちに囲まれたマティアスは実にご満悦な様子である。
「シュトリナもそう呼んでくれて構わないぞ」
目を向けた先、シュトリナがニコニコと可憐な笑みを浮かべて、
「はい。お父さま。この旅の間はそう呼ばせていただく予定です」
華麗にスルーする!
「わはは。そうだな。下手にパパなどと呼ばれると、ローレンツに睨まれてしまいそうだしな」
マティアスは、まったく気にした様子もなく、今度は子どもたちに目を向けた。
「パティも、それに、お前たちもしっかりと呼ぶのだぞ? どうだ、練習しておくか? ほら、ミーアも一緒に……」
などと、ごくごく自然に、ミーアにも話を振ってくる。それを受けてミーアは……。
――まぁ、お父さまが楽しそうで何よりですわ。こうなると、やはり問題は……。
と、ごく自然に父の言葉をスルーしつつ、パティの様子を窺う。
パティはいつも通り、なんの表情も浮かばない顔でうつむいていた。
あの日、クラウジウス領に行くと決めてからも、パティの様子は、表向き変わらなかった。わずかにソワソワしているようにも見えなくもないが、それも注意していないと気付かないぐらいだ。
――正直なところ、パティがなにを考えているのか、まるで読めませんわね。ここが未来で、わたくしが何者であるのか……明かすタイミングがとても難しいですわ。まぁ、すんなり信じてもらえなかったら面倒ですし、とりあえずはクラウジウス領についてからだとは思いますけど。
だが、だからといって、ミーアはなんの準備もせずに今日を迎えたわけではない。きちんと策を練ってきているのだ。
――わたくしが、蛇の敵対者であると明かしたうえで、パティを味方につける。そのためには甘い物で胃袋を掴む! これですわ!
さながら、山に生えた大木……の根元に生えたキノコのごとく、それほどブレないミーアの基本戦術である。
自分がされて嬉しいことをしてあげれば、相手も喜んでくれるに違いない。まして、甘い物に心を掴まれぬ者などなし!
そんな確固たる信念に基づいて、ミーアは動き出す。
そっとアンヌのほうに視線を送ると、アンヌは、心得た! とばかりに鼻息荒く頷いて、バスケットを持ち上げた。
「ねぇ、パティ、ちょっとお腹が空いたのではないかしら?」
「……え?」
きょとん、とした顔で、こちらを見つめてくるパティ。さらに、その隣で、興味津々にこちらを見ている父に、ミーアは微笑みかける。
「お父さまもお食べになりますわよね? カッティーラ、作ってきたんですのよ?」
そうして、ミーアはアンヌから受け取ったバスケットを開いた。中から現れたのは、黄色いフワフワのケーキ、カッティーラ。ペルージャン農業国の伝統的なお菓子である。
――パティがカッティーラを気に入れば、ペルージャン農業国との関係も大切にしてくれるはず……。蛇とは言え、甘い物が美味しく感じることに変わりはない。であれば、最悪、パティが蛇に染まってしまったとしても、ペルージャンとの関係維持には尽力してくれるかもしれませんわ!
などと計算していると……。
「おおっ! なんと! もしや、ミーアの手作りか!?」
ウッキウキの父の声が響いた。
「え、ええ。もちろんですわ」
ミーアが頷くと、マティアスはグッと拳を握りしめ、うおおっ! と歓声を上げた。
……ちなみに、このカッティーラ、白月宮殿の厨房で作ったため、料理長の監修がバッチリ入った代物である。安心安全な逸品である! キノコとか混ぜ込む隙もなかった、ミーアにあるまじきクオリティなのである!
まぁ、形をキノコっぽくしてあるのは、キノコ女帝ミーアの最後の抵抗というべきか……?
「ほーら、甘くて美味しいですわよ? パティ。ああ、ヤナとキリルも遠慮せずに食べるといいですわ」
などとミーアが子どもたちに勧めている間に、マティアスがひょいっと持ち上げて一口。
「むおお! これは、以前食べた時より美味い! 素晴らしい!」
カッティーラを頬張って、無邪気な笑みを浮かべた。
「ああ……なんという幸せだ……。愛するミーアと旅をし、子どもたちに囲まれてミーアの手作りお菓子を食べるとは……」
などと、その目にじんわり涙すら浮かんでいたりする。その様子に満足しつつ、パティに目を向けたところで、ミーアは、おや? と首を傾げた。
パティは、カッティーラに手を付けようとしなかった。その様子をヤナが心配そうに見つめていた。
「パティ、ほら、これ、美味しいよ?」
ヤナは気づかわしげな口調でそんなことを言うが、パティは静かに首を振って……。
「……いらない。お腹、空いてない」
「でも……」
心配そうな顔で言いよどむヤナ。それを見て、ミーア……ふむ、と唸る。
――たぶん、いろいろ気になって食欲がないのでしょうけれど……。食べてくれないと胃袋が掴めませんわね……。困りましたわ……。
っと、その時だ。その様子を見ていたマティアスが眉をひそめる。
「パティよ、本当に食欲がないならば、それでも良い。このカッティーラはすべて私が食べよう。だが、しっかりと顔を上げて、友の顔を見るとよい」
「……え?」
パティは瞳を瞬かせてから、ヤナの顔を見つめた。
「無理をして食べる必要はないが、友の心配をないがしろにするのは、感心しないな」
それから、マティアスはパティの頭に手を置いた。
「我が母も言っていた。友とは……ええと? なんだったかな……ああ、そう。そうだ、空腹の時のカッティーラのようなものだとか、なんとか言っていたような……。おや? ということは、我が母もカッティーラのことが気に入っていたということかな」
なにやら、ためになるような、そうでもないようなことを口走りつつ、マティアスは笑った。
――ああ、この適当さ……実になんともお父さまですわ。
「そういえば、母上もペルージャン農業国に行ったことがあると言っていたな。カッティーラが絶品であったとも聞いた記憶があるぞ……そうか。ふふふ、このお菓子、我が帝室と深い関わりがあるようだな」
父のつぶやきを聞きつつ、パティに目をやるミーア。パティは、躊躇いつつも、カッティーラを口に入れ、ちょっぴり頬を緩めていた。
――なるほど……。ということは、パティもカッティーラのことを気に入るわけですわね。ふふふ、どうやらわたくしの作戦は成功のようですわね。
上機嫌に笑いつつ、ミーアは、馬車前方につけられた小窓を開ける。っと、
「おや、ミーア。どうかしたのかい?」
御者台に座ったアベルが、優しげな笑みを浮かべた。
「ごめんなさいね、アベル。御者台になんか座らせてしまって……」
すまなそうな顔をするミーアに、アベルは首を振った。
「いや、構わないよ。ボクとしてもここにいたほうが、異変を見つけやすいしね。それに、ディオン殿の動きは、やっぱり参考になるからね」
穏やかな笑みを浮かべるアベルに、ミーアは、ほわぁっとなりつつ……。
「ああ、ええと、それで、もしよろしければ、アベル、これを……」
「これは……? キノコ……?」
「カッティーラですわ。わたくしとアンヌとで作りましたのよ?」
「へぇ。これをミーアが……」
それからミーアは、アベルの隣に座るルードヴィッヒのほうに目を向けて、
「ルードヴィッヒも食べてみるといいですわ。美味しいですわよ?」
ルードヴィッヒは、ちょっぴり驚いた様子で目を見開いてから……。
「お心遣い感謝いたします。心して、味わわせていただきます」
そっと頭を下げるのだった。
そういえば、キノコって会話してるらしいですね!