第八十七話 大・親・友!
帝国貴族は、自領に本邸を、帝都ルナティアに別邸を持つのが普通のことである。
特に中央貴族、大貴族の者たちに、帝都に邸宅を持たぬ者はなく……当然の帰結として、四大公爵家の一角、グリーンムーン家の邸宅も帝都に存在している。
クラウジウス領に向かうというミーアたちと別れた後、シオンとティオーナは、グリーンムーン邸へと向かっていた。
シオンは、エシャールとの面会とグリーンムーン家への挨拶のため。そして、ティオーナは、その随伴者……ではなく、エメラルダから直々にお招きがあったためだ。
弟のセロとエシャールに交流が生まれたから、という理由はあれど、帝国中央貴族の選りすぐりたる四大公爵家の家を訪れるという非常事態。
さすがにティオーナも緊張を隠し切れずにいた。
――シオン殿下が一緒で良かった。いつもは、ミーアさまが一緒にいるけれど、こうして、一人でお会いしに行くと思うと、やっぱり……。
もともと、帝国中央貴族に対して、コンプレックスを抱いていたティオーナである。ミーアのおかげで、改善はされているが、まだまだ苦手意識は、完全には、払しょくできていないのだ。一緒に旅をしたエメラルダはまだしも、もしもその父親の公爵本人と出会ったりしたら、と思うと……緊張するなというのが無理な話だった。
そうして、表情を強張らせつつ、お屋敷の門をくぐったところで……。
「ご機嫌よう、シオン王子」
待ち構えていたご令嬢が声をかけてきた。
スカートの裾をちょこんと上げたのは、エメラルダ・エトワ・グリーンムーンだった。星持ち公爵令嬢に相応しい完璧な所作を披露したエメラルダは……。
「お元気そうでなによりですわ、お義兄さま」
ちょっぴり、照れ臭そうな顔で、そんなことを言った! どこかの気の早いお姫さま(確かミーアとかなんとかいう名前の……)にそっくりである!
「あー、年上の令嬢にお兄さまと呼ばれるのは、なんだかおかしな気分だな……。というか、エメラルダ嬢はまだ、エシャールと縁談を上げていないんじゃなかっただろうか……」
困ったような顔で笑うシオンに、
「あら、今から練習をしているだけですわ、シオンお義兄さま」
シレッとした顔で言ってから、エメラルダは、ティオーナのほうを見た。
視線を受けたティオーナは、ぴくん、っと体を震わせるが……。
「ティオーナさんも、お久しぶりですわね。こうして、ミーアさまを介さずにお話しする機会は、今まであまりありませんでしたわね」
「はい……。本日は、私までお招きいただき、感謝いたします。エメラルダさま」
かしこまった口調で背筋を伸ばすティオーナ。そんなティオーナにエメラルダは、やれやれ、と首を振り、
「あら、別に緊張することもありませんわ。今日は、セントノエルで共に学んだ者が旧交を温める、そのような集まりと思っておりますのよ。それに……」
と、言葉を切ってから、エメラルダは真剣な顔をする。
「ミーアさまの目指す新しい国には、中央も辺土もない。そうでしょう?」
そっと胸に手を当てて、エメラルダは続ける。
「かつて、私は、辺土貴族を見下すことを当たり前だと思っていた。それが、門閥貴族としての伝統と矜持を守ることである、とも。けれど……ミーアさまは、私に違う世界を示してくれた……。そして、古き帝国とは違う、新しい帝国のために力を貸してほしいと……私に手を差し伸べてくれた……」
大切な感情を握りしめるように、エメラルダは、胸元で拳をキュッと握って……。
「私はミーアさまの呼びかけに答えて、親友として……否! 大親友(とも!)として、あの方の理想とする国の実現のために尽力するつもりです。もしも、あなたが同じ志を持つというのであれば、それは私の、大切な仲間ということになるけれど、いかがかしら? あなたは、ミーアさまの味方かしら?」
真っ直ぐな問いかけに、ティオーナは静かに頷く。
「はい……もちろんです。私は、ミーアさまのために全身全霊をもって尽力いたします。エメラルダさま」
「そう、よかった。それならば、私たちはきっと仲良くなれますわ」
そうして、エメラルダは穏やかな笑みを浮かべるのだった。
それから、彼女は二人を屋敷の中へと案内する。
「申し訳ございません。シオン殿下。実は本日は、父、グリーンムーン公は、ここにはおりませんの。サンクランドの王子殿下がいらっしゃるというのに、無礼なこととは百も承知しておりますけれど……」
と、そこで、エメラルダはチラリ、と舌を出す。
「正直、父が一緒にいたら、エシャール殿下とゆっくりお話しはできないかと思いまして……」
「いや、お気遣いに感謝する。エメラルダ嬢。いつも、弟のことでは、世話になっている」
「いえ、このぐらいしかできないのが、心苦しい限りですわ……」
エメラルダは小さく笑みを浮かべてから……誰に言うでもなくつぶやいた。
「しかし、本当に、そうですわね……。他の星持ちが動き出しているというのに、私だけがエシャール殿下と遊んでいるわけにはまいりませんわ。ルヴィさんが軍部を、サフィアスさんが頭の固い中央貴族を押さえるというのであれば……わたくしがすることは、あまり残されておりませんけれど……」
エメラルダは、頬に手を当てて首を傾げる。
「とりあえず、聖ミーア学園への協力、それに……」
と、そこで、エメラルダの瞳が妖しげな光を宿す。
「そうね……。ガヌドス港湾国に、釘を刺すこと……ぐらいかしら?」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべるエメラルダであった。
外交のグリーンムーン家、その長女エメラルダの蠢動が歴史にどのような影響を与えるのか、今の時点で知る者は誰もいない。