第八十六話 ミーアの戦術、隠し事のないキレイな心
「さて……なんとか、無事にクラウジウス家に行く段取りは付けましたわね……あとは……」
部屋に戻ってきたミーアは、ベッドの上にポーンッと飛び乗ると、そのまま、ゴロゴロし始めた。サボるため……ではない。考えごとをするためである。
考えごと……そうなのだ。ミーアには考えるべきことがたくさんあるのだ。
実のところ、ミーアがクラウジウス領に行くことを決めたのは、深く考えてのことではなかった。ならば、なぜかといえば……。
「パティについうっかり言ってしまいましたけど……はたして、これで良かったのかどうか」
そうなのだ。あの時、泣きじゃくるパティに、ミーアは……おろおろして、つい言ってしまったのだ。
「わかりましたわ。そこまで言うのであれば……クラウジウス領に行きましょうか」
「…………ぇ?」
瞳をパチパチと瞬かせるパティ。そんなパティにミーアは優しく微笑み、
「帰りたいのであれば、別に止めはしませんわ。わたくしは、あなたに意地悪をしようとしているわけではないのですから」
なぁんて、咄嗟に言ってしまったわけだが……。
「いえ、こうなってしまった以上、過去のことを悔やむのは詮無きこと。クラウジウス領に行った後のことをしっかりと考えておくべきですわ。お父さまが一緒に行くという想定外はありましたけれど、その辺りはルードヴィッヒに任せて大丈夫なはず……。っていうか、そもそも、お父さまに言っておけと進言してきたのはあいつなのですから、責任は取ってもらいますわ」
ぽーいっと責任を丸投げしつつ、ミーアは考える。
「それよりも問題は、行った後のパティの反応ですわね。はたして、未来のクラウジウス領を見てどう思うのか……。まさか、いきなり、あなたは未来にいると言ったところで信じるとも思いませんし……説明が難しいですわ」
腕組みしつつ、ミーアは頭をモクモクさせる。
「そもそも、このわたくしですら、過去に戻ったことを理解するのには、しばらくの時間が必要でしたし……。信じていただくのも一苦労でしょうね……。もっとも、ゲルタさんのことがありますし、何とかならないこともないと思いますけど……」
自分にとっての日記帳の存在を、老境のゲルタの姿に求めたいミーアである。自分が知っている時より、数十年年老いた知人を見たら、未来に来ていることも信じられるのではないか……? となれば、むしろ……。
「問題はパティを……お祖母さまを、味方につけることですわ」
そう、それこそが最も重要なことだった。
「パティはいずれ過去に戻る……。もしも、ここが未来であると知ってしまえば、未来の知識を持って過去に戻るということになりますわ。自分が未来の知識を知っているとわかったうえで、過去で行動できてしまう。となれば、もし、パティが蛇に取り込まれてしまった場合……」
ミーアの背筋に、ぞぞぅっと寒気が走る。心なしか、すぐ後ろに断頭台が迫っているような気すらしてしまう。なんなら、刃が落ちる音すら聞こえてきそうな気がする!
「それは最悪のケースですわ! どう考えても避けるべき……しかし、だからといって未来であることを秘したまま……絶望に心を飲み込まれたパティが、蛇に付け入られてしまう、それはそれで、よくないですわ」
ゲルタは言っていた。皇妃パトリシアは、時の皇帝が、初代皇帝の思惑から外れないようにするための存在であったと……。パティには、それに逆らえるぐらいの強い気持ちをもってもらいたい。そのためには、偽りのではなく、きっちりとした絆を育む必要がある……そんな気がするのだ。
「それに、ルードヴィッヒやガルヴさんの読み通り、パティがこの時代に来たことにも意味があるとするなら……曖昧にすべきではありませんわ。しっかりと向き合いませんと……」
そこまで考えた時、不意にミーアは思う。
「わたくしの正体も、そろそろ明かす時かもしれませんわね……」
パティはミーアのことを、蛇の関係者だと思っている。教育係だと思っている。
だから、素直に言うことを聞いているという面は確かにある。けれど、蛇から脱却させるためには、いつまでも、その誤解に頼っているわけにもいかないわけで……。
「そうですわ、今こそ誤解を正すべき時、本音で語り合うべきですわ」
それから、ミーアは、ふっと苦笑いを浮かべた。
「よくよく考えてみれば、今回のやり方はわたくしらしくありませんでしたわね。わたくしとしたことが……」
その胸に、微かな後悔が渦巻く。
「今までだってそうだったはずですわ。皇女という上辺の身分でも、見栄えでもない。まして勘違いなどによってではない! 本音と、隠しごとのない綺麗な心とによって、わたくしは、みなの信頼を勝ち取ってきたはずでしたわ!」
グッと拳を握りしめるミーア。
彼女の脳内では、若干の(……若干?)記憶の改竄が行われたような気がしないでもなかったが……、まぁ、いつものことなので構わないのであった。
「よし、そうであれば、基本方針は、わたくしの正体を明かすことですわ。蛇と敵対していることを明かし、そのうえで、パティを味方につける。そのためのクラウジウス領訪問としなければいけませんわ」
目標を見据えつつ、ミーアは、ふぅむ、っと唸る。
「とりあえず、ルードヴィッヒにも、さらなる協力を求めることとが大切ですわ。あとは……ベル……はまぁ、おいておくとして、リーナさんには意見を求めたいですわね。それとアンヌも、パティとは良い関係を築いてくれておりますし……。ヤナとキリルは本人たち次第かしら?」
ある程度の方針が決まったところで、少しだけ安心したミーアは……。
「頭を使ったので少しお腹が空いてきましたわね……。ふむ、寝る前になにか、甘い物でもアンヌに用意していただこうかしら?」
いろいろな意味で気が緩んでしまうのであった。
かくて、物語はクラウジウス領へ。