第八十五話 父と娘と……2
「ふぅむ……。なんだか、日に日に、食事が貧しくなっていきますわね……」
それは、前の時間軸。白月宮殿での出来事。
その日、ミーアは、父である皇帝、マティアス・ルーナ・ティアムーンと夕食を食べていた。長いテーブル一杯に、絢爛豪華な皿が並べられたのも、今は昔……。ミーアの目の前には、小さなお皿と申し訳程度の食事が並ぶばかりになっていた。
食べるに困る庶民よりはマシだが、皇帝のディナーと呼ぶには、まるで物足りない、極めて質素な料理に……ミーアは寂しげなため息をこぼす。
「むぅ! ミーアにそんな顔をさせるとはけしからん……。よし、今すぐ料理長をクビにするか」
柳眉を吊り上がらせ、そんなことを言う父に、
「ふぅむ、そうですわね」
ミーアは腕組みし、一瞬、検討するが……。
「いえ、それには及びませんわ」
寸でのところで止めておく。一応は、自制したのだ。
理由はとても簡単で、脳内に、若い眼鏡の文官の、ものすごーく不機嫌そうな顔が思い浮かんだからだ。
「まぁ、食材が足りない状況ですし、仕方ありませんわ」
その時のミーアは、帝国の食料事情を、フワッとは察していたのだ。あくまでも、フワッと、であるが……。
「そうか……。まぁ、ミーアがそういうのであれば……。ああ、そうだ! 良いことを思いついた」
とそこで、マティアスがパンッと手を叩いた。それから、彼はミーアのほうを見て、
「どうだ、ミーア。もう少し国が落ち着いたら、一緒に、どこぞに旅にでも行くか? 美味いものが食べたいならば、やはり、その地に出向いて食べるのが良いのではないか?」
彼は上機嫌に、鼻歌でも歌いだしそうな様子で続ける。
「そうだそうだ。考えてみれば、帝都に食材が集まらないのであれば、直接、出向いてやればいいのではないか。ペルージャン農業国や、ガヌドス港湾国に直接行けば……」
などと、嬉しそうに言う父に、ミーアは呆れた顔で首を振った。
「もう、なにを言っておりますやら……。お父さまは皇帝陛下なのですから、この帝都を動くわけにはいかないではありませんの?」
一瞬、父と共に旅に出ることを想像して、ミーアはブルルッと背中を震わせる。
それは、実になんとも面倒くさいことになりそうだったので、きちんとお断りしておいたのだ。
「お父さまは至高の皇帝陛下なのですから、わざわざ、食べ物を得るために旅に出るなど、バカげた話ですわよ。とんでもない話ですわ」
マティアスは、その言葉を聞いて、どこか寂しそうな眼をしてから……。
「やれやれ、まったく難儀なものだ。この国で一番偉い皇帝が希望を通せぬとは、なんと不自由なことだ。愛する娘と旅に行くこともできぬとは。いっそすべて投げ出して、逃げ出してしまいたいものだ……」
そんなことを言うのだった。
この時のやり取りをミーアが思い出したのは……地下牢に堕とされた後のこと。父が処刑されたことを聞かされた時だった……。
暗く絶望に沈む心、思い出したのは、あの時の父の、寂しげな顔だけで……。
その胸を占めるのは後悔で……。
――ああ、こんなことになるならば、あの時、冷たくしておかなければよかったですわ……。もっと優しく……旅にでもなんでも行けばよかった。あれが、最後だとわかっていれば、あんなことは言わなかったのに……。
その後悔は、深く、深く、ミーアの胸に刻み込まれたのだった。
「どうかしたのか? ミーア……ぼーっとして……」
「はぇ?」
ふと見ると、心配そうな顔で、こちらを覗き込む、父、マティアスの顔があった。
「あ、ああ……ええ。いえ、なんでもありませんわ。お父さま」
慌てて取り繕うミーア。マティアスはしばし首を傾げていたが……。
「そうか。まあ、ともかくだ。もしも、私を連れて行かないというのであれば、当然、旅に行くことは許さな……」
「わかりましたわ。お父さま」
そう言ってやると、父は、きょとん、と瞳を瞬かせる。
「……はぇ? あ、いや、しかし……」
予想していたよりあっさりと、ミーアが頷いたからだろうか。マティアスは、ポカーンっと口を開け……。
「いいのか? アベル王子と二人で遊びに行きたいのでは……」
「まっ! そんなこと、一言も言っておりませんわ。ただ、わたくしは、クラウジウス家に興味があっただけですわ」
腕組みしつつ、ミーアは言った。
「お父さまであれば、クラウジウス家のことも、ご存知でしょう? 道々、お話しを聞ければと思ったまでのこと。むしろ、来てくだされば嬉しいですわ」
それから、ミーアは、心の中でつぶやく。
――そうですわ。うん、お父さまならば、情報があるでしょうし。パティの弟……わたくしの大叔父にあたるハンネス・クラウジウスのことも、もしかしたら、心当たりがあるかもしれない。だから、一緒に行くのも良いでしょう。
それから、ミーアは苦笑いを浮かべる。
「まぁ、手配するルードヴィッヒには申し訳ないですけれど、今回はお忍びの親子旅ということにいたしましょうか……」
かくて、ミーア一行with陛下、のお忍び旅行が決定してしまうのだった。