第八十四話 父と娘と……1
「ところで、ミーアさま、クラウジウス領へ行くことは、陛下はご存知なのでしょうか?」
その問いに、ミーアは、きょとりん、と首を傾げる。
「へ? お父さまですの? まだ言っておりませんけれど……。まぁ、大丈夫なのではないかしら? お父さまならば、これぐらいは……」
などと軽ーく言うミーアに、珍しく、ルードヴィッヒが厳しい顔をする。。
「いえ。やはり、皇帝陛下には、きちんとお伝えしておくべきかと……。これが、ミーアさまの勝手な行動ととられれば、他の貴族に責める口実を与えることになるやもしれません」
「ふむ……まぁ、ルードヴィッヒがそういうのでしたら……」
ミーア、ここは素直に頷いておく。
なにしろ、旅に出るためのもろもろの手配をしてくれるのはルードヴィッヒである。それに、なんだかんだ言いつつも、ルードヴィッヒの言うとおりにしておけば間違いはないのだ。
ミーア・イエスマン・ルーナ・ティアムーンは、自分の考えに至らぬ点が多々あることを知り尽くしている。ゆえに、ほどほどのところで自分で思考することを放棄して、「いいね!」と言うことを心掛けているのだ。
信頼がおける部下に任せてしまったほうが間違いがない。これはミーアが深く悟るところであった。
ということで、その日の夜、ミーアは早速、父の部屋を訪れた。
「おお。ミーア! 我が愛しの娘よ。パパに何か用かな? もしや、ベルとパティと一緒に、どこか遊びに行くとか、そんな愉快な話なんじゃ……?」
先日の、乗馬大会を見たのが、よほど楽しかったらしい。上機嫌に笑みを浮かべる父である。
いろいろお願いするには良い時のようだぞ? と敏感に察したミーアは、挨拶もそこそこに本題に入る。
「お父さま、実は、わたくし、クラウジウス家に行こうと思っておりますの」
「なに? クラウジウス家……? それは、母上のご実家のか?」
びっくりした様子で、目を見開く父に、ミーアは重々しく頷く。
「ええ。少し、パトリシアお祖母さまについて興味がありまして……」
「だが、クラウジウス侯爵家は、すでに……」
怪訝そうな顔でつぶやく父を見つめて、ミーアは言った。
「ええ。後継ぎがおらずにお取り潰しになったとは聞いておりますけど……でも、別に館を壊したとか、そういうことではありませんのでしょう?」
「そうだな。確かに、館は、担当の者が管理している。だが、そうか……。ミーアがクラウジウス家に……」
皇帝、マティアス・ルーナ・ティアムーンは、どこか遠くを見るような、感慨深げな目つきで、虚空を眺めた後……。
「ところで、それは……彼……アベル王子も一緒に行くのかな……?」
突然の問いに、ミーア、目をぱちくり。
「……はぇ? あ、ああ……ええ。まぁ、アベルも一緒だと思いますけど……」
せっかく、ティアムーンまでついてきてくれているのだ。ここで、アベルだけお留守番ということにはならないだろう。ついでに言えば、慧馬も同行することになるだろうか。
――慧馬さんは、火燻狼を追いかけたいかもしれませんから、確認が必要ですわね……。
などと考え事をしていると、おもむろに立ち上がった父が……。
「ふむ! ならば、私も行こう」
トンデモないことを言い出した!
「……うん?」
ミーア、一瞬、聞こえた言葉が理解できずに首を傾げる。
「ええと、お父さま、今、なんと?」
「ん? 聞こえなかったのか? お前たちと共に行こう、と言ったのだが……」
皇帝マティアスは、おもむろに席を立ち上がり、ぐっぐっと体をひねってから、
「実は、ここ最近、レッドムーン公とお前のところの隊長に付き合ってもらって、体を動かしていてな」
「はっ、初耳ですわ!」
バノスの指導により運動をする父……。思わずミーアは、筋骨隆々になった父を想像して……。
――ふむ! 意外といいですわね!
などと思ってしまうミーア。大男とミーアの相性はとても良いのだ。
「それでつくづく城の中に引きこもっていては、健康に悪いと実感していたところだ。たまには、旅にでも出なければな」
わははは、と豪快な笑い声をあげる父に、ミーアは慌てて言った。
「いえ、お父さま……いえ、陛下。皇帝陛下が、そのように気軽に城を出るなど、できるはずがございませんわ。そもそも、陛下がいなければ、この国の政は……政は?」
っと、ミーア、そこで言い淀む。
一瞬、「あれ? お父さまがいなくっても、別に問題ないんじゃね?」と思ってしまい、言葉に詰まったのだ。それを知ってか知らずか、父は笑みを崩すことなく、
「ははは、なにを言うか。私がいようがいまいが、さして、政治に関係あるまい」
身もふたもないことを言い出した!
――いや、まぁ、そうかもしれませんけど……。
思わず、ぐぬ、っと唸るミーアである。
「というか、どちらかというと、今現在、政の中心人物はお前のほうではないかな、ミーア」
さらに、身もふたもないことを、言い出した!
――いや、そうであったら、困りますけど!
なぁんて、心の中で嘆きつつも、ミーア自身も実感していた。
――でも、実際のところ、それって、あんまり否定できないんですわよね……。
なにせ、ミーアは、あの革命から逃れるべく、いろいろなところで人脈を作ってきた。帝国が未だに滅びていないのは、紛れもなくミーア自身の功績と言えてしまうのだ。
――ルードヴィッヒらの手柄も、最終的にわたくしに帰せられるということになれば、確かにわたくしは、事の中心人物といえるかもしれませんわね。うぐぐ、実に、面倒くさいですわ。そんなことにならないように、きちんとルードヴィッヒのおかげであることを強調しておかないといけませんわね……。
まったく、断頭台から逃れるためとはいえ、ずいぶんと遠くへ来てしまったものだ……などと、柄にもなく感傷的になったところで……。
「……断頭台から逃れるため……。ああ、そういえば……」
不意に、ミーアの脳裏に甦ってくる光景があった。
それは、そう、今まさに帝国が、革命の戦火に呑み込まれようとしていた時の記憶で……。