第七十六話 馬車中の怒れるミーア
ティアムーン帝国近衛部隊には、皇女専属部隊が存在している。
ルードヴィッヒの要請で作られたその部隊は、いついかなる時もミーア姫の気まぐれに対応できるよう、ルードヴィッヒが組織した即応部隊である。
そんな忠義の兵たちに守られて、ミーアを乗せた馬車は一路、ベルマン子爵領へと向かっていた。
「指示を出してから半刻で出発できるとは、さすがですわね、ルードヴィッヒ」
「いえ、以前の貧困地区への訪問で懲りましたから」
答えるルードヴィッヒの顔に、不機嫌さは見えなかった。
ミーアの行動には基本的に誤りがなく、それが善意と知性に基づいたものであることに、ルードヴィッヒは一定の信頼を置いているからだ。
優秀な役人であるルードヴィッヒは、ベルマン子爵領で起こりつつある問題をきちんと把握していた。だから、子爵がミーアに面会にやってくる時点で、何か起こるのではないかと予想し、あらかじめ準備を整えておいたのだ。
――しかし、今回は情報を持っていたから何とかなったが、できればもう少しお考えを、俺たちにも明かしておいてもらいたいが……。いや、姫殿下の心情をきちんと読み取ってこその臣下か。
天才ゆえの論理の飛躍が、時折、ミーアの言動には見られる。
頭の回転が速いゆえに、他者より一手も二手も先を考えていることに、本人が気づかないのだ。
けれど、それはミーアが幼い故ということもあるだろう。
このまま成長すれば、さぞや聡明な君主になられるだろうとルードヴィッヒの期待と忠誠心は天井知らずに高まっていくのだった。
「それで、ルードヴィッヒ、できれば子爵領のことを、教えていただけないかしら」
にっこりと笑みを浮かべるミーア。
――姫殿下のことだ。恐らく、ベルマン子爵領の状況など、とうに知っているのだろう。それなのに、あえて俺から情報が聞きたいということは……。
あどけなさの残る幼い笑み、何も考えていないようにさえ見えてしまうその笑顔の裏で、いったいどれほどの思考がめぐらされているのか……。
ルードヴィッヒはできるだけミーアの意向を読み取って行動しようと考えているが、それでも、半分も理解できていないのだろうな、と苦い不甲斐なさを覚える。
――恐らくはご自分の持つ情報がどの程度正しいかの確認、それに、問題をどのように解決するのか、話しながら考えをまとめていくおつもりなのだろうが……。
「それでは、ご説明させていただきます。ベルマン子爵領には、現在……」
ルードヴィッヒの話を聞くうちに、ミーアは、自らの背筋に冷たーい汗が流れ落ちることを感じた。
「俺が持っている情報はそんなところですが……」
彼の説明をすべて聞き終えたところで、ミーアは、
――あ、あぶねー……!
思わず、胸中で品のない言葉をつぶやいてしまう。
もっとも、それも無理のないことではある。
静海の森を切り開く、そのために少数民族ルールー族を排除する、その森を挟んだ先にあるのはルドルフォン辺土伯領、ミーアの全面的な支持を受けてすべてを行う……。
思い当たる危険ワードがモリモリと盛り込まれた話だった。
日記帳で幾度も見て、だけど、まったくもってミーアが身に覚えがなかったこと。
まさか、自分のあずかり知らぬところで、こんなことになっていたとは……。
――なるほど、確かにこれでは、ティオーナさんとの仲だってこじれるってもんですわ。
前の時間軸ならばともかく、日記帳によれば今回の時間軸でも変わらずに、ティオーナとの仲はこじれてしまう。
学校生活ではそんな兆候がまるでなかったから、ミーアは疑問に思っていたのだが……。
――謎はすべて解けましたわ……、ベルマン子爵、許すまじ、ですわ!
ミーアの腹の中で、ふつふつと怒りが沸き上がる。
そんなミーアを見て、ルードヴィッヒは、やはりこの方は貴族の横暴に、しっかりと怒れる人なのだ、と好感度を上げた。
「俺の知っているのは、そのぐらいです。今の段階だとベルマン子爵に非があることは確かだと思いますが……」
ルードヴィッヒはそこで言葉を切った。
実際のところ、難しいのはそこから先だった。ベルマン子爵のやろうとしていることは、実のところ、咎めるにはいささかグレーゾーンの占める部分が大きいことだった。
森を切り開いて土地を作り出すことは悪いことではないし、自領でやるなら文句を言われる筋合いのあることではない。
ルドルフォン伯爵領との境も確かに曖昧だから、それを理由にやめろとも言いづらいし、少数民族の声と子爵の声とであれば、帝国中央政府は子爵を支持するだろう。
さらに軍部としても、一度、部隊を派遣してしまった以上、撤退させるには「現地の治安の回復」のような、きちんとした理由が必要となる。
これらの問題を解決する術を、ルードヴィッヒは思いつけなかった。だというのに……、
「それで、ミーア様、どうなさるおつもりですか?」
「決まってますわ。ぶっ潰しますわ!」
ミーアは、鼻息荒く言い放ったのだった。