第八十三話 ルードヴィッヒの戦力分析、そして……
「そうか。ミーアさまが、御自ら……」
シューベルト邸での事の顛末を聞いた時、ルードヴィッヒは思わず、と言った様子でため息を吐いた。
「シューベルト家に生息していたキノコの毒を用いて、下手人を撃退……。その後の聞き取りもスムーズに……。むぅ、さすがはミーアさまだ」
臨機応変、融通無碍。帝国の叡智の柔軟極まるやり方に、思わず瞠目するルードヴィッヒである。陽の光に照らされて、その眼鏡のレンズがキラリと白く光った。
「それにしても、まさか、シューベルト侯爵家に蛇が潜んでいたとは……」
サフィアスが謀反を起こす、と言われ、半信半疑だったルードヴィッヒであるが、それでも、調査を進めていた。
ブルームーン派の貴族の動向を探りつつ、謀反を起こすとしたら、誰の差し金であるのかを、詳しく検討していたのだが……。
「このタイミングで、あいつが帝都にいないのが悔やまれるな」
森の賢者ガルヴの兄弟弟子、ジルベール・ブーケ。通称ジル。
帝都の行政と中央貴族に詳しい後輩は、現在、クラウジウス家の調査のため、旧クラウジウス領に出向いていた。
彼であれば、ブルームーン派の動向に関しても、もっと楽に調べられたかもしれないのだが。
「やはり、人脈は大事だな。こちらの伝手ではどうしても時間がかかってしまう」
まだ、ブルームーン派の貴族すべての動向はつかめてはいない。けれど、ある程度、揃ってきた情報によれば、現在、サフィアスが謀反を起こしたとして、協力しそうな者は皆無だった。
「それはそうだろうな……」
ルードヴィッヒは、思わず、そうつぶやいてしまう。
現在、帝国の食料供給のキーマンは、紛れもなくミーアであった。
最大の食料供給地、ペルージャン農業国は、ミーアに全面的な支持を示している。同じく、小麦の供給地であるルドルフォン辺土伯、ギルデン辺土伯も同様だ。国外からの輸入も、ミーアの築いた人脈、フォークロード商会が担っているこの現状……。各地で、農作物の不作が起きる中、少しでも自領の食料状況がわかっている貴族ならば、ミーアを怒らせたら不味いことはわかるはず。
確かにボンクラ貴族の中には、自領の食料事情など意に介さない者もいる。サフィアスが帝位についたほうが都合がいいからと、謀反に協力する者もいるかもしれないが……そうした者たちに対して押さえとなるのが、ミーアの人脈だ。
すなわち、聖女ラフィーナの存在である。
権力志向者にとって、聖女ラフィーナというネームバリューは非常に大きな意味を持つ。
「皇帝陛下の意に反すること、ミーア皇女殿下に逆らうことはできても、ヴェールガの権威に逆らうことはできない。こう考えると、あらゆる意味で、今、ミーアさまに謀反を起こそうなどと言う者はいない。だが……」
ルードヴィッヒは、あえて、そこに付け加える。
「……それも、将来においては定かではない」
喉元過ぎれば熱さを忘れるのが人と言うものの本質。食料危機が終わってしばらくすれば、ミーアの影響力が弱まることも考えられる。
「そして、次の帝位が定まらぬ限り……ブルームーン家が抱える潜在的な危機は解消されない。つまるところ、サフィアス殿は、蛇の誘惑を受けやすい立場であり続けることになる。ミーアさまが、女帝になってしまわない限りは……」
ルードヴィッヒは、そこで改めて、想像を巡らせる。
「女帝ミーア陛下、か……」
その夢の実現性を、ルードヴィッヒは考える。
ミーアが女帝に着く際、無条件に味方になってくれそうな勢力はどの程度か。
現皇帝は、恐らく支持するだろう。というか、あの人は、たぶん、ミーアのやることに一切、反対はしないはずだ。
ルドルフォン辺土伯、ギルデン辺土伯も、恐らく心配ない。イエロームーン家、レッドムーン家の存在も大きい。
四大公爵家の内、二つが味方に付いているという状況はとても心強いものがある。が……。
「レッドムーン家は良いが、軍部のほうはどうか……。影響力が強いとは言っても、黒月省とレッドムーン家は一体ではない」
帝国軍の軍政改革はいずれ手掛けなければならないことだろうが、それが女帝の手によって行われることを、軍がどう思うのか……。
「頭の固い武官はいるだろうから、黒月省は微妙だ。逆に、ミーアさまの農地改革について好意的なのが赤月省だ。外交面に強い緑月省も、どちらかといえばミーアさまの味方だろうが、同じく外交に強いグリーンムーン家は微妙といえば微妙……」
ルードヴィッヒは、恐らく、現時点でもミーアは女帝になれるだろうと踏んでいる。けれど、同時に、今、それを表明すれば苦労も多いだろうというのが、苦しいところだった。
「ミーアさまを、帝国内の問題のみに縛り付けることは、大陸の損失になる……」
帝国内のことは、早急に盤石にしておきたいルードヴィッヒである。そのためには、もっと味方が必要だった。よりミーアのしようとすることを理解し、協力できるような有力な貴族が……。
「イエロームーン家によって、国外に脱出した貴族たち……彼らの力を借りられるかどうかが、大きな分岐点なのかもしれない」
と、その時だった。不意に、執務室の扉をノックする音が聞こえてきた。
「ルードヴィッヒ、いるかしら?」
「これは、ミーアさま……」
来客が、自らの主だと知って、彼は慌てて扉へと向かう。
ドアを開けると、そこには、わずかばかり思いつめたような顔をするミーアの姿があった。
「ミーアさま、どうかされましたか?」
不思議そうに首を傾げるルードヴィッヒに、ミーアは言った。
「実は、旧クラウジウス侯爵領に行きたいと思っているのですけど、その準備をしていただけないかしら?」
思いのほか真剣な顔をするミーアに、ルードヴィッヒは一瞬息を呑み、けれど、すぐに頷いた。
 




