第八十二話 蛇の呪いと消えた侯爵
さて……楽しい料理会が終わったところで、タイミングよくシュトリナから報告が入った。
ゲルタから聞き取りを行った結果、ゲルタと、同じくシューベルト家に仕えていた若いメイド、さらに、一緒にいた男の三人がレティーツィアの誘拐を企てていたことはほぼ確実らしい。
「それで、サフィアスさんに謀反を起こさせようとした、と……。酷い話ですわね」
ミーアは、つぶやきながら、サフィアスのほうを見た。サフィアスは、やっぱり、ショックだったからか、どこかぐったりしているように見えた。
そして、不思議なことに、そばにいたキースウッドもぐったりしていた! なぜだろう?
はて……? と首を傾げつつも、ミーアはシュトリナのほうに視線を戻した。
「さすがは、リーナさん。素晴らしい手際ですわ」
そう褒めれば、シュトリナはいつもと変わらぬ可憐な笑みを浮かべて。
「ありがとうございます。ベルちゃんの前だったので、ちょっぴり張り切ってしまいました」
そう言ってシュトリナは、なぜだろう……指をワキワキ動かしながら言った。
その後ろでは、ベルが……微妙に引いた顔をしていた!
「あら……いったい、どうやって……まさか!」
っと、ミーアもここで思い至った。
「あのキノコで、ただでさえ笑いやすくなっているゲルタさんを、さらにくすぐって尋問した、とか……?」
ごくり、と生唾を飲むミーア。周囲の者たちにも、騒然とした空気が流れかけるが、シュトリナはいかにも心外だという顔で首を振った。
「くすぐるだなんて……そんなはしたないこと、リーナはしません。ただ、くすぐられる、と思っただけでも、くすぐったくなってしまうのが人というものですから……。それを見せれば、簡単でした。うふふ」
ニッコニコしながら、指をワキワキするシュトリナ。
「リーナちゃん、すごく容赦なかったです……。未来でもすごくくすぐるのが上手いから、ボク、リーナちゃんが本気で怒るようなことはしないようにしてるんです」
本気で怒らない、ギリギリのところまでならば踏み込みそうな口調で言うベルである。まぁ、仲がよさそうでなによりだ。
「これで、今回の件に関しては、おおむね聞き出せたと思いますが、ミーアさまご自身でも、尋問なさいますか?」
「ふぅむ、そうですわね……」
正直、あまり尋問とか興味はなかったのだが……、あのキノコの効能については、少しばかり興味がある。
――あのキノコの味は気になりますし……。やはり、直接、話を聞いてみるのがいいかしら……。
などと思いつつ、ミーアは人選を始める。
下手にキノコのことを聞く、などと言い出せば、止められそうな気がするので、人選は慎重にしなければ……っと、あたりを見回したところで……。
「あの、ミーア、お姉さま」
不意に、ドレスを引っ張られた。見ると、パティが、真っ直ぐに見つめていて……。
「お願いがあります。ゲルタ……あの、メイドの聴取に立ち会わせてください」
「ふむ……?」
ミーアは、ちょっと驚いた顔でパティを見た。その、どこか思いつめたような表情に、小さく首を傾げる。
――パティがこんなことを言い出すなんて、珍しいですわね……。
それから、しばしの黙考。
パティの秘密は、まだ、誰にも言っていないことだった。なので、いざという時のことを考えて……。
「……そういうことでしたら、わたくしとパティで、話を聞くことにしましょうか……。リーナさん、彼女はまだ、しびれて動けないんですわよね?」
「嘘も吐けませんし、体も動きません。話を聞くには最適の状況だと思います」
シュトリナの言葉に頷いてから、ミーアは、視線を転じて言った。
「でしたら、アベルとシオン……それにサフィアスさんは、残り二人から話を聞いていただけるかしら?」
素早く役割を割り振ると、ミーアは厨房を後にした。
ゲルタが運び込まれたのは、シューベルト邸の一室だった。
念のために、と後ろ手に縛られて、椅子に座らせている老境のメイド、ゲルタ。心なしかぐったりして見えるのは、シュトリナのきびしーい尋問で消耗しているからだろうか。
彼女はミーアを見ると、顔に笑みを浮かべて言った。
「これは、これは、帝国の叡智……。敗残の身を嘲笑いにくるとは、趣味が悪い。あはは」
「……笑っているのは、あなた自身だと思いますけれど……」
ミーア、珍しく適切なツッコミを入れつつ、ゲルタの前に腰かける。それから、パティも隣に座るように促し……。
――さて、どう話をしたものかしら……? というか、よくよく考えると、パティがなにを聞きたいのかも分かりませんし……。
っと、パティのほうを窺おうとしたところで……。
「しかし、まさか、クラウジウス家のことを、今さら調べられるとは思っていませんでしたよ……。察するに、あの女……皇妃パトリシアの差し金でしょうか……まったく、あの小娘、死んだ後でも我らの邪魔をするとは……」
その言葉に、思わずミーアは瞠目する。
「クラウジウス……それに、パティ……パトリシアお祖母さま……。あなた、お祖母さまをご存知なんですのね?」
言ってから、ふと気付く。
――あら? ということは、もしかしてパティも、この方のことを……知っている?
素早くパティの顔を見るも、パティは相変わらずの無表情を貫いていた。
「白々しい。私がクラウジウス家に仕えていたことも、すでに調べているのでしょう? 下手な芝居など不用。驚いたフリなどしなくても構いません」
ゲルタは吐き捨てるように言ってから、
「すでにわかっていると思いますが、パトリシアを育てたのは、私と母です。けれど、蛇としての教育を、きっちりと施してやったというのに、あいつは裏切った。クラウジウス家に養ってもらいながら、なんという恩知らずな……」
「その、クラウジウス家とは一体、なんなんですの?」
ミーアは、以前から疑問に思っていたことを尋ねてみる。と、ゲルタは眉をひそめて。
「嘆かわしい。帝室の姫たる者がそんなことすら知らぬとは。初代皇帝陛下のお志を忘れてのこの体たらく、まったくもって、嘆かわしい」
やれやれ、と首を振る。
「このような事態のために、クラウジウス家はあったというのに……あの恩知らずの小娘のせいで……」
「ええと、ですから、このような事態……とは、どういうことですの?」
「説明するようなことでもありませんよ……。裏切り者のイエロームーンのことは、すでにご存知でしょう? クラウジウス家もまた、あれと似たようなもの。初代皇帝陛下の立てた素晴らしい計画を実行するための家なのです。イエロームーン家は暗殺により、陛下の計画の実現のために尽力する。対して、クラウジウス家は、帝室の腐敗に対する安全装置」
「帝室の腐敗……?」
「あなたのような者のことを言うのですよ。ミーア・ルーナ・ティアムーン。帝国の叡智」
ゲルタはミーアを睨みつけながら言った。睨みつけ……てはいるのだが、口元はニヤニヤと笑っているものだから、余計に不気味だった。
「人は弱い者。破滅の志が薄れてしまうことがある。まして、国の頂点たる皇帝になってしまえば、今の生活に満足してしまうかもしれない……。そうならぬよう、時の皇帝を絶望させ、初代皇帝陛下の御心から離れないようにすることこそが、クラウジウス家の使命だった」
「パトリシアお祖母さまも、その教えを受けていた……?」
「そう……。パトリシア。あの裏切り者の小娘。貧しい妾の小娘が……。皇妃にまで仕立て上げてやったのに、蛇を裏切った。許されざる裏切りです。だから……」
っと、そこで、ゲルタはニヤリ、と口元に笑みを浮かべて、
「だから、報いを受けたんですよ。あの小娘の弟……ハンネス・クラウジウスは、蛇の呪いを受けた」
ハンネスの名が出た時、パティがピクンッと体を震わせた。
「蛇の呪い……それは一体なんですの……?」
ミーアもまた、声を震わせる。こちらは、単純に「呪い」という恐ろしげな単語にビビっちゃっただけだが……。まぁ、それはさておき。
「ハンネス・クラウジウスは、クラウジウス家の当主でした。皇妃パトリシアを思いのまま操るための人質でしたが……けれど……あの男は、姉とは違い、見どころがあった。毎日、欠かさずに『地を這うモノの書』を読みふけり、関連した様々な書物をも読み漁っていたのです。あれは、まるで、蛇にとり憑かれたようだった」
ゲルタは、そこで、意味深に言葉を切って、
「そして、ある日、ハンネスは忽然と姿を消した。あの皇妃の行動に、怒った蛇によって呪い殺されたのか、はたまた、連れていかれたのか……。まぁ、逃げたにしても、蛇がなければ、生きてはいけぬ身。今頃は死んでいるでしょう。ふふふ、いずれにせよいい気味ですよ」
実に楽しげに笑うゲルタ。そんなゲルタに、おずおずと、パティが声をかける。
「ゲルタ……あなたは、本当にゲルタなの?」
困惑を顔いっぱいに浮かべるパティ、その顔を見て、ゲルタはかすかに目を細める。
「ああ……小娘……、その目。やはり、お前は似ていますね。あいつに、あの役立たずのパトリシアに……ふふふ、もしやお前はあの女の生まれ変わり? それならば、呪われるがいい。お前も、帝国の叡智も、なにもかも……」
まるで、酔っ払っているかのような、気味の悪い抑揚で、ゲルタが笑い転げていた。
それを見たミーアは、なんともうすら寒いものが背筋に這い上がってくるのを感じずにはいられなかった。
さて、部屋を出たところで、ミーアはチラリ、とパティのほうを窺った。
パティは、黙ってうつむいていた。
「ええと……パティ?」
さすがに、これは、事情を説明する必要があるだろう、と察するミーアであるが、さて、なにを話したものか……どう誤魔化したものか……。
むぅうっと唸りつつ考えていると……。
「……弟に……ハンネスに会わせて……」
ぽつり、と小さなつぶやきが聞こえて……。次の瞬間、パティがばっと顔を上げた。
「ハンネスは……ハンネスはどこにいるの? 私、会いたい……。会いたい」
自分のドレスのスカートをギュッと掴んで、パティは言う。ポロポロ、ポロポロ、とその目からは涙がこぼれて……けれど……その顔は、やはり表情を失ったまま。まるで、表情を出すことを固く禁じられているかのように……。
否……ように、ではない。実際に、そうだったのだろう……。きっと、少女から表情を消し、表情すらも自身で使いこなし、相手を誘導するように、などと……蛇は教え込んだのだろう。
「パティ……」
そんな少女に、ミーアは、なにも言えなくて……。
「会いたい……」
かすれたパティの声を聞いていることしかできなかった。