第七十八話 奇術のように……
さて、パティたちが連れてこられたのは、地下の一室だった。
曲がりくねった地下道を抜け、いくつかの階段を上り下りした場所……。途中まで、道順を覚えようと思っていたパティだったが、早々に諦めた。
――たぶん、ヤナを見捨てても、逃げ切れない……。
そう確信できたことで、なんだか、ちょっとだけ心が軽くなった。
自分は死ぬわけにはいかないけど、でも、ヤナを見捨てたら生き残れるという状況じゃない。だから、ヤナを見捨てなくてもいい。そう思えることが……今は救いに感じられた。
「さて、じゃあ、ここでゆっくり話を聞こうかしら……」
そこは、入口が鉄格子になった、地下牢のような部屋だった。部屋の入口付近で、男がヤナを乱暴に下ろす。その衝撃で目が覚めたらしい。
「ん……ううん……え?」
ヤナはぼんやりと部屋の中を見回して、ひっと息を呑んだ。
強気で、しっかり者のヤナを怯えさせるようなものが、そこには揃っていたからだ。
それは、例えば、壁際に置かれた棺桶のような物……その内側には鋭い棘がたくさんつけられていた。あるいは、壁から垂れ下がった武骨な鎖、その先端はいかにも両腕につけて吊るしてくださいとばかりに枷がつけられている。
他にも、先端がギザギザした鞭とか、先端に棘付き鉄球の付いたこん棒とか……なにやら、おどろおどろしい物が、そこには揃っていて……。
こんな部屋に連れてこられて、これから何をされるのか……などと想像すれば、ヤナの反応はとても自然なことのように思えた。
「あら、ふふふ……。この辺の道具が、気になります?」
道具を見つめるパティに気付いたのか、若いメイドは、まるで、楽しむような嗜虐的な笑みを浮かべる。ねっとりと、絡みつくような笑み……けれどパティには、その表情が、どこか作ったもののように見えた。
まるで、怖がらせることが目的なような……そうすることが、尋問の有利になるから、と、計算づくでしているような……そんな印象。思えば、ゲルタも、いつも作ったような、感情の窺えない笑みを浮かべていた。この若いメイドも同じかもしれない。
だからこそ、パティはあえて無表情を貫く。それが、状況を有利にすると信じて……。
反応を示さないパティを見て、若いメイドは、すぐに真顔に戻り、つまらなそうにつぶやく。
「やっぱり、蛇の教育を受けた子どもには、効果が薄いか。ゲルタさまがおっしゃっていたとおり、お前は蛇の教育を受けている……ん? そっちの子どもには、効果がありましたか」
メイドは、青い顔で震えるヤナを見て、意地の悪い笑みを浮かべる。それから、あの棺桶のような道具に近づいていき……。
「これ、気になりますよね。このトゲトゲ。この赤いの……いったいなんだと思います? さて、これは、何に使ったのでしょう……?」
メイドはニッコリ笑うと……バンッ! と思い切り、そのトゲトゲに手を叩き付けた。
「ひぃっ!」
ヤナの引きつるような悲鳴。さすがのパティも驚愕のあまり、ビクンっと体を震わせる。
けれど、当のメイドは涼しい顔で……笑みすら浮かべて……。
「答えは、これ……」
そうして、メイドは手のひらを示す。その手には……傷一つついていなかった。
「これは、奇術の道具。ほら、刺さらないんですよ……。ここにある道具全部、奇術の道具。さっき通ってきた地下道もまたしかり……。驚きましたか?」
楚々とした様子でそう言うと、メイドは小さく首を傾げた。
「本当は、練習がてら、どこまで嘘で情報を吐かせられるか、というのをしようかと思っていましたが、あまり時間がないようですし……それに」
っと、彼女は妖しげな目付きでパティを見つめて……。
「蛇の教育を受けているという、あなたの正体は一刻も早く調べなければならない。ゲルタさまの名を知り、あのクラウジウスに反応をしていた……。いったい、あなたは何者なのか、とゲルタさまは、気にしておられますから……少し乱暴な手段を取らせてもらいますね」
それから、彼女は優しい笑みを浮かべる。
「ああ。大丈夫ですよ。痛いことはしません。それに怖いことも、辛いことも、なにもありません」
そうして、丸い飴玉のような物を取り出した。
「実は、嘘を吐けなくなるお薬というのがありまして……。七日程、腑抜けて正気に戻らなくなるのですが、まぁ、その頃にはすべて終わっていますから、ご安心くださいませ」
ニッコリと、子どもをあやすような口調で言うメイド。けれど、それに応えたのは、パティでも、ヤナでもなく……。
「ほう! それは、怖いな」
突如、響く声。メイドたちが驚いた様子で視線を巡らせる。っと、鉄格子の向こう側……立っていたのは、
「まったく、飲まされるほうはたまったものじゃないだろうな」
肩をすくめて、苦笑いを浮かべるサフィアスだった……!
少し前にミーアたちから、そのお薬を飲まされそうになっていた張本人である! 飲まされなくって本当に良かったね!
「お前、サフィアス・エトワ・ブルームーン!」
若いメイドは身構えて、キッとサフィアスを睨む。対して、サファイスは、
「おいおい、礼儀がなってないな、メイド」
大貴族然とした、高圧的な言葉を思い切り叩きつけてから、ふっと嘲笑を浮かべる。
「まぁ、幼い子どもをかどわかすような者に、今さら礼儀をどうこう言うのも詮無きこと、か」
それから、彼は、メイドの後ろの男に視線を向けた。
「そちらの男は、察するに悪だくみのお仲間かな……。そういえば、どことなく、シューベルト家の御者に似ているような気がするが……もしや、彼に扮してなにか企んでいた、とか……?」
サフィアスの視線の先、痩せぎすの男がたじろぐように呻いた。
「いずれにせよ、お前たちは、レティーツィアにも、このシューベルト家にも相応しくない。排除させてもらおうか」
「はは。言うじゃないか。腰抜けのサフィアス。剣すらろくに振ったことのない貴族のお坊ちゃんが、悪だくみをするような男を相手に、どう立ち回るつもりだ?」
男は、サフィアスを嘲笑うかのような、笑みを浮かべる。それに合わせて、若いメイドも声を上げる。
「まさか、解雇だと宣告すれば、かしこまるとでも思ったの? それとも、大貴族の血筋を誇れば、恐れ入るとでも思ったとか?」
メイドの後ろで、男がナイフを抜いた。ギラリと獰猛に輝く刃を前にして、けれど……腰抜けと罵られたサファイスはまるで慌てる様子がなかった。
「ははは、かしこまっていただく必要はないとも。悔しがってもらう必要はあるかもしれんがね……まんまと、囮に引っかかったことをね」
「なにっ!?」
直後、がたん、っと、鋼鉄の棺桶の、底が抜けた。そこから飛び出したのは影……。細くしなやかな影は、疾風のごとくナイフを持った男に向かって行くと、足を高々と振り上げる。鞭のようにしなる長い右脚が、男の手からナイフを蹴り上げる。そのまま、影は一回転。左足で、驚愕に固まる男の、その胸板を蹴り飛ばした。
男が壁に叩きつけられるのを確認しつつ、その人影は右手を差し出した。瞬間、まるで奇術のように、そこにナイフが落ちてきて、見事にその手の中に納まった。
「刃に毒でも塗ってあったら面倒だ、と警戒したが……杞憂だったかな」
刃に軽く触れてから、キースウッドは肩をすくめて、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「なっ!? ど、どこから……?」
慌てて後ずさるメイド。そんな彼女にサフィアスは、勝ち誇ったようなドヤァ顔で……。
「無論、隠し扉から、さ。先ほど、自分で言っていただろう、ここは、奇術の道具を保管しておく場所だとね」
洒落たウインクを見せるのだった。
 




