第七十五話 希望的観測に身を委ね……
シュトリナが、一瞬だけ感じ取った視線……。それは、錯覚ではなかった。
じっと……じぃぃっと……少女たちの動向を見張る男たちがいたのだ。
それは、オブジェクトの影に身を潜めた男たち……サフィアスとキースウッドだった。
木の根元に植わった得体の知れないキノコを採り、その場を後にした少女たち……。その後ろ姿を見送ってから……サフィアスは震える声で尋ねる。
「どう……思う?」
「……イエロームーン公爵令嬢は、毒や薬、キノコ類にも造詣が深く……、また、とても聡明なご令嬢である、と俺は信じていますよ。心から……」
キースウッドは、険しい顔で言った。
「ああ……そうとも。それは、知っている。彼女は、あの年にしては、非常に頭が切れるご令嬢だ。それは知っているとも。だが……」
サフィアスは苦い顔で言った。
「我らは、帝国貴族なのだ。そして、ミーア姫殿下に忠誠を誓った身でもある。それに……彼女はミーア姫殿下に救われたとも聞いている。そんな彼女が、ミーア姫殿下の言葉を拒絶できなかったとしても……不思議ではない」
頭痛を堪えるように、頭を押さえつつ、サフィアスは言う。
「例えば、ミーア姫殿下の言葉なのだから、きっと何か意味があるに違いない……などと言う理屈を信じる方向に、流されて行ってしまっても不思議ではない。多くの場合、その選択は正しいが……」
「料理に関してのミーア姫殿下は、信用ならない、と……?」
「反対の余地はないだろう?」
そう問えば、キースウッドは小さく肩をすくめて、
「確かに。しかし、これは、時間稼ぎが失敗したと見るべきか……。あるいは、時間稼ぎをしたがゆえに、時間的余裕を与えてしまい、かえって、余計なことを始めたとみるべきか……でしょうね」
「ああ、これは、困ったことになったな……。オレは急いでいくべきなのか、それとも、もうしばらく時間を置くべきか……」
もしも、レティーツィアたちが、サフィアスの到来を待って食事を始めようとしているのであれば、急いで行って到着した瞬間に、名状しがたいキノコ料理が出て来る危険性がある。だが、急いでいけば、まだ、料理の修正ができる可能性も残されているわけで……。
「ああ。そうだ。一つ、良いアイデアがある」
サフィアスはポン、と手を打った。
「と言いますと……?」
「なに……。簡単なことだ。こっそりと厨房に行き、様子を見てくればいい」
「しかし、館の入口には……」
遅刻してきたサフィアスを、使用人たちが待ち受けているに違いない。こう見えて、彼は、館のお嬢さまの婚約者にして、帝国四大公爵家の次期当主だ。出迎えが出てきて当然の身分なのである。が……。
サフィアスは片手を上げて、キースウッドを制した。
「ふふふ、ああ、わかっている。実はね、秘密の入口というのがあるんだ」
「ほう……秘密の……」
感心した様子で顎を撫でるキースウッドに、サフィアスは軽快な笑みを浮かべる。
「ところで、突然だが、この彫刻、明日への希望というタイトルがつけられていてね」
何気ない口調で言って、サフィアスは、にょろにょろと地面から伸びた彫像に近づいた。
「正直、この奇妙なキノコみたいな彫像がどうして、明日への希望なのか、と謎だったんだが……」
そう言って、彼は彫像に手を伸ばす。にょろにょろの一本を手前に、別の物を右に、と、動かしていく。次の瞬間、ガコンと重たい音を立て、彫像が横にずれた。
「実は、ここが、館からの抜け穴になっているのさ」
「なるほど。襲撃にあった時に、明日に希望を繋ぐための脱出路、だから明日への希望と言うこと、か……」
「そういうことだな。ああ、でも、もともと脱出路として作られたものではなく、奇術の抜け道として作られたらしい、という話も聞いたが……」
「奇術、ですか……」
「そう。何代か前の当主がはまったらしい。一度姿を消して、どこか違う場所から姿を現わしたりとか。いずれにせよ、凝った造りの屋敷だよ」
苦笑いを浮かべつつ、サフィアスは、地下の道へと降りて行った。
中は、薄暗い、と言った感じだろうか。どうやら、外からは隠されているものの、明り取りの仕組みが施されているらしい。
「確かに、かなり凝った作りですね……。時に、サフィアス殿は、なぜ、この道をご存知で?」
キースウッドの問いに、サフィアスは若干慌てた様子で、
「いやぁ、まぁ、その、ね? ああ、もちろん、いかがわしいことに使ったわけじゃないぞ? ただ、その、愛しい人とこっそり夜空を見ながら、詩を読み交わしたい時とか、あるだろう? 屋敷の屋根にこっそり上って、月を見上げながら、膝枕されたい時とか、あるじゃないか!」
拳をグッと握りしめて力説するサフィアス。キースウッドは、苦笑した。
「シオン王子にも、そのぐらいの積極性があればいいのですが……止まって」
っと、唐突に、キースウッドが立ち止まり、口に人差し指を立てた。
「しっ……」
それから、曲がり角から慎重に、通路の向こう側を覗いた。
サフィアスも慎重に、キースウッドに続いて、覗いてみる。幸いというべきか、通路内は薄暗い。まったく見えなくはないが、隠れるには適している。
目を凝らすと、通路の向こうを歩く人影が見えた。数は……四人。
若いメイドと、男。それに、少女が二人。その内、一人は、男に抱えられて、ぐったりしていた。
彼らが角を曲がるのを見送ってから、キースウッドがつぶやくようにして言った。
「今のは……?」
「シューベルト家のメイドと見慣れない男。それに、子どもたちに見えたが……しかし……どういうことだ? どうなっている?」
困惑した様子でつぶやくサフィアスに、キースウッドは一つ唸ってから、
「サフィアス殿は、ミーア姫殿下のところに向かったほうがいい」
厳しい顔つきで言った。
「相手は、賊……。場合によれば、蛇の可能性もある。この先でどんな危険が待ち受けているか……」
っと言いかけたキースウッドの言葉を遮って、
「いや……オレもついていこう」
スチャッと一歩前に出るサフィアス。
「いや、しかし……」
「幼い子どもたちが連れ去られたのだぞ? ここで黙っていては、レティーツィアに合わせる顔がないじゃないか」
ニヤリ、と格好いい笑みを浮かべて、
「それにさっきも言ったが、オレは、この地下道のことをある程度知っている。ここは、同行するべきだろう」
実に、心強いことを言うサフィアス。そんなサフィアスに、キースウッドは、ふっと笑みを浮かべて……。
「サフィアス殿……ちなみに、本音は……?」
問いかけに、サフィアスは、ふーっとため息を吐き、天を仰いだ。
「いやぁ、正直な話、ミーア姫殿下と愛しのレティーツィアが、あのキノコを使って作った鍋料理を食べる自信が、まったくない!」
言い切った!
いっそ清々しいほど堂々と、サフィアスは、言い切ったのだ!
そして、
「まぁ……時間稼ぎには失敗したが、ダリオは頼りになるやつだから、きっと料理会のほうはなんとかなるんじゃないかな……たぶん。きっと……」
「そう……ですね。まぁ、世の中には、そんな素敵な奇跡だって、あっていいと思いますよ。よくよく考えるとシオン殿下も聡明な方ですし、ギリギリで料理の危険性に目が覚めてくれるかも……」
まるで、祈るように、そう答えるキースウッドであった。
そうして、希望的観測に思いっきり身を委ねつつ、二人は、地下道に身を挺するのだった。
本当はすぐにでもシオンのもとに駆け付けたいキースウッドですが、目の前で子どもが連れ去られたら、さすがに仕方ないよね……うん。
べ、別に、厨房に行きたくなかったとか、そんなこと全然ないんだからね!