第七十四話 ……本当だ!
ミーアの密命を受け、シュトリナは早速動き出した。
こっそりと調理場を抜け出し、屋敷の中を誰の目にもつかぬように急いで歩いていく。
実のところシュトリナは、今回、この屋敷に来た事情をきちんと覚えていた。
サフィアスが謀反を企てること、そして、ミーアがそれを止めるために、ここにきていることを、きちんと覚えていた。
ただ、遊びに来ていたわけではないのだ。使命があるのだ。
それを忘れて、ベルと遊んでいたとか、そんなことは断じてないのである。
…………本当だ!
ということで、足音一つ立てず、気配を消して、廊下を進んでいく。
まぁ、別に見つかったとしても、お手洗いに行くついでとかなんとか、言い訳はできるだろう。侯爵家の屋敷を勝手に歩く無礼は、星持ち公爵令嬢という立場と、可憐な少女の笑みで、なんとでも封殺はできるだろうが……。
――問題は、相手が蛇だった時。もしも、あのゲルタというメイドが蛇だったら、潜んでいるのが一人だけとは思えない。
シュトリナは改めて、先ほどゲルタが見せた、あの足さばきを思い出す。
あの時、あの瞬間、調理場に入ってきたゲルタの気配の消し方は……シュトリナには覚えのあるものだった。
そして、入ってきてすぐにレティーツィアに近づき、誘導しようとしていた。
――急いで料理を作らせようとしていた……それはなぜ……?
恐らく、彼女にとって不測の事態が起きたのだろう。だからこそ、あの瞬間、普通のメイドとしての演技を忘れた。うっかり、シュトリナの目の前で、普段通りの気配を消す動きをしてしまったのだ。
――サフィアス・エトワ・ブルームーンの謀反にあのメイドが関わっていることをミーアさまは疑っているのかもしれない。もしもそうなら、一人でここに潜んではいないだろう。他にも仲間がいる可能性がとても高いはず……。気をつけなきゃ。
まぁ、もちろん、言うまでもないことながら、シュトリナは最初から首尾一貫して警戒しているし、気をつけて行動している。まさか、ベルと遊ぶことに気を取られていたとか、一緒に出掛けられただけでウキウキ楽しくなっちゃって油断してたとか、そんなことは本当にないのである。
…………本当だ!
とまぁ、そんなわけで、気配を消しつつも、いざ見つかったら迷っちゃいました、という風を装いつつ、シュトリナが向かったのは前庭だった。
あの、ちょっぴり意味のわからないオブジェクトの間を素早く移動していく。
不規則に立った彫像は、なんとなく不気味で、一人で歩いているとなんだか怖くなってしまった……ことだろう、ミーアならば。
ちなみに、合理主義者なシュトリナは、誰か刺客が潜んでたら、面倒だなぁ、ぐらいにしか思わなかったわけだが……。
そうして、辺りの気配に注意しつつ、シュトリナは目的の場所にたどり着いた。
『明日への希望』と題されたオブジェクト。等身大の、にょろにょろしたヘンテコな形の彫像、そこから少し離れた木の根元に、目的のモノ……キノコがあった。
「あれね……」
見つかるか不安だったからだろう、無事に目的の物を発見できたシュトリナは、ホッと一息吐いた。吐いてしまった……。それは……油断!
最近は、あまり気を張っていなかったから。蛇の一員としての役割から解放され、普通の(解毒剤で王様の命を救ったりとかしてはいたものの……)令嬢として生きてきた時間が、彼女の警戒心の感度を鈍らせていた。
結果、シュトリナは、それを察することができなかった。自分に近づく、影の存在に!
「わっ!」
「きゃっ!」
小さく悲鳴を上げるシュトリナ。一歩後ろに下がり、目つぶしのお薬を投げつけようとするも……影の正体を見て、すぐさま自重。それから、ふぅっとため息を吐き、胸に手を当てた。
「ああ……ベルちゃん」
そこに立っていたのは、ニッコニコと、悪戯っ子のような笑みを浮かべるベルだった。その後ろからは、キリルがぴょこん、と顔を出す。
「どうして、ここに?」
「はい。リーナちゃんがいつの間にかいなくなってたから、もしかして、この面白そうなお庭を探検してるんじゃないかなって思って」
そう言って笑うベルである。
思わず、安堵するシュトリナだったが、すぐに、眉をひそめて……。
「ベルちゃん、誰かに尾行とかされなかった?」
「え……? 尾行?」
きょとん、と首を傾げて……それから、ベルは後ろを振り向いた。
つられて、シュトリナも、一緒にいたキリルも屋敷のほうに目をやる。っと……いつの間にやら、そこには数人の人影が……人影が…………いなかった!
どうやら、尾行はいなかったようである。一安心だ。
ちなみに、シュトリナの心配は、あながち的外れではなかった。
なるほど、確かに屋敷の中で、ミーア一行の誰かが勝手なことをすれば、ゲルタの警戒網に引っかかったことだろう。注意しつつここまでやって来たシュトリナならばともかく、無警戒にズンズン廊下を歩いてきたベル探検隊の二人では、呆気なく見つかって、捕縛されていたことだろう。
ただ、ベルにとって幸運だったのは、蛇の手の者の数が少なかったこと、そして、パティという少女の存在を、彼らが怪しんだことだった。
結果、蛇は、ベルとシュトリナという二人のご令嬢にまで、手が回らなかったのだ。
「でも……今、視線を感じたような……?」
一瞬、首を傾げたシュトリナだったが、すぐに首を振り、
「見つかってないならいいんだ。それじゃあ、早く戻ろう」
「リーナちゃんは、ここになにしに来ていたんですか?」
不思議そうに尋ねるベルに、シュトリナは笑顔で、それを見せた。それは……丸い魚のようなフォルムのキノコで……。
「これは、トロキシ茸。別名、フグワライ茸っていうの」
シュトリナは、キノコを見つめてから、
「リーナも一度だけ食べてみたことがあるんだけど……このキノコには、ちょっぴり変わった性質があってね……」
妖艶で、意味深な笑みを浮かべるのだった。