第七十三話 いつものミーア
さて、料理を始めようか、といったところで、ティオーナが近づいてきた。
「ミーアさま、改めまして、ご無沙汰しています。本日は、このような素敵な会にお招きいただきありがとうございます」
「あら、ティオーナさん。ご機嫌よう。お元気そうでなによりですわ。お父さまとセロくんは、お変わりはないかしら?」
そう尋ねると、ティオーナは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。父も、弟も元気にしています。セロは、ミーアさまの学校で学ぶのがとても楽しいみたいで……。アーシャ姫殿下にも、とてもよくしていただいているそうです」
と言ってから、ティオーナは、でも……と続ける。
「最近は、なんだか、すごく頼もしくなってしまって……。それが少しだけ寂しいんです」
「まぁ、ふふふ。ルドルフォン辺土伯令嬢にも、弟さんがいらっしゃるのね」
レティーツィアが気品のある笑みを浮かべて、会話に加わってきた。
「でも、羨ましい。うちの弟のダリオなんか、いつまでたっても頼りなくって……。あれでは、サフィアスさまの支えにはなれないんじゃないかしら……」
姉の視線を受けたダリオが、微妙に居心地悪そうに頬をかいた。
「いや、シューベルト侯爵令嬢。それは、弟の近くにいるから、そう感じるだけかもしれない。少し離れてみると、見えてくるものがあるかもしれないよ」
腕組みしつつ、そう言ったのは、シオンだった。
「そういうもの、なのでしょうか。シオン殿下」
怪訝そうな顔で首を傾げるレティーツィアに、シオンは肩をすくめて、
「ああ。もっとも、私もそれに気付くのが遅れてね……。ミーアのおかげで、なんとか、間に合ったという感じだったよ」
さて、そんな風に弟談議に花を咲かせつつ、ティオーナがミーアのほうを見た。
「それで、ミーアさま、私はどれを切ればいいでしょうか?」
ウッキウキの顔でティオーナが言う。
「ふーむ、そうですわね……」
ミーア、腕組みしつつ、考える……ふりをする。
まぁ、実際のところ、なにから調理を始めればいいかなんて、ミーアにわかるはずもないわけで……。
「では、とりあえず、端から順番に……」
などと、近くにあった玉月ネギと公爵芋を手に取る。と……。
「僭越ながら、その玉月ネギは、早めに入れてしまうと溶けてなくなってしまいます。味としては問題ないのですが、食感を楽しむのであれば、できるだけ後のほうにされたほうがよろしいかと……」
ミーアの後ろから、ゲルタの静かな声が響いた。
「ですから、そちらの満月大根などを先に切るのが良いのではないかと……」
「なるほど。では、ティオーナさんとシオン、申し訳ありませんけど、そちらの満月大根を、ええと……?」
「輪切りにするのがよろしいかと……」
「それにしてくださいまし」
てきぱきと指示を出しつつ、ミーアは、
――この、ゲルタさんという方……なかなかできますわね?
思わず瞠目する。
よくよく思い出してみれば、先ほどからの立ち居振る舞いなども品があって実に見事。
足音を立てずに部屋の中を歩き回る様子や、一つ一つ洗練された仕草に、ミーアは、ふむ、と唸り声を上げる。
――的確な時に的確な指摘をし、正解へと導いていく。実に優秀。さすがは侯爵家のメイドといったところかしら。
まったくもって感心しきりのミーアである……。
ゲルタが怪しいとか……そんなこと、まるっきり考えてなかったのである!
まぁ、もちろんご存知のことと思うのだが……。
「では、シオン王子、これを一緒に……」
っと、ティオーナとシオンが並んで作業を始めた。
仲睦まじく野菜を切るティオーナとシオンを見て、ミーアは、実に微笑ましい気持ちになってしまう。
――ふふふ、以前までのわたくしであれば、あんな光景を見せつけられたら、怒ったのでしょうけど……。
前の時間軸、シオンのハートをゲットするべく、待ちの姿勢を貫いていたミーア。あの当時のミーアが見たら、きっと、嫉妬に怒り心頭だったはずで……。
そんなミーアにも、今は……。
「ミーア、ボクたちも作業を始めないか?」
アベルがニッコリ笑顔を見せる。
「うふふ、そうですわね」
それに、笑みを返しつつ、ミーアは幸せを噛みしめる。
――ああ、素敵ですわ。やはり、愛する殿方とお料理を作れることは、何よりの幸せ……。ふむ……。
っと、そこで、ミーア、冷静になる。
――っと、ダメですわね。アベルとイチャイチャしたいのはやまやまですけれど、今日はレティーツィアさんに、お料理を教えて差し上げるのがメインイベントでしたわ。サフィアスさんもいらっしゃらなくて、寂しそうにしていますし……。ここは、わたくしが気を使って……。
いささかおこがましいことを思いつつ、ミーアはレティーツィアのほうを見た。
「レティーツィアさんも一緒に切りましょうか。やはり、お野菜は形が重要だと思いますの。この、イモを馬型に……」
「……僭越ながら、イモは煮崩れてしまうかと思いますので、あまり形を変えても意味がないかと……」
「ふむ……。やはり、見た目よりは、味付けがポイントでしたわね!」
こうして、ゲルタの手のひらの上、なんの抵抗もなくコロコロ転がされるミーア……。その姿はさながら、大海に漂う海月のごとき他愛のなさで……。
まぁ、つまり……その、なんというか……いつも通りのミーアなのであった。




