第七十二話 野菜もいける、ミーア姫!
さて、シューベルト邸の一角で、恐ろしい事件が起きている頃、調理場でも恐ろしいことが進行していた。
「では、ダリオ。準備をしてちょうだい」
姉の命を受け、ダリオは厨房の者たちに指示を送る。
「しかし、打ち合わせとは……」
料理人たちが顔を曇らせる。彼らも、レティーツィアの料理の腕前のほどは、痛いほどよく知っているわけで……。けれど、
「ああ……大丈夫だ。問題ない……。刻むべき野菜は、たくさんあるんだから……時間稼ぎはできるはず……大丈夫……大丈夫」
そんなダリオの様子を見て、彼らはさらに、顔を青くする。
ダリオが……まるで、自分自身に言い聞かせるような口調で言っていたからだ。
けれど、だからといって、命令に逆らえるはずもなし。動き出してしまったことは止められない。
すぐさま動き出した使用人たちの手によって、食材が運び込まれてきた。
机の上、一杯に乗せられた食材を見て、ミーアは思わず、おおっ! と嬉しそうな声を上げた。
「これは……ずいぶんとたくさんのお野菜ですわね」
大きな机の端から端に至るまで、ゴロゴロと並べられた野菜の数々。試しに、その一つを手に取り、ミーアはニッコリ笑みを浮かべた。
「ああ、これは、実に美味しそうですわ……」
ちなみに「わたくし、甘い物と美味しいお肉以外は食べたくありませんわ!」なぁんて、わがままなことを、昔は言っていたミーアではあるのだが……、今のミーアは、野菜もいける!
なにせ、地下牢で食べさせられたアレやコレを経験しているミーアである。
しっかりと洗ってある新鮮なお野菜など、ご馳走以外の何物でもない。さらに……。
「ああ、あの帝国キャロット……なかなか良い色ですわ。あれは、バターとからめて甘くするととても美味しいんですわよね。それに、ケーキには最高で……」
料理長とラーニャによってしっかりと舌を鍛えられたミーアは、もはや、かつてのミーアにあらず。ミーアはすでに野菜の楽しみ方を知り尽くしている。
今のミーアは野菜もいける!
まぁ、もちろん、食べる分には、だが。
「ふふふ、ミーアさまは、とっても、お料理に造詣が深いのですね」
感心した様子のレティーツィアに、上機嫌に笑うミーア。
「ええ、まぁ、それほどでもございませんわ」
などと答えつつも、ひそかに胸の中では……。
――ふむ、レティーツィアさん、情熱はありますけれど、料理の腕前のほうは、やはり怪しいですわね。
珍しく、非常にまっとうなことを思っていた! とても珍しいことである!
さらに、さらに!
――以前の料理会の時にも、サフィアスさんが付きっきりでいましたけれど……あれも、レティーツィアさんの腕前を知ってのことだったのではないかしら……。であるならば……もしや、彼が、今回の料理会について気が進まない様子だったのは、本当に、婚約者の腕前を危惧してのことだったとか……。
なんとミーアが……あの、ポンコツ迷探偵のミーアが……真実に極めて近い部分まで到達してしまうという異常事態が起きていた。
これは、最近、好調な恋愛脳がなせる奇跡か? はたまた、ミーアの成長の証なのだろうか?
そうして、奇跡的に、極めて真実に近いところに到達した、ミーアの出した結論は……。結論は!
――ふっふっふ、これは、サフィアスさんの苦労を軽減させてあげるためにも、わたくしがきっちりと、お料理を教えてあげなければなりませんわね! そうして、レティーツィアさんと親しくなり、サフィアスさんとの関係も強固なものにする。これですわ!
……真実に近いところまで行ったはずなのに……事態はより悪化していた。
――そのためには、美味しいお鍋料理が必要ですわ。お野菜の鍋は確かに美味しいですけれど、なにかもっと、ピリリとパンチの効いたものが必要ですわね……ナニカ……。
そんな時、不意に、ミーアの脳裏に思い浮かぶ言葉があった。
「明日への希望……。ああ、そうですわ……」
……ロクでもないことを思い出したミーアは、シュシュっと辺りに視線を走らせ、目的の人物を見つけて歩み寄る。
それは……。
「リーナさん、ちょっとよろしいかしら……?」
きょとりん、と不思議そうに首を傾げるシュトリナに、ミーアはそっと耳打ちする。
「例の……庭にあったキノコを採ってきていただけるかしら? あの、丸い魚のような……テトロド茸だったかしら?」
「トロキシ茸のことでしょうか?」
「ああ。ええ、それですわ」
ミーアは深々と頷いてから、
「たしか、あれに毒はない、と言っておりましたわよね?」
確認するように問う。
ちなみに、ミーアの頭の中で、キノコは二種類に分類されている。
それは、毒があるものとないもの……ではない。食べられるか、食べられないか、である。
そして、食べられるならば、不味いということはあり得ない。不味いキノコなどない。ミーアにとって自明の理であった。
まして、あれだけ美味しそうな見た目なのだ。毒がないのであれば、鍋に入れないというのはあり得ない。
――レティーツィアさんに、キノコ料理の神髄を教えて差し上げますわ。そうして、友情の絆を深めておけば……。ふふふ。
美味しいキノコ鍋を作った上に、レティーツィアとの仲も深まる。一石二鳥の策に、ミーアはにんまーりとほくそ笑む。
「確かに、命を落とすような毒はありませんけど、でも……」
っと、シュトリナはなにか言いたげな顔をしたが……次の瞬間、ピクッとその肩が震えた。
「レティーツィアお嬢さま、食材の準備も整いましたし、始められたらいかがでしょうか?」
いつの間に戻ってきたのだろう。老齢のメイド、ゲルタが音もなくレティーツィアに歩み寄ってきた。なにやら会話をする彼女たちを、シュトリナは黙って見つめていた。
「……なるほど。ミーアさまは、見抜かれて……」
なにかつぶやいてから、小さく頷いて、
「わかりました。すぐに行ってまいります」
そのまま、音もなく調理場を出て行った。
「ミーア姫殿下、もう、お料理を始めてしまってもよろしいでしょうか?」
レティーツィアに問われ、ミーアは小さく首を傾げる。
「ああ……そうですわね。ヤナとパティを待ちたいのですけれど……でも……」
パティを元気づけることは目的の一つ。されど、メインの目的はレティーツィアと仲良くなることである。
――レティーツィアさんの料理スキルを上達させて、サフィアスさんと仲良くなること……。これこそが主目的ですし、それに、わたくしの料理の腕前をアベルに披露したくもありますし……。
さらに、ミーアの視界に入ってきたのは、ティオーナの姿だった。
ルドルフォン家で、たくさんの野菜を刻みなれている彼女は、運び込まれた大量の食材を前に燃えていた。
真剣な顔でナイフを吟味しながら、料理の瞬間を今か今か、と待ちかねている。その目つきは、まるで、名剣を手にした騎士のごとく……。
……あれ? 料理ってそういうものだったっけ? などと思わなくもないが、それはともかく……。
あまり待たせないほうがいいのかも、と思うミーアである。そこに追い打ちをかけるように、
「失礼いたします。ミーア姫殿下、実は、彼女たちは……」
今度は、ゲルタが話しかけてきた。
彼女によれば、子どもたちは、先ほどの部屋で楽器を弾かせてもらっているらしい。
「しばらくしたら、こちらにお連れするようにと、若い使用人が一緒におります」
「ふむ……まぁ、そう言うことでしたら……」
ミーアはレティーツィアのほうに目をやって、静かに頷いた。
「それでは、料理会を始めましょうか」
ケーキも肉も、野菜もパンも、なんでもこいのパーフェクトミーア