第六十九話 歴史の裏的会合……蛇たちの悪だくみ
話は少し前に遡る。
ミーアからレティーツィアへの手紙が届けられた、その日の夜のこと。
舞台は帝都の一角にある屋敷。その一室に、その者たちは集まっていた。
それは、ある意味で歴史的な……あるいは、歴史の裏的な会合だった。
集まった者たちは三人。
一人は、騎馬王国、火の一族から生まれ落ちた蛇、火 燻狼。
一人は、海洋民族ヴァイサリアン族の生き残りの凄腕暗殺者。
そして、残る一人が……。
「これは、これは……。帝国の地に住まう古き蛇、ゲルタ……。お会いできて光栄です。我が先達よ。念のために聞きますが、尾行などはありませんかねぇ?」
老齢のメイド、ゲルタは、張り付けたような笑みをまったく動かさずに、燻狼のほうに目を向けた。
「尾行など許すとでも……?」
「ははは、これは失礼を。先達に対し、いささか失礼でしたねぇ……」
「まぁ、警戒するのはわかりますよ。お前たちの姫も、帝国の叡智の手に堕ちたというではありませんか?」
口元の笑みを崩さず……ただ、その瞳にのみ、突き刺すような鋭い光を湛えて、ゲルタは言った。
「だから、言ったのです。帝国内の陰謀がことごとく潰された時に、連中には注意したほうが良い、と……」
「いや、ははは。注意深く息を潜め、生き残ってきた先達の言葉には、説得力がありますねぇ」
顎をさすりながら、燻狼は続ける。
「しかし、そんなあなたたちにも、ついに、帝国の叡智の魔の手が迫っている、と……シューベルト侯爵令嬢の誘拐計画……早めてしまったのが運の尽きということですかねぇ」
燻狼は、おどけた様子で肩をすくめる。
「なるほど、ブルームーン公の長男は、たいそう婚約者にご執心……。その婚約者を人質に、帝国の叡智に謀反を起こさせる……。未だに各地の貴族を通して、食糧の供給を行っている帝国の叡智としては、これは打撃。ブルームーン派を許すわけにはいかなくなる……と。なるほど、なかなかに上策」
ぱちぱち、と手を叩きながら、燻狼は笑った。
彼としても、帝国の叡智ミーアをこのまま放置しておいていいとは思っていなかった。このまま、帝国が落ち着いてしまったのでは面白くない。それに、帝国の叡智の冴えは、帝国のみならず、今や、大陸全土にまで影響を及ぼしつつある。
ここらで、その勢いを削いでおくのが肝要というものだ。
「ブルームーン公爵家は、帝国の中央貴族をまとめる要石。味方につければ心強いが、敵に回せばすこぶる厄介。そうして、中央貴族たちを謀反に巻き込めば、帝国の叡智が立て直した、この帝国にも、すぐさま混沌を招き入れられる……。そうすれば……」
「……初代皇帝陛下の立てた策……肥沃なる三日月を涙で染める策が再び動き出す」
ゲルタは、低く静かな声で言う。
そう……初代皇帝の時代から連綿と続く破滅の計画は、未だ、完全に回避できてはいない。
帝国の食料自給率は依然として高くはないし、少しの混乱で飢饉は簡単に引き起こせる。
それは、なるほど……悪くはない策のように一見思えるが……。
――古きやり方への固執。さすがは帝国の古き蛇。初代皇帝陛下の思惑からは自由になれませんかねぇ。
燻狼は冷静にその策を評する。
ともあれ……ミーアとサフィアスがしっかりと手を結んだ状態というのは、それはそれで面白くない。少なくとも四大公爵家とミーア姫との関係は、こじれさせておきたい、というのは、燻狼もまた納得できるところだった。
「しかし、ここで予定外のことが起きた……ということですかねぇ」
小馬鹿にするような燻狼の口調に、はじめて、ゲルタが不快げな顔をする。ギリッと歯を噛みしめながら、ゲルタは言った。
「……本当は、静かに息を潜めていても問題はなかった。今さら、クラウジウス家を調べられたところで、あそこには何もない。だから、我々がシューベルト侯爵家にいても、なんの問題もないはずだった」
帝国の叡智、ミーア姫が帝都にいるタイミングでレティーツィアの誘拐を行うのは下策だ。本来は、彼女が国外に出ているタイミングですべきことなのだ。
されど、クラウジウス家が、ミーアの手の者によって調べられていると聞いた時、ゲルタたちは焦ってしまった。もしかしたら、かの叡智が、自分たちの過去まで暴きだすかもしれない。だから……、レティーツィアの誘拐計画を実行に移そうとしたのだ。
その矢先の、今回の料理会である。
「どこで漏れたのかはわからないが……ミーア姫は、レティーツィア嬢の誘拐計画を、察知したと……」
このタイミングでの料理会の開催は明らかに不自然だった。なにしろ、誘拐計画を早めた途端に、報せが来たのだ。
ミーア姫が、こちらの動きを察知している可能性はとても高い。
「否、これでバレてないと考えるのは、むしろ、都合がよすぎるってもんでしょう。さすがは帝国の叡智、といったところでしょうかねぇ」
燻狼の言葉に、忌々しげに、ゲルタは舌打ちする。
「それで、実際、どうするおつもりで? まさか、まだ、レティーツィア嬢を誘拐しようとは思っていないのでしょう?」
「成功……はしないでしょうね……。仮に誘拐が成功したとして、謀反がサフィアス・エトワ・ブルームーンの仕業とは、誰も考えないでしょう」
小さく首を振るゲルタに、我が意を得たり、と燻狼は頷いた。
「そう。誘拐計画は失敗するでしょう。ならば……別の手に出るというのはどうでしょうねぇ?」
そう言って燻狼は、懐から取り出した二つの小瓶を、机の上に置いた。
「それは……?」
「料理会と言えば、毒じゃないですかねぇ……」
「毒……?」
ゲルタはバカにしたように、燻狼に目をやった。
「帝国の叡智、ミーア姫の周りには、あの裏切り者のイエロームーンの娘がいるのです。その目を盗み、どうやって、帝国の叡智に飲ませろ、と?」
非難めいた言葉を受け、燻狼はニヤリと笑う。
「ははは、なぁに、簡単なことです。あんたが毒見を買って出ればいいんですよ。古の蛇よ。みなに率先してね。そうして、全員に毒を振る舞えばいい。だから、そうですねぇ、メニューは煮込みか、鍋料理なんかがいい」
「愚かな……。私が、毒を飲み、それに耐えよと? 強靭な精神力と信仰心さえあれば、毒にすら耐えられるだろう……などと、おかしな邪教のようなことは言わないでくださいね?」
「そんな無茶は言いませんよ。ただ、先に解毒薬を飲んでおけばいい。それだけの話でしょう」
そう言って、燻狼は片方の小瓶を指さした。
「こっちが解毒薬で、こっちが毒。二つを同時に飲めば、毒の効果は表れない。陳腐な手ですが、説得力はあるんじゃないですかねぇ。後はあなたの演技力次第、ということで……」
そんな二人のやり取りを見ながら、額に目の刺青を入れた暗殺者は、くだらない、とばかりにため息を吐くのだった。