第六十八話 サフィアスの信頼とダリオの奮闘……奮闘?
「ところで、シオン。キースウッドさんの姿が見当たりませんけれど、どうかなさいましたの?」
物思いにふけっていたミーアだったが、ふと我に返り、シオンのほうに目を向ける。
「ああ、キースウッドか……」
シオンは、思わずと言った様子で苦笑した。
「なんだか、用事があるとか言って、ここについてからすぐに行ってしまったよ。さて、なにをしているのやら……あるいは、当人的には気を使ったつもりなのかもしれないんだけどね……」
ティオーナと二人きりにするため、とか、そんなことを考えてるんだろうなぁ、などと、苦笑いを浮かべるシオンであったが……珍しいことに、その予想は外れていた。
そんなのんきな話ではないのだ。
キースウッドは今まさに、引くに引けない戦いに、望まんとしているところだったのだ。
シューベルト邸からほど近くの路上に、一台の馬車が留まっていた。
気配を消したキースウッドは、シュシュっとその中に滑り込む。
馬車の中で待っていたのは、旧知の戦友、サフィアスだった。
「やぁ、サフィアス殿。しばらく」
「ああ、来たか。キースウッド殿。ずいぶんとひさしぶりだ」
サフィアスは、穏やかな笑みを浮かべて、キースウッドを迎え入れる。が、すぐに、その顔が曇った。
「セントノエルでの料理会の傷も癒えていないこの時期に、このようなことになってしまい、申し訳ない」
突然の謝罪に、キースウッドは、思わず苦笑を浮かべる。
「いえ、間に合ってよかったですよ。なにしろ、ミーア姫殿下も、ティアムーン帝国も、我がサンクランドにとっては大切な存在。その危機に力を貸すのは当然のことですから」
それから、キースウッドは鋭い表情を浮かべる。
「それで……作戦は?」
「ああ、まずは、作戦の基本線だが『簡単な料理をさせること』だ。野菜を中心にした鍋料理にしようと思っている」
「刻んで入れるだけにする、と……?」
「そう。ダリオ……ええと、オレがセントノエルにいた時に、従者としてついてきていた少年を覚えているだろうか?」
「ええ、もちろん。シューベルト家のご令息だとか?」
「そうなんだ。レティーツィアの弟でね。その彼が、シューベルト家のベテランメイドと相談して、提案してくれたらしい。野菜を刻むことで、それなりに料理をしたつもりになれるし、変な調味料なんかを入れなければ失敗はしない、とお墨付きをもらったらしい。自分が毒見をして不味いようだったら、少し味を足してくれるとまで言っているとか……」
「なるほど。それは……犠牲になってもらうようで、申し訳ないですが……」
苦い顔をするキースウッドに、サフィアスは頷いてみせた。
「わかっている。だからこそ、できるだけ被害を減らしたい。そこで……もう一つ策があるんだ」
「ほう。というと?」
サフィアスは意味深に頷いてから、声をひそめて……。
「できるだけ、時間稼ぎをしようと思っているんだ。それで、待っている間に、ミーアさまには、存分にお菓子を食べてもらう」
「ふむ、なるほど……。考えましたね。人は、自分が満腹だと、料理をする気力も削られる。余計なアレンジをしようという気持ちが薄れるかもしれない……」
サフィアスは腕組みしつつ、頷いた。
「ミーア姫殿下は、食べるのが大好きな方。料理を作り出す前に、お茶菓子を出されれば、それを食べずにはいられないはずだ。その辺りのことも、ダリオに任せている。彼は、オレが行くまでの間、ミーアさまにたっぷりお菓子を食べさせてくれるはずだ」
「しかし、そんなに何もかも任せて大丈夫なのですか?」
不安そうなキースウッドに、サフィアスは笑みをみせた。
「ダリオはああ見えて、シューベルト侯爵家の跡取りだ。上手いこと立ち回ってくれること、疑いようもないさ」
それから、ふと、サフィアスは優しい笑みを浮かべた。
「それに、彼はああ見えて器用な人でね。セントノエルではオレの従者として、しっかりと働いてくれたんだ。ゆくゆくは、義弟として……オレの片腕として、ブルームーン派を取りまとめることを手伝ってくれればいいと思っているんだ」
まるで、明るい未来に想いを馳せるかのように、サフィアスは言うのだった。
……そんな、サフィアスからの若干、重ための期待を受けたダリオは、奮闘していた……彼なりに。
まず、ダリオは、サフィアスの作戦通り、お菓子を食べさせるための行動を開始する。
「姉さん、サフィアスさまが来るまでの間、みなさんにはお茶か、軽めの昼食を食べていただくのはどうだろう? ちょうど、サンクランドビーフのヒレ肉があるから、それを焼いて……」
後半に、これで満腹になっちまえ、という本音が見え隠れしていたが……。まぁ、それはさておき。
そんな弟の進言を、レティーツィアは……。
「ふふふ、もう、なにを言っているの、ダリオ。お料理はお腹が空いていないと、やる気がなくなってしまうでしょう」
切って捨てた!
作戦は、見破られていたのだ!
レティーツィアは、料理以外のことに関してはとても、賢い人なのである!
「それより、サフィアスさま、遅いわ。もうすぐ来るのでしょうし、先に準備だけでも始めていてもいいんじゃないかしら?」
なぁんて、やる気満々な姉に、ダリオは慌てて言った。
「あー、ダメだよ。姉さん。ちゃんとサフィアスさまを待ってないと……下手なことすると、サフィアスさまに嫌われてしまうと思うけどな……」
そうして、さりげなくキラーワードを口にする。
サフィアスに嫌われる……これを言えば、大抵の場合、姉は、冷静さを取り戻すという、それは魔法の言葉。
「ダリオ。どうでもいいことだけど、サフィアスさまは、あなたの兄となる人。だから、今から親しみを込めて、お兄さまとでも呼んだほうが……。あの方もそれを望んでいるんじゃないかしら?」
サフィアスのことになると、若干、アホの子になる賢いレティーツィアである。
「うん、まぁ、それは追い追い」
ダリオ、これを軽くスルー。そして、
「ともかく、先に料理を始めるのはさすがにまずいんじゃないかな……。サフィアスさまもいつもみたいに、姉さんと一緒にするのを楽しみに……」
ダリオ、手慣れた様子で、姉の説得にかかる。のだが……計算外が一つだけ。それは……。
「いつも……なるほど。ダリオさんのおっしゃることもわからないではない……」
おもむろに、ミーアが一歩前に出る。うんうん、っと偉そうに頷いてから……。
「けれど、いつも同じでは、それはそれでつまらないのではないかしら?」
余計なことを言い出した!
「えーと……ミーア姫殿下。それはどういうことでしょうか?」
ダリオ、思わず「面倒くさいなぁ」なぁんて本音が顔に出かけるも、かろうじて我慢する。
「決まっておりますわ。恋とはサプライズ。つまり、サフィアスさんが来た時に、お見事な料理が出来上がっているというのも、それはそれで乙なものではないかしら?」
その言葉、そこから生まれる流れに、ダリオは思わず冷や汗をかいた。
あれ……? これ、ヤバくね? などと、適切に察するダリオである。
さらにさらに! 余計なことを言い出す者がいた。それは……。
「ああ、それはよろしいのではないでしょうか。予定している鍋料理ならば、材料を刻んで煮込むだけ。失敗のしようがありませんから」
いつも変わらぬ、張り付けたような綺麗な笑みを浮かべる老齢のメイド……ゲルタだった。
「いや、でも……」
ベテランのメイドにそう言われてしまい、ダリオは一瞬、言葉に詰まる。
確かに、彼女に言われて、鍋料理なら大丈夫、と、一度は納得した。けれど、ミーアという強力な要素を前にして、その自信は早くも揺らぎかけていたのだ。
けれど、ゲルタは……まるで囁くように言った。
「ふふふ、大丈夫ですよ。味見も私がして差し上げますから」
ダリオは……心がスゥっと軽くなるのを感じた。
そうなのだ、この老境のメイドは、さすがにベテランなだけあって、こちらがしてほしいことをいとも簡単にしてくれる人なのだ。
きっと彼女ならば、ちょちょっと味見して、かるーく調味料などを足して、味を調えることだってできるだろう。できるに違いない。
それに……そもそも、これ以上、反対し続けるのは、面倒くさい。ということで……。
「まぁ、そういうことなら……」
次期、シューベルト侯爵家の跡取り息子、ダリオは、息を吸うように簡単に流されてしまうのだった。