第六十七話 令嬢たちの想い、重なる!
仲間の少女たちを引き連れて、ズンズン、館の中を進むミーア。その、ピッタリ半歩後を、スッと背筋を伸ばして歩くレティーツィア。それは、帝国貴族のご令嬢として、完璧な立ち居振る舞いであった。
レティーツィア・シューベルト……。
シューベルト侯爵令嬢の長女にして、ブルームーン家次期当主たるサフィアスの婚約者。
彼女は一言で言い表すならば『賢い女性』であった……。料理のこと以外はだが。
例えばレティーツィアは、今日の料理会にルドルフォン辺土伯の令嬢が参加することを、特になにも言わなかった。辺土伯の令嬢が、侯爵家を訪れることに、なにも不満を述べなかった。
それは、門閥貴族の令嬢としての価値観には相応しくないことだった。
辺土伯は下に見られて当然の田舎者。それが帝国の常識だからだ。
けれど、レティーツィアは、その常識を『不変』のものとも、『普遍』のものとも思わない。また、その常識に従って行動した時、他者からどのように見られるのかも、しっかりと理解していた。
それは、あまり美しく映らないだろうし、好ましくも見られないだろう、と知っていた。
また彼女は、ミーアのメイド、アンヌの出自についても、シュトリナの友人ベルの出自が不明であることにも、特になんとも思わない。余計なことも口にしない。
それをすることがミーアらの勘気に触れることであると察しているし、それがサフィアスの不利に働くことも知っているからだ。
彼女は、物事の道理をよくわきまえた人だった。
さらに、実務能力のほうもなかなかのものだった。
領地の経営を任せたら、そつなく回せる程度の知識と能力を誇っているし、仮に商家の娘に生まれたなら、水準以上に求められた役割を果たしたことだろう。
レティーツィアは、門閥貴族の令嬢には、極めて珍しい、とても賢い人なのである。
そして……なにより、サフィアスのことが好きだった。
とても、とってーも、大好きだった!
どのぐらい好きかと言えば、夢にサフィアスが出てきた次の日は、一日鼻歌を歌っちゃうぐらいには好きだった。
なんだったら、踊りながら、ミュージカル風に一日過ごしちゃうぐらいには大好きだった。
「サフィアスさまに美味しいものを食べてもらって喜んでもらおう!」「頑張っちゃうぞぅ!」という気持ちの前では、生来の賢さも、鋭い洞察力も、堅実な判断力も霧散してしまうぐらいに……サフィアスのことが大好きなのだ。心から大好きなのだ!
……サフィアスにとっては、大変、不幸な話であった。
まぁ、それはどうでもいいとして、ともかく、今日のレティーツィアは、とても気合が入っていたのだった。
そんな気合十分なレティーツィアだったが、ミーアたちが案内されたのは、調理場ではなかった。
「ミーア姫殿下、本当はすぐにでも、調理場にご案内したいのですが、まだサフィアスさまがいらっしゃっていません。申し訳ありませんが、しばし、こちらの部屋でお待ちいただけますか?」
「それは構いませんけれど……サフィアスさんも来るんですのね?」
「はい。どうしても自分もお手伝いしたいと……。火傷をしたり、指を切ったりしたら大変だからって……」
そのレティーツィアの言葉に、ミーアはかすかに目を細めた。
「そう……サフィアスさん、とても、レティーツィアさん想いなんですわね。ふふふ」
小さく笑みを浮かべつつ……。
――ふむ、わたくしとレティーツィアさんとを仲良くさせないため、ということかしら……。ということは、やはり、サフィアスさんにも疑わしきところがあるということか……。
などと、一瞬、考えかけるも、すぐにミーアは首を振る。
――そうでしたわね。今日は……そういうことは考えないようにしたんでしたわ。
そう……ミーアは、今日の料理会をするにあたり、一つのことを決めていた。それは……サフィアスを疑わないこと。
理由はいくつかある。
新しい盟約を結んだ彼のことを信じたくもあったし、疑った結果、彼が潔白だったら後味が悪いだろうなぁ、と思ったのもある。
疑いだせばキリがないということもあるし、疑ったところで、なにも真実は見えてこなさそうというのもあった。
疑念を混沌の蛇に突かれそう……などという至極まっとうなものもあった。
けれど、それ以上に……。
――アベルが信じると言ったのですから、わたくしも信じることにしますわ!
これである。
論理的な左脳で検討することを諦めたミーアは、左脳から恋愛脳へと、自らの思考をシフトしたのだ。
――それに、愛する人の言葉すら信頼できないのなら、わたくしはきっと将来、不信によって失敗しそうな気がしますわ……。
ゆえに、ミーアはサフィアスを疑わない。サフィアスを疑おうとする左脳に、いったん休眠を命じる。今のミーアは恋愛脳モードなのだ。
そんな恋愛脳ミーアの今日のテーマは二つ。一つは打算なく『レティーツィアと仲良くなる』こと。
レティーツィアと仲良くなっておけば、サフィアスが疑わしかろうがなんだろうが関係ない。彼はレティーツィアに逆らわないだろうから。
そして、もう一つは……。
――アベルに喜んでもらえるよう、美味しいお料理を作ること……。そのために、わたくしの腕を存分に振るうこと。これこそが、今日のわたくしのテーマですわ!
奇しくも……レティーツィアとミーアの想いは、きっちりと重なっていた。
……なんだか、事態が余計に悪くなったような気がしないではないのだが……気のせいだろうか。
ともかく、ミーアが拳をググイッと握りしめる一方……事態は動き始めていた。
ミーアが気合を入れている隙に、ベル隊長に率いられた年少組探検隊は部屋の中を探索し始めていた!
「レティーツィアさん、これは、なんでしょう?」
ベルが珍しげな顔で、壁に飾られた楽器を指さしながら首を傾げた
「それは、我がシューベルト家の代々当主が使っていた楽器です」
そう言って、レティーツィアは、飾られていた弦楽器を手にとった。
「この弓でこうして……」
っと、試し弾きしてみれば、なんとももの悲しい音が辺りに響いた。
「おお……すごい。レティーツィアさん、とってもお上手なんですね」
珍しい楽器に釘付けのベルと、そのそばでニコニコしているシュトリナ。
一方で、パティたち三人の子どもたちは、そのまま、飾られている楽器を順繰りに見学していた。
見たこともない変わった楽器に、幼い好奇心を隠せない様子のキリル。それを見て、ヤナばかりでなく、パティもまた、微笑ましげな顔をしていた。
……ベルなどよりも、よほどお姉さんな二人なのである。
そうして何気なく、飾られていた楽器に目をやったパティは……小さく首を傾げた。
見覚えのある楽器が、そこに飾られていたからだ。
「あれ……これって……」
思わず伸ばしたその手を……不意にグイっと掴まれて、パティは小さく息を呑む。
「申し訳ありません。それは、クラウジウス侯爵家より寄贈された、大変貴重な楽器なので……」
などと、張り付けたような笑みを向けてきたのは、老境のメイドだった。その顔を見たパティは思わず目を見開いて……。
「……ゲルタ……え? どう、して……?」
それは小さな……小さなつぶやき。されど、パティは確かに感じる。
自らの腕を掴むメイドの力が、一瞬強まったことに……。
けれど、それもすぐに消え……。
「どうぞ、お触りになりませぬよう。大変、貴重なものですので」
そう言いおいて、一礼してから、メイドはその場を去っていった。
張り付けたような笑みを、一切、崩すことなく……。