第六十三話 ミーア姫、思いつく!
さて、話は少しだけ遡る。
ベルの報せに肝を冷やしたミーアであったが、今回の件の勘所は、きちんと押さえていた。すなわち、
「サフィアスさんを制するには、婚約者であるレティーツィアさんを押さえればいいのですわ」
これである。
仮に、サフィアスが本気で謀反を企んでいたとして、それを止めるには、武器や説得などは一切いらない。ただ、一言、婚約者から「やめなさい」と言ってもらえば済むことである。
「それが最も、平和裏に事態を解決する方法ですわ」
相手の弱点を的確に見抜く……ここ最近はすっかり、恋愛大将軍の称号に相応しい活躍を見せている、ミーアの恋愛脳である。
「問題は、レティーツィアさんにどう働きかけるか、ですけど……」
手紙の文面を考えつつ、ミーアは唸る。
「シューベルト侯爵家には特に縁もないですし……。さて、なにをとっかかりといたしましょうか……」
腕組みし、ミーアは静かに目を閉じる。
椅子の背もたれに体を預け、足をプラプラさせつつ、頭を整理。
おつまみのクッキーをパクリ、サクリ、パクリ、サクリ、しつつ、考えていると……ふと、先ほどのことを思い出した。
あの、ヤナの、生真面目な顔を……。
――そういえば忘れておりましたけど、パティはパティでなんとかしなければなりませんわね。
蛇の呪縛に囚われているパティ。彼女の心をなんとかして救ってあげなければ、今いる世界が揺らぐ。下手をすると、今日までの努力がすべて夢で、地下牢で目覚めるかもしれない。
――いえ……さすがに、そんなことにはならないのでしょうけれど……いや、でも、可能性は否定できないのかしら……?
ルードヴィッヒが考えたとはいえ、時間転移理論はあくまでも一つの仮説にすぎない。であれば、楽観視せず、常に最悪に備えることこそが、小心者の戦略の基本。
せっかくここまで頑張って状況を整えてきたミーアとしては、ぜひ、現状は死守したいところである。
「となると、やはり、パティを楽しませて……世界を守りたいものと思わせなければいけませんわ。パティが罪悪感なく楽しめるようななにかを考えなければなりませんけれど……楽しければ楽しいほど、罪悪感を覚えるって……なかなか難しいですわ」
うーむむ、と腕組みしつつ、唸ったミーアであったが、やがて、小さく手を叩き、
「あ、そうですわ! お料理ですわ!」
……ヤバイことを言い出した!
「思えば、セントノエル学園でやったサンドイッチ作りに関しては、パティも喜んでいたではありませんの。それに、料理教室ならば……作っている間だけ楽しいというものではありませんし。後で覚えた料理を振る舞ってあげることもできる……。そのように心の中で言い訳ができますわ!」
さらに、ミーアの頭の中、バラバラになっていた要素が一つの形をなしていく。
「それになにより、レティーツィアさんといえば、お料理会。うふふ、以前、みなで作った時はとっても楽しかったですし……。またやりたい、なんて言っていたんでしたっけ」
ほかのご令嬢たちと予定を合わせるのは難しいかもしれないが、今回は別に四大公爵家そろい踏みといかなくてもよいのではないだろうか?
「とりあえず、暇そうなリーナさんにもご協力願うとして、子どもたちも連れていくとして……。手頃な方もお誘いして、簡単な形で開けばいいですわ……レティーツィアさんとも、ますます親睦を深められますわね。そうして、いざという時にはサフィアスさんを止めてもらうよう言い含めておく……これですわ!」
実に厄介なことに、ミーアの考えた料理教室は、いくつかの点で理に適っていた。唯一の懸念は、まともに食べられるものが作れるかどうかなのだが……。
「アンヌもおりますし、問題ありませんわね。前回なんか、手のかかるエメラルダさんや、意外に不器用なルヴィさんもおりましたけど、今回はいないわけですし。子どもたちはセントノエルでも活躍しておりましたわ。楽勝ですわね!」
むしろ、エメラルダがいれば、一緒にニーナと言う強力な助っ人がついてきてくれたわけなのだが……。まぁ、それはともかく……。
「よし! 決まりましたわ。料理教室を開きましょう!」
さて、そうしてミーアが書いた文は、すぐに、帝都にあるシューベルト侯爵邸へと届けられた。
その日、ダリオ・シューベルトは、屋敷の中庭でのんびりと趣味の作曲に勤しんでいた。
ちなみにダリオは、サフィアスの卒業後、そのままセントノエルの学生になり、忙しい日々を過ごしている。
その反動からか、夏休みに入ってからは、こうして一人、趣味に没頭する日が多かったのだが……。
「さて……と、そろそろ昼食の時間かな……」
作業も一段落し、屋敷の中に入ろうとしたところで、彼は、いそいそと廊下を歩く、老境のメイドの姿を見つけた。
「あれ? ゲルタ、どうかしたのかな?」
「ああ、これは、ダリオお坊ちゃま……」
ゲルタと呼ばれたメイドは、シューベルト侯爵家に仕えるベテランメイドだった。
もともとは、さる侯爵家に仕えていた彼女が、シューベルト家に来たのは今から十年ほど前のことだった。
普段から楚々とした立ち居振る舞いの彼女が、なにやら困惑した様子を見せたので、ダリオは思わず首を傾げた。
「なにかあったのか?」
「はい。実は、帝室からの使いの方がいらっしゃいまして、これをレティーツィアお嬢さまに、と……」
「姉さんに? ふーん」
手紙を受け取ったダリオは、その差出人を見て眉をひそめた。
「これは、ミーア姫殿下の……姉さんに手紙、ね……」
ダリオの脳裏に、なにやら、やかましく警鐘が鳴り響いていた。
――これは、サフィアスさまにお知らせしておいたほうがいいんじゃないだろうか……?
かくて、ミーアの企みは、サフィアスの知るところとなるのだが……。
はたして、それがなにを意味するのか、今の時点では、まだ、誰も知らないのだった。




