第六十二話 キースウッド、自ら蒔いた種を刈り取る
さて、ミーアが帝都で遊んでいる頃、シオンとキースウッドはのんびりと、穏やかな夏休みを過ごしていた……ルドルフォン辺土伯領で……。
聖ミーア学園で勉学に励むエシャールを訪問するため。
また、エシャールを預かってもらっているグリーンムーン公爵家に挨拶をするため。
さらには、少し足を伸ばし、ペルージャン農業国に行くのもいい。ミーアが作ろうとしているという仕組みは、ぜひ見学をしておいたほうがいいだろう、と。
まぁ、いろいろ理由はあるのだが……。
――やっぱり、ティオーナ嬢に会いに来るためだろうなぁ……。
そう考えて、キースウッドは、ついつい、嬉しくなってしまう。
ティオーナと仲を深めるようになって、シオンは少しだけ肩の力が抜けるようになった。
――サンクランドの王子として、付き合う相手に慎重になるのはわかるが……。固く考えすぎなんだよな……、殿下は。
もう少しやんちゃをしてもいいのではないか、と常々思っていたキースウッドである。
だから、まぁやんちゃとは言い難いものの、シオンの不器用な恋愛を、弟の成長を見守る兄のような温かな気持ちで見守るキースウッドである。
「当人は、恋だなんて思ってないだろうけど……」
器用なシオンが、自らの恋心に対して見せる不器用さを、キースウッドは微笑ましく思ってしまって……ついつい、ニヤニヤしてしまうのだった。
「しかし……それにしても平和だな」
ルドルフォン邸の中庭、そよぐ風に揺れる花を見て、キースウッドは思わずつぶやく。
ここ最近は、忙しくて、花を愛でるような余裕もなかったから、こんな風にのんびりと、花壇を眺めながら歩いているのが、不思議だった。
「まぁ、いささか退屈過ぎるぐらいかもしれないけど……」
そぉんなことを、つぶやいてしまったので……運命の神が放っておいてくれるはずもなく……。
「ああ、こちらでしたか。キースウッド殿」
声を掛けられ、キースウッドは顔を上げた。
そこにいたのは、サンクランドから随伴している護衛騎士だった。
「なにか、ありましたか?」
「ええ。実は、キースウッド殿に報せが届いていると……」
「俺に……? サンクランド本国からですか?」
眉をひそめるキースウッドだったが、騎士は小さく首を振り、
「いえ。ブルームーン公爵家のサフィアスさまからです」
「ああ、サフィアス殿か……」
サフィアス・エトワ・ブルームーン。
ひょんなことから友誼を結んだ青年の顔を思い出し、キースウッドは懐かしさに目を細める。
彼には、夏休みに入る前に手紙で、帝国に来ることは知らせていたが……。
「機会があれば、会いたいと思っていたが……。もしかして、時間を作ってくれたんだろうか」
星持ち公爵家といえば、帝国で最も高い爵位である。
いろいろ忙しいだろうに、もしも時間を作ってくれたのだとすると、申し訳ないことをしたな……。などと思っていたキースウッドではあるのだが、サフィアスから届いた手紙を開き――固まる。
文面は、簡潔を極めた。
『ミーアさまが、レティーツィアを料理会に誘ったらしい……』
「…………はぇ?」
油断していたものだから、ヘンテコな声が出てしまった。
予想もしていなかった文字列……その字は混乱か、はたまた名状しがたい感情のゆえか……小さく震えていた。
これを書いた友、サフィアスの苦悩が察せられる。
「これは……いったい、なにが、どうして、こんなことに……?」
いや、事情などは知ったことではない。問題は、どうするかだ。
「どうするって……そんなの決まってるだろう?」
キースウッドは、やれやれと肩をすくめた。
――見ないふり……。そうだな。俺には、どうすることもできない。
サフィアス・エトワ・ブルームーン、彼は友ではあるが、他国の貴族だ。
忠誠をささげるべき相手ではないし、今の自分はシオンの護衛任務を全うする使命がある。エシャール殿下の様子を見て、国王に報告する必要だってある。
やるべきことは山積みなのだ! 退屈とか、全然してなかったのだ!
――なにかの都合で手紙が届かないなんてことは、よくあることだ。うん、よくあることだ。だから、これを読まなかったと言っても……問題ないな。うん!
っと、低きに流れていこうとしたキースウッドであったのだが……ふと心の中に引っかかるものを感じた。
「友の危機に駆け付ける……か」
それは帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンの友人たちであれば、誰でもが迷わずに行うことだった。どのような言い訳であっても、そこに差し挟むべきではないことだった。
それなのに自分は、何を迷っているというのか……。
それに、キースウッドの脳裏には、かつてミーアが言った言葉が響いていた。
「人は、自分で蒔いた種の刈り取りを自分でしなければならない」と。
もしも、ここでサフィアスを見捨てたら、その種を自分で刈り取ることになるかもしれないわけで……。
「なるほど……それはなんとも、ゾッとしない話だな」
苦笑しつつ、キースウッドは考える。
ならば、どうするか? 助けを求めてきた友にどのように応えるべきか……?
そんなのは、最初から決まっているじゃあないか!
静かに覚悟のキマッた表情で、顔を上げたキースウッドに、
「キースウッド、少しいいか?」
タイミングよくやってきたシオンが、話しかけてきた。
「ん? どうかしたのか、キースウッド。そんな悲痛な顔をして。狼二頭を一人で食い止めた時だって、そんな顔をしてなかったぞ?」
心配そうに眉をひそめるシオンに、キースウッドは慌てて答える。
「ああ……いえ、なんでもありません。はは、ははは」
乾いた笑いを浮かべつつも、キースウッドは素早く思考する。
――もしも、シオンさまにご同行いただいた場合……最悪、ミーア姫殿下のアレな料理をシオンさまが口にする危険性がある……!
それは、なんとか避けたいキースウッドである。
――だから、サフィアス殿の助力に行くためには、シオンさまが、エシャール殿下と面会している時とか、上手いことタイミングを見計らわないと……。
などと、腹の中で素早く作戦を立てていると、
「まぁ、異常がなければいいんだが、実は予定が少し変わってな。ミーアから、ティオーナに招待状が届いたんだ」
「…………ええと?」
「なんでも、サフィアス殿の婚約者のシューベルト侯爵令嬢と一緒に、料理の会を開くらしい。できれば、ティオーナにも手伝ってほしいということで、せっかくだから、俺たちも……どうかしたか? キースウッド」
うつむき、フルフルと肩を震わせるキースウッドに、怪訝な顔をするシオンだったが……。
「あ。ええ、いえ、なんでもありません。シオン殿下。ふふふ」
顔を上げたキースウッドは、とても……、とってーもすっきり爽やかな顔をしていた。
彼は思っていた。
――よーし! これで気持ちよく行けるぞ。ああ、良かったなぁ、くそったれ!
と。
やはり、人は自らが蒔いた種を、自らで刈り取らなければならないのだと、キースウッドはミーアの言葉の正しさを認識する。
このスッキリした気持ちこそが、彼自らが蒔いた種の刈り取りなのだ。
もしも、サフィアスからの手紙を見ないふりをしていたら、きっと、今頃、罪悪感に沈んでいたはずだから。その罪悪感を抱えたまま、結局、厄介ごとには巻き込まれることになっていただろうから。
それよりは、全然マシだった。マシなはずだった……。
そうして、キースウッドは晴れやかな気持ちで笑った。
……そのスッキリ晴れやかな気持ちというのは、いわゆる死地を前にした人の諦めの境地とか……そう言った類の感情に似ているような気がしないでもなかったが……。
――ああ、良かったなぁ。本当に良かったなぁ!
ヤケクソ気味に胸の中で叫ぶキースウッドなのであった。
友の危機に颯爽と参上するキースウッドというお話でした。




