第六十話 ミーア姫、緊急会議を招集す
――さっささ、サフィアスさんが、む、謀反っ!?
ミーア、咄嗟に、目の前にあった紅茶を一気飲み。それから、気持ちを落ち着けるべく……はーふーうー、と息を吐き……。まず、周囲に視線を走らせる。どうやら、話を聞いていそうな者はいないが、念のため。
「もう、ダメですわよ、ベル。帝国を舞台にした小説だからといって、そのように誤解を招くような表現をしては……。サフィアスさんがモデルの、悪役サフィと、ブルームーン派がモデルのブールムーン派、ですわよね?」
気持ち大きめに言ってやる、と、幸いベルにも伝わったらしく……。
「あ、そうでした。すみません。ミーアお姉さま。小説のお話でした」
やや棒読み気味ながらも、応えてくれる。
なんとか、これで誤魔化せそうだぞ、と思いつつも、ミーア、素早く動く。
「それではベル……詳しい話が聞きたいから、わたくしの部屋に来てもらえるかしら……。ああ、それと、リーナさんを連れてきて……」
ベルに指示を飛ばしつつ、続けてミーアはアンヌのほうに目をやる。
「アンヌ、申し訳ありませんけど、ルードヴィッヒとアベルを連れてきていただけるかしら?」
現状、考えられる最高のメンバーを集めつつ、ミーアは、ぐむむ、っと唸る。
「ミーアさま?」
ふと見れば、ヤナが心配そうな顔で見つめていた。キリルもだ。
一方で、パティは、
「サフィアス……ブルームーン派……?」
などと、怪訝そうな顔をしている。
「大丈夫ですわ。ただの小説でネタに詰まったという話ですわ。ほら、先日、大図書館にいたエリスさんにお話を書いていただこうと思って、そのネタを話し合っていたんですの」
誤魔化すように、ミーアは優しい笑みを浮かべて、
「だから、なにも気にする必要などございませんわ。あなたたちは夏休みを楽しむとよろしいですわ。馬に乗るもよし、エリスに話を聞くのもよしですわよ。ああ、でも、お菓子はほどほどに。料理長の言うことを聞いていないと、大きくなれませんわよ?」
子どもたちの頭を撫でながら、ミーアは、改めて検討する。
――ともかく、事情を聞いて対策を練らなければなりませんわね……。
手早く朝食を口の中に片づけてから、ミーアはムグムグ言いながら、席を立った。
戻ると、ミーアの部屋には、すでに主だった面々が集まっていた。
「急に申し訳なかったですわね。みなさん。でも、緊急事態ですわ」
言ってからミーアは、ベルのほうへと視線を向けた。視線を受けたベルは、
「はい。実は、サフィアスさんが、謀反を起こすみたいで……」
などと、ストレートに言った。補足するように、ミーアは言った。
「ベルが未来から来たということは、もうお話ししてありますけど、その線からの情報ですわ。どうやら、サフィアスさんとブルームーン派が近い将来、謀反を企てる、ということみたいですわね」
視線で問うと、ベルが小さく頷いた。
「ふむ……。まぁ、とりあえず、サフィアスさんに探りを入れる必要があるかしら……。もっとも、もし本当であれば、素直に話すとも思えませんけれど……」
「ミーアさま……」
その時だ。シュトリナが、普段と変わらぬ可憐な笑みを浮かべて……。
「実は、嘘がつけなくなるお薬があるのですが……」
不穏なことを言い出した!
「ほう……」
ミーア、しばし黙考……。
――それは、とても便利。情報を聞き出すには良いかもしれませんけれど……両刃の剣ですわね。サフィアスさんとの間に、修復不可能な溝を作ってしまいそうですわ。
サフィアスを疑い、怪しげな薬を飲ませたという事実は、蛇の連中にとっては恰好の料理材料になるだろう。
一つ頷いてから、ミーアは、シュトリナのほうを見た。
「ありがとう。リーナさん。だけど、それは最後の手段にしたいですわ」
ミーアの言に、特に不満を見せることなく、シュトリナは頷いた。
「そうですね。それがよろしいかと思います。薬を使うと、一週間は腑抜けになってしまうので、敵にバレる危険性がありますから……」
困ったような笑みを浮かべるシュトリナに、ミーア、思わず、眉をひそめて……。
「……ええと、リーナさん、今後は毒を使わなくてもいい、とわたくし言ったと思いますけれど……」
「命に危険がないものは、イエロームーン家では毒とは呼びませんので」
シレッとそんなことを言うシュトリナだった。まぁ、それはさておき。
「サフィアス殿が、そんなことをするとは思えないな」
次に口を開いたのは、アベルだった。
「ああ。そう言えば、アベルは先日、サフィアスさんに会ってきたのでしたわね」
「そうなんだ。あの時、話した感じは、そんな様子はまるで見えなかった。君に協力し、この帝国を盛り立てていこう、と自分の派閥の若い貴族たちとも話していたんだ。彼が裏切るとは、考えづらい」
苦しげな顔で言うアベルに、ルードヴィッヒも頷いた。
「私も同意見です。サフィアス殿に、この段階で、ミーアさまを裏切るメリットはないかと思います」
それから、眼鏡をくいっと押し上げて、ルードヴィッヒは言った。
「失礼ながら、その情報が間違っている、ということは……?」
「ふむ……」
ミーアは頷きつつ、唸る。
――はたして、間違いであったという可能性はあるかしら……?
ベルに目を向ける、と……。
「ルードヴィッヒ先生が嘘を書くことは、あり得ませんし、間違いを書くことは、もっとないと思います」
そう断言するベルである。
そして、それにはミーアも同意だった。
脚色過多の皇女伝や、ミーア自身の主観に基づく血染めの日記帳より、ルードヴィッヒの夢日記のほうが信用に足る、と……そう確信しているミーアなのである。
「ベル、それはたしかルードヴィッヒの日記だけでなく、夢の内容までも記録した日記帳、でしたわね?」
ミーアの問いかけに、ベルは静かに頷く。
「はい。そう言っていました」
夢とは、時間の揺らぎによって生じた無数の歴史の記憶……。それすらも網羅したルードヴィッヒの日記帳は極めて優秀な予言書と言えた。
皇女伝や血まみれの日記帳を見る限り、“未来を記した文字”というのは、容易に変化する。記憶や物質以上に、歴史改変の影響を受けやすいのが「文字」というものだった。
それゆえ、ルードヴィッヒは、揺らぎにより、文字が変化してもいいように……すなわち、今日『現実の出来事として書いた記述』が、揺らぎによって『夢の出来事』に変化した場合、なにが影響してそうなったのか確かめられるように、現実と夢とを併記しているのだ。
極めて強力かつ、歴史の変化に対しても強度を誇るその記述を、けれど、ルードヴィッヒは心配していた。その影響力の強さを……不安視していたのだ。
『ベルが未来からやってくる』ことは、自分たちの歴史に織り込まれた事実だ。けれど、ベルが『ルードヴィッヒの日記を持っていた』という記憶は、ルードヴィッヒ自身にはなかったから。
となれば、強力な未来予測へと繋がる、その日記帳が起点となり、新たな『揺らぎ』ができてしまうことは予想できた。
ほとんど理想に近い世界を築いている、未来の世界の住人からすると、なるべく、過去を変えたくない。変わったとしても、その影響を最低限にしたいと考えるのは、仕方のないことなのかもしれない。
「ルードヴィッヒ先生は、これをボクに持たせることを最後まで迷っておられました。けれど、ボクを信用し、できるだけみなさんに見せない条件で、ボクに託してくれました」
そうして、ベルはギュッと日記帳を胸に抱き、
「だから、みなさんに見せるわけにはいかないんですけど、でも、これは、信用できます」
ベルは、凛々しい顔で言った。
それは、帝国の叡智の血を継ぐ者に相応しい、実に堂々たる言葉だった。
……ちなみに、なぜベルが『サフィアス謀反』の記述に気付いたかと言えば、ここ最近、毎日のように、日記帳を読み込んでいたためだ。毎日、しっかりと読み進めていたのだ!
ではなぜ、そんなことをしていたのか、と言えば、もちろん「過去に飛ばされた以上、自分にも役割がある」と言われたので、それを考えるヒントを得るため、頑張って日記帳を読み込んだのだ……というわけではない。もちろんない。
ベルは、それほど勤勉ではない。
また、日記帳を読み込み、“自身を日記帳の影響下”に置くことでサボろうとした……などということでもない。
「ルードヴィッヒ先生は、できるだけ、この日記帳の影響がないほうが、過去を変えずに済む、と考えていたみたいだし……ということは、ボクがこれを読み込んで、日記帳の影響を受けた状態になれば、ボクの行動自体が過去に対する悪影響になるから、ボクはなにもしなくてもいいってことになるかも!」
などという複雑な思考プロセスをたどったわけでは決してない。ミーアならば、やったかもしれないが、ベルはそこまで勤勉なサボり魔ではないのだ。
では、なぜ読み込んでいたかといえば、これはもう、実に単純なことなのだが……。純粋に好奇心ゆえである。
なにせ、あの宰相ルードヴィッヒが書き記した日記帳なのである。
興味を惹かれないわけがないではないか!
探検学の徒であるベルは、自らの好奇心に従順な少女なのだった。