第五十九話 ミーア姫の優雅な朝
「ふわぁむ……」
さて、競馬大会の翌日のこと。ミーアは、少しだけ朝寝坊した。
ベッドの上で、体をぐぐぅっと伸ばす。
「ふぅむ……微妙に疲れが残ってますわね。ふわ、まだ、眠いですわ……」
あくびをムニュムニュしつつ、目元をこするミーアである。
「これは、昨日、ホースダンスで体力を使いすぎたせいかしら……?」
なぁんてつぶやくミーアであった。
ちなみに、あえて言うまでもないことではあるが……別に、ものすごい風の音がしてたから、怖くてあまり眠れなかった、などと言うことはない。あくまでも、運動のし過ぎが原因である。たぶん。
「おはようございます。ミーアさま。どうぞ」
アンヌが持ってきてくれた、ホットミルクを一口飲んで、ミーアは小さく息を吐く。
「ほぅ……やはり目覚めのホットミルクは美味しいですわね」
甘くまろやかな香り、こってりとした舌ざわり、コクのある味……。重厚なミルクの味わいが、ミーアの脳細胞を刺激して、目覚めさせていく。
ふむ! と一つ頷いて、手早くドレスに着替えたミーアは、食欲に背中を押されるようにして食堂へと向かった。
「あっ! ミーアさま、おはようございます」
食堂には、子どもたちの姿があった。元気よく立ち上がり、挨拶してきたのは、ヤナだった。それに倣ってキリルも、「おふぁよふごふぁいます」などと慌てて挨拶してくる。
「ふふ、キリル。別に、慌てる必要はありませんわよ。喉に詰まらせてしまいますわ。ゆっくりお食べなさい」
それから、ミーアはパティへと目を向ける。
パティは、いつも通り、表情の薄い顔で小さく頭を下げた。
なぜだろう……その顔からは、昨日よりもさらに元気がなくなっているように見えた。
「あの、ミーアさま……」
すると、唐突にヤナが近づいてきて、ミーアに耳打ちする。
「えと、パティは、弟のことを放っておいて自分が楽しむことを心苦しく思ってるみたいです。だから、心配です……その、友だちとして」
最後の、友だちとして……のところで、わずかばかり恥ずかしげな顔をするヤナ。どうやら、自分から友だちと言うのが照れくさかったらしい。
それを微笑ましく思いつつも、ミーアはそっとヤナの頭を撫でた。
「そう、ありがとう。ヤナ……」
それから、ミーアはキリルに視線を向けた。
「キリルも、昨日は楽しめたかしら?」
「はい。すっごく、楽しかったです!」
ニコニコするキリルに、ミーアは満足げに頷きつつも考える。
――やはり、パティの弟は、なにか厳しい境遇にあるみたいですわね。なんとかしてあげたいけれど、過去のことですし……。それ以前に、いったい、パティがどのような状況にあったのかも、まだわかっておりませんし……今はまだどうにもできないですわね……。
パティの実家、クラウジウス家の調査報告は、まだ上がってきていない。なぜ、お取り潰しになったのかも、かつて、どのような家であったのかも……。今のミーアにはまるで分らないわけで……。
だから、ルードヴィッヒの報告待ちではあるのだが……。
――まぁ調べるようお願いしてから、まだ十日ぐらいしかたっていないですしね。報告が来るまでにはもう少し時間がかかるでしょうね。ふむ、ルヴィさんのことが上手く片付いたわけですし、わたくしのほうでもなにか、できることがあるかしら……?
夏休み、のんびりダラダラしつつも……まぁ、ちょっとぐらいなら、腹ごなしに本を読んだり、父から情報を探り出したりしてもいいかな……? なぁんて思うミーアなのであるが……。
そんなミーアの平穏は、早々に打ち砕かれることになる。それも、想定外の方向から……。
「たったた、大変です! ミーアお祖母さまっ!」
ちょうど、ミーアがふんわりやわらかなパンに舌鼓を打っていたところに、孫娘、ベルが駆けこんできた。
「あら、ベル……。はしたないですわよ、そのように慌てて。それに、わたくしはお姉さまですわよ」
眉をひそめつつ、注意するミーア。
まったく、帝国皇女としての自覚が足りていないのではないかしら? などと呆れつつも、ひょいっと、残っていたパンをもう一口、大きく開けた口に放り込む。
ちなみに、パンは、半分ぐらい残っていた。
ミーアはパンを小さくちぎって食べるのも好きだが、口の中一杯に頬張って、もごもご食べるのも大好きなのである。実になんとも、帝国皇女としての自覚が足りていない食べ方であった。
そんな風にして、優雅な朝食を嗜むミーアに、ベルは腕をブンブンさせながら言った。
「そっ、それどころじゃありません。ミーアお姉さま」
血相を変えている孫娘に、ミーアは、やれやれ、とあきれ顔で、それから、紅茶で口の中のパンをすべて流しこんでから……。
「なにがありましたの? 朝から、そのように慌てるようなことはなにも……」
「さっ、サフィアスさんが、謀反を起こされます!」
後の宰相ルードヴィッヒから預かった夢日記を手に、ベルが言った。
「ブルームーン派の貴族たちを率いて……ミーアお姉さまに反旗を翻すって、こっ、ここに……」
日記帳を開いて言うベル。対して、ミーアは……。
「…………はぇ?」
きょっとーんと首を傾げるのだった。