第五十八話 恋愛大将軍ミーアの号令! 全軍突撃!!!
「すごい風だな……」
屋敷を出た瞬間、吹き付けてきた強風に、ルヴィは顔をしかめた。
乗馬大会の途中から吹き出した風は、強さを増し、悲鳴のようなうなりを上げていた。
……今夜のミーアの睡眠時間が心配なところである。
「急ぎましょう。ルヴィお嬢さま」
やって来たセリスに一つ頷き、ルヴィは馬車に乗り込んだ。
「それで、いったいなにがあった?」
対面に座ったセリスは、眉をひそめて言った。
「実は、その……皇女専属近衛隊の馬が、何頭か逃走を……」
「……うん?」
ルヴィは、思わず眉をひそめた。
「この強風で厩舎の一部が壊れ、馬が逃走したとのこと。それを連れ戻すためにいくつかの部隊が動いているのですが……」
外は、すでに夜の闇の中だ。捕獲は、思いのほか苦戦しているらしい。
「今日は、ずいぶんと馬と縁がある日だな……」
ルヴィが苦笑を浮かべると、セリスが実に申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「申し訳ありません。本来は、お嬢さまのお耳に入れることでもないかとは思ったのですが、バノス隊長がかけられた招集ですし……」
「よく教えてくれた!」
ルヴィは思わず、セリスの手をガシッと両手で掴み……。一瞬後にハッとした顔をして……。
「んっ、んん。まぁ、なんだ。私は皇女専属近衛隊の副隊長。バノス隊長を補佐する立場なのだから、緊急時に招集を受けるのは当たり前のことだ」
キリリッとした顔で言うルヴィである。
そうこうしているうちに、馬車は皇女専属近衛隊の詰め所に到着した。
建物の中は活気に満ち溢れていた。
どうやら、彼らは競馬大会の後、宴会に突入、その最中に馬が逃げたとの報告が入ったらしく……。詰め所内には、レッドムーン家の私兵も何人か混じっていた。
「ええと……状況はどうなっていますか?」
ルヴィは、急ぎ、バノスのそばに歩み寄った。
「ああ。副隊長。夜分に呼び立ててすみませんでしたな。実は、レッドムーン家の私兵団の連中も手伝ってくれるというもんで……人手があるのはありがたいが、ちょっと収拾がつかなくなっちまいましてね……」
「いえ……。それは問題ありませんが……」
ルヴィはいったん言葉を切って、むぅっと不満げな顔をする。
バノスは、いつも微妙な敬語を使うのだが……それが、自分との間の壁になっているような気がしていた。
副隊長なのだから、いっそのこと、タメ口とか、もう少し強い口調で接してくれてもいいのに……と思ってしまうルヴィである。
しかも、彼は士爵という、れっきとした貴族の仲間入りをしたのだ。
ならば、敬語など使わず、もっと親しげに話しかけてくれても良いのではないだろうか? などとさえ、思ってしまう。ここは、しっかり言っておかねば……っとルヴィは勇気を振り絞る。
「バノス隊長、あなたは、今日、皇帝陛下直々に爵位を賜り、士爵となられました。そのことを、ご自覚ください」
「ん? いや、ええと、それはどういう……」
「私は、星持ち公爵令嬢とはいえ、自分で爵位を持っているわけではありません。であれば、バノス隊長のほうが爵位的にも上になるのです! かしこまった敬語など使う必要はありません」
んなわけにいくか! と言うことを真顔で言うルヴィである。
対して、バノスは微妙に気まずそうな顔をする。
「ああ……、いや、士爵の話は……」
「なにか、不満がおありなのですか?」
「いや、不満じゃないんですがね……。こいつらにさんざんからかわれましてね。貴族になったのだから、貴族のお綺麗なお嬢さまがたとも恋仲になれて羨ましいとかなんとか……」
その言葉に、思わずドキッとする。バノスが、貴族令嬢との恋愛をどう思っているのか、気になったからだ。
もしも、そんなのは考えられないと言われてしまったらへこんでしまうが、かといってそれを喜んでいるのだとすれば、ライバルが一気に増えてしまうかもしれない。
ルヴィの中では、バノスは絶世のイケメンなのである。不安になっても仕方ないのである。
「おお、そうだ。うちらの隊長はお貴族さまになったんだ。もう、ほかの連中にデカい顔させないぞ!」
バノスが爵位を得たことで、大いに盛り上がっている隊員たち。それに苦笑いを浮かべつつ、バノスは、隊長室にルヴィを誘った。
「あそこじゃ落ち着いて話ができませんからな。ああ、なにか、飲み物でも……」
っと、椅子を進めるバノスに、ルヴィはもじもじしながら尋ねる。
「あ、あの、バノス隊長? 隊長は、その……ど、どうなのでしょうか?」
「は? どう、とは?」
きょとん、と首を傾げるバノスに、ルヴィは、勇気を振り絞り……。
「そ、その……貴族の令嬢との恋愛とか……」
「はぁ、いや、どうと言われましても……。そんなこと考えたこともありませんぜ。そんなの物語じゃあるまいし……ああ、そうか」
と、そこで、なにかを納得した様子で、バノスが小さく頷いた。
「そういえば、流行ってるってディオン殿が言ってたか。なるほど、確かに俺ならば、平民の兵士が士爵になって、貴族のご令嬢と恋愛……って筋書きはできるか……」
バノスはそうして、肩をすくめた。
「まぁ、いずれにせよ俺には縁遠いことですな。なにせ、そう言うのはもっと見栄えが良くなけりゃ、ダメでしょうしね。あいにくと副隊長殿の興味を惹けるようなことは、お話できなそうだ」
「そう……ですか」
バノスの答えに、ルヴィは安堵半分、落胆半分の、なんとも言えない顔をする。
「しかし、まぁ、なんですな。あなたから恋愛の話をせがまれることになるとは思いませんでしたな。こんなことを言ってしまうと、失礼に当たるかもしれませんが……大きくなられましたな」
「え?」
突然の言葉に、ルヴィは小さく瞬きして……。
「それは、どういう……?」
「ああ……いや。忘れているなら構わないんですがね、あなたとは昔、会ったことがあったから……」
バノスはそう言って、懐かしげな笑みを浮かべる。
「あの時のお嬢ちゃんが、立派なレディになって……。しかも、副隊長として共に仕事をすることになるとは……。ははは、なかなか、人生とは不思議なものですな」
ルヴィは、それで気が付いた。
バノスは、あの時のことを覚えているのだ、と……。覚えていてくれたのだ、と……。
それが嬉しくって……だからだろうか……?
――あれ……? これって、今なんじゃ……?
不意に、閃いた! 自分の気持ちを告げるのは……今なのではないか! と。
この話の流れ、あの時からずっと好きだったと、自然に言えるタイミングなんじゃないだろうか? と。
――そうですよね? ミーアさま?
胸の中、問いかければ、今こそ、全軍突撃ですわ! などと軍配を振る、恋愛大将軍ミニミーアの姿が思い浮かんで……。
ルヴィは小さく頷き、息を吸って、吐いてから……。
「あの……バノス隊長」
「さて、と。それじゃあ、急いで馬を捕まえに行きますかな。妙齢のご令嬢を、あまり夜遅くまで働かせるわけにもいきませんし」
それから、バノスは鋭い目をルヴィに向け……。
「副隊長、地図を……」
「……はい。すぐに」
彼の真剣な視線に射られて、一瞬、クラッとしかけるルヴィだったが……急ぎ帝都の地図を用意しつつ、つぶやく。
「もう少し……このままでもいいのかな……」
などと……。
かくて、ルヴィの片思いは続く。
その決着がどのような形になるのか……それは恋愛大将軍ミーアにもわからぬことであった。