第五十六話 新しいことを、古きやり方で
そうして、ミーアは夕兎を促した。
向かう先は観覧席の前……。いよいよ、レッドムーン公に立ち向かう時が来たのだ。
「レッドムーン公、今日の会、お楽しみいただけましたかしら?」
観覧席を見上げながら、ミーアは言った。
「ああ……ミーア姫殿下。ええ……そうですね。馬同士の白熱の競争は、確かに血沸き、肉躍るものを感じました。その意味では、まぁ、楽しめましたな」
レッドムーン公マンサーナは、渋い顔で頷いた。ミーアは、その表情を見ながら……。
――やっぱり、今日のことはすべて忘れて……とはいかないようですわね。娘の結婚相手に、と思っていたヒルデブラントのあのやらかしですし……。お父さまだったら、むしろ、手打ちにしているぐらいだと思いますわ。
その意味では、マンサーナは、自制が効く人と言えるだろうが……ここは、なんとかしておかないと、ミーアとレッドムーン家との関係が悪化しかねない。それはまずい。
配慮が必要だろうと……ミーアは大きく頷いて……。
「それはなによりですわ。まぁ、途中に驚かされる告白などもございましたけれど……」
と言って、すかさずミーアはマンサーナの顔を見る。その頬が、一瞬、ひくんとひきつるのを見て、思わず逃げ出したくなるが……。生憎と、今、ミーアが乗るのは夕兎である。
背の上で動いたミーアに「なにか?」と首を傾げている。こそこそと逃げるのは、王者に相応しくない、とばかりに、そこに佇み、動こうとしない、実になんとも空気の読めない馬なのであった。
「ま、まぁ、その……若き想いというのは、抗い難いものですし」
仕方なく、ミーアは言葉を続ける。幸い、すでに作戦は立ててあった。
まず、今日のことはすっきり忘れましょうよ! と押す。今日のいろいろなやらかしは、まぁ忘れて、誰にも責任問わないで行きましょうよ、となったらいいのになぁ、と切に思うミーアである。
……が、押し切れない場合には、別の論をもって、マンサーナの心を鎮めるつもりでいた。
キーワードは『若さ』だ。
「胸に抱いた熱情に抗いがたきは、若者のサガというものですわ」
そう、ミーアは、ヒルデブラントの無軌道な行いを、すべて、若さのせいにしようと企んでいた! そのうえで……。
「されど、その若者の、抑えがたき熱情が、国の未来を切り開いていくことも、また、事実というものですわ」
『若さ』というのは、そんなに悪い物じゃないよね? という方向に話をもっていこうとする。
それから、ミーアはマンサーナの顔をジッと観察する。彼の顔に怒りの色を見つけたら、即時撤退するつもりで……ギリギリまで踏み込む!
「だから、わたくしは我が従兄弟、ヒルデブラントの恋と熱情を応援したく思いますわ」
「なっ!」
マンサーナの顔に、驚愕の色が浮かぶ。が、ミーアはあえて言葉を続ける。
「彼のあの気持ちは、騎馬王国と帝国との間に新たな関係を生むものかもしれない。若き情熱は、どのような困難にもめげず、新しい道を切り開く……そのような力がありますわ」
そう断言してから、ミーア、さらに攻める!
「それだけでなく、わたくしは……ルヴィさんをも応援いたしますわ」
ここで、きちんと言っておくのだ。ルヴィの恋を自らが支持し、応援する、ということを……。
もちろん、はっきりと「ルヴィがバノスに恋をしていますよぅ!」なぁんて明言したりはしない。しないが……フワリと匂わせるのだ。
ルヴィもまた、現在、恋の真っ最中ですよ、と。そうして……。
――ヒルデブラントのやらかしは、まぁ、やらかしですけど、ルヴィさんも、あの縁談に乗り気じゃなかったですわよ? だから、ヒルデブラントのアレな言動は、双方を利するものでしたわよ? 娘さんに嫌われなくって良かったですわね!
っと暗に主張しておくのだ。
あのヒルデブラントの行動は、むしろ、ルヴィにとって良いことなのですよぅ、となんなら、声を大にして訴えたいミーアなのである。
「ルヴィを応援……」
「ええ。彼女の若き情熱もまた、とても貴重なもの。古き慣習によって潰してしまってはいけないのではないかしら……」
大貴族に相応しい婚姻相手とか、そういうこだわりは、さておいて。ここはルヴィの恋心を応援してあげようよ、と、ミーアは伝えたいのである。
ルヴィの場合、バノスのことが好きすぎて、このまま下手な貴族とくっつけてしまうようなことがあれば、明らかに悪影響が出そうでもあるし、それに……。
「ルヴィさんは、いち早く行動をもってわたくしへの支持を表明してくださいましたわ」
四大公爵家の子女たちの中で、ルヴィの功績は大きい。皇女専属近衛隊を用いた、食糧輸送部隊の護衛計画の立案、その運用において、ルヴィの果たした役割は決して小さくないのだ。
「それに、ルヴィさんは、わたくしがしようとしている、新しいことにも賛同してくださいましたわ」
新しい盟約……。秘密裡に、星持ち公爵令嬢・令息と結んだ盟約のことを公にはできない。されどルヴィは確かに、あの日、ミーアの協力者となったのだ。であれば、ミーアとしてはぜひ、協力してやりたいところだった。
――それに、平民から異例の出世を遂げた一兵士と大貴族の令嬢が結ばれる……というのは、とてもロマンチックですし……。ぜひ見てみたいですわ。
そんな、ちょっぴり自分の欲望にも素直なミーアなのである。
「ミーアさまが、なされようとしている新しいこと……。ルヴィが行動で支持を……」
マンサーナは考える。ミーアが言わんとしていることを……。
帝国の叡智と謳われるミーアのことだ。きっと、その発言には意味があるはずだ、と。
――コティヤール家とレッドムーン家の縁談は、ミーアさまのお心に適わなかった……ということか。だが、それは、なぜか……?
一つは、もちろん、ミーアが言っていた通り、騎馬王国との関係だ。
――若さ、か……。
ヒルデブラント・コティヤールの馬への情熱は、帝国の中で満たされるものにあらず。名馬の一頭を与えたところで、その渇望は満たされない。否、それでは、彼の情熱を生かすことはできない。
――あふれ出る若き情熱を真に生かす環境は騎馬王国にあり、と……。ミーア姫殿下は、そのように見ているのだろう。姫殿下は、その者の持つ資質が、生かされぬまま枯れていくのを嫌う……そういう方なのだろう。
それは、皇女専属近衛隊にもよく表れている。馬番をしている者も、あの巨漢の隊長も、ミーアから与えられた役割を、生き生きとこなしているではないか。
――それこそが、帝国の叡智の本質ということか!
カッと目を見開き、そんな結論に到達するマンサーナ。
……ちなみに、奇しくもマンサーナが立てた推測は、どこかの国の苦労性の忠臣と重なっていた。今後、マンサーナが、胃痛に悩まされないか心配である。
それはさておき……。
――だが、ミーアさまが言わんとしていることは、それだけではあるまい。私はやり方を間違えたのだ。ミーアさまがなさろうとするのは『新しい』ことだ。しかし、その支持を表すのに、私は古いやり方をもってしようとしていた。それは適切ではないと……ミーアさまはおっしゃっているのではないだろうか。
思わず、マンサーナは深いため息を吐いた。
――なるほど……考えてみれば、大貴族同士の婚姻により、関係性を強化し、支持を表す、などと言うやり方は、実に古い。古色蒼然としたものであった。対して、ミーアさまがなさろうとしているのは、帝国初の女帝として、このティアムーン帝国に君臨するという、未だかつて誰もなさったことのないこと。この上なく新しきことに、古き仕方で支持を表すは確かに矛盾であったな。
考えてみれば、ルヴィに対する支援だとて、今回のやり方は古かったのかもしれない。
軍内部での栄達を支援するため、有望な青年貴族ヒルデブラントとの縁談により、後押ししようとしたのだから。
――あの子は……ルヴィは、ミーア姫殿下の皇女専属近衛隊内での働きにより……自らの力により、その道を切り開こうとしていたというのに……。そして、そのやり方をこそ、ミーアさまは、自らの陣営に相応しいと認められたというのに……。
であれば……ミーアへの支持を表明するためには、どうすれば良いのか?
――考えなければなるまい。はは、まったく、サボることができんな……。これがミーアさまを支持するということか……。
思わず、苦笑をこぼすマンサーナであった。
「なるほど……。よく、わかりました。コティヤール家との縁談の件、少々、性急に過ぎたように思います。もう少し、ルヴィとも話し合ってみようと思います」
「ええ。それがよろしいですわ」
そんなマンサーナに、ミーアはニッコリ笑みを浮かべるのだった。
さて、マンサーナが、聖ミーア学園に総合馬類研究学科を開設するという報せを聞いたのは、この数か月後のことだった。
馬の研究という「新し」くも魅力的な研究に、彼はすぐさま支持を表明。
レッドムーン派の貴族や黒月省の協力も得て、馬類研究学科は順調なスタートを果たすのだった。