第七十三話 ミーア姫、察する
「どうぞ、こちらへ」
いつぞや通された教会の中、神父の部屋は相変わらず質素で、あまり物がなかった。
「何もなくて申し訳ありません。手厚くご支援いただいているのですが、なかなか忙しくて手が回りませんで」
そう苦笑する神父だったが、その割には教会や孤児院の外壁の補修などは進んでいるように見えた。
これならば、少なくとも隙間風に悩まされるようなことはないだろう。
――自分の部屋を後回しにするというのは、いかにもこの方らしい態度ですわ。
貧困地区で働く人間すべてが、清廉潔白とは限らない。国の援助を目当てにし、私腹を肥やそうという人間だっているのだ。
ルードヴィッヒの手配した財政的な援助が入っても、なお態度を変えない彼の姿勢に、思わず感心してしまうミーア……だったのだが。
「そういえば、姫殿下は、聖女さまとご友誼を結ばれたとか……」
ふと思い出しました! という顔で、神父が言った。
「聖女さま……、ああ、ラフィーナさまのことですわね。ええ、確かにお友達になりましたわ」
あまり、お近づきになりたくなかったけれど……、と心の中で付け足す。
――だって、あの人、怖いんですもの……。
などと思っているミーアなのだが、どうも気に入られてしまったらしく、夏休み中だというのに手紙が送られてきていた。
まさか返さないわけにもいかないから、お返事を書かなければいけないのだが……。
――ああ、憂鬱ですわ。下手なこと書いて嫌われでもしたら大変ですわ!
などとため息を吐くミーアであった。
「おお、なんとっ! やはり、噂は本当でしたかっ!」
ミーアの言葉を聞いて、神父が興奮したように声を上げた。心なしか……、彼の瞳がキラキラ輝いているように見える。
中央正教会に属する彼にとって、ラフィーナは雲の上の存在だ。だから、興奮するのはわからないではないが……。
――なんだか、舞台女優のファンみたいな反応ですわね?
ミーアは、以前、観覧に訪れた大劇場での出来事を思い出していた。
あの時は、人気の女優を大勢のお客さんで取り囲んで、それで……、
「あの、もしよろしければ、今度サインなどを……」
――ホントにファンでしたわ!
神父から、ものすごーく嫌そうな顔でラフィーナの肖像画を受け取り、「できれば、私の名前も入れていただけるととても嬉しいのですが……」などと事細かにサインの指示を受けるミーア。
ちなみに、その肖像画だが、ヴェールガ公国でラフィーナが誕生した時に大量に作られたものらしい。
たくさんの画家を呼んで、娘の肖像画を作っては、大喜びで配っているヴェールガ公に、ミーアは自らの父親と同じ匂いを嗅ぎ取った!
――ラフィーナさまも大変なんですのね……。
ちょっとだけ同情するミーアである。
……という感じの愉快なやり取りを経て、ようやくミーアは本題にたどり着く。
「ところで、このかんざしが形見というのは……」
「ああ、ええ、そうでした」
ラフィーナの素晴らしさを語りだそうとしていた神父は気持ちを切り替えるように大きくうなずいて、
「あの子の母親は、帝国辺境部の森林地帯に住む少数部族の出身のようなのですが、他の部族の男と関係を持ち、あの子を産んだようなのです。それが原因で親と喧嘩をして、赤子だったあの子を連れて帝都に出てきたとか。けれどあの子が幼い時に病を患い、亡くなられたのです」
“辺境の少数部族”、その言葉を聞いた瞬間、ミーアの背筋に嫌な寒気が走った。
日記の記述が脳裏を過る。
ミーアの本能が告げる。
自分はすでに、死地に足を踏みいれかけているということを!
「……もっ、もしや、その部族というのは、ルールー族ではありませんの?」
「おお、さすがは姫殿下。ご存知でしたか……」
神父は少し驚いた顔をしたが、すぐに納得した様子でうなずいた。
「もっとも姫殿下であれば、ご存じでも不思議はございませんな。あのラフィーナさまのお友達なのですから……」
妙な感じでミーアへの評価を上げる神父。
ミーアに対しての評価はもともと高かったが、すでにほかの人物のファンである彼は、ミーアファンクラブに入ったりはしないようだった。
それはさておき……、
「まぁ! そんなに大切なものなんでしたら、いただくわけにはいきませんわ!」
いささか芝居がかった声音で、ミーアは言った。つい受け取ってしまったかんざしだったが、これがきっかけでどんなことが起こるかわからない。
ここは、早々に返してしまうのが、最善の手……。
「いえ、それはぜひお受け取りください。あの子がどうしても、と言って渡したものですから」
神父は、微笑ましげに瞳を細める。
「姫殿下によって、運び込まれて以来、あの子はずっとお礼がしたいと言っておりました。そのかんざしは、あの子の心からの贈り物です」
――そんなの形見って時点で、よーっくわかってますわ! 言われるまでもございませんわ!
「ですから、どうかお願いいたします。姫殿下から見れば、粗末な品に見えるかもしれませんが、捨ててしまったりしませんように……」
「とっ、当然ですわ。傷一つつけませんわ!」
逃げ道をふさがれたミーアは、次善の策をとる。それは……、
「それと、ここにいらっしゃる時には、たまにでもかまいません……、身に着けていただければ……」
「毎日だってつけますわ!」
返却できないのであれば、仕方がない。
できるだけ大切にし、なおかつ、あの男の子と友好的な関係を築くことのみ。
逃げ道がそこにしかないならば、そこを全力で駆け抜けるのみだ。
「あの子に、わたくしがとても喜んでいたと、伝えていただけるかしら?」
「そうですか。姫殿下に気に入っていただけたなら、きっとあの子も喜びますよ」
ホッと安心した様子で、神父は微笑んだ。
その行動が思わぬところに影響を及ぼすことに、ミーアは気づいていなかった。