第五十三話 士爵(ナイト)
「さぁ、クライマックス、行きますわよ、東風」
ミーアの掛け声に、東風が再び、嘶いて答える。
そのまま一気に加速して、障害物に向かって行く。
今度の障害物は先ほどより一つ増えて、三つ並べられている。けれど、ミーアが臆することはない。
「うおおおおっ! ミーア! 頑張れー!」
などと、父の声が聞こえて、いささか以上に恥ずかしいが……それも気にしないようにする。
――最後の盛り上がりに相応しい三連ジャンプ。ルードヴィッヒの指示か、はたまたゴルカさんのアイデアかはわかりませんけれど、最後を決めて大いに盛り上げますわよ! それで、こう……なにか上手い具合に演説をして、なんとか誤魔化して切り抜けますわ!
そんな考えごとをしながら、ミーアは気持ちよーく一つ目の障害物を飛び越える。
なにも問題なく着地を華麗に決めつつ、二度目のジャンプ。びゅうっと勢いよく飛び上がる東風。息を合わせ、重心を合わせることに集中するミーアは、成功を確信する。
「次がラストですわ!」
実にスムーズに、流れる水のごとく……流される海月のごとく、二度目のジャンプを終え。最後の一回。
――さぁ、これが終われば後は……。
などと、ミーアは……先のことを考えてしまった。
それはしてはいけないこと……。致命的な油断となった。
三度目のジャンプ。障害物を飛び越えようと東風が飛び上がった……まさにその時だった! びょうっと、ひときわ大きな風が吹き付けてきた。
「うひゃっ!?」
まるで、下から吹き上げるような風を受けた東風は、さながら天馬のごとく舞い上がる。
突然のことに、一瞬バランスを崩しかけたミーアであったが……。
「ふんぬっ!」
っと、いささかお姫さまらしからぬ鼻息を吐きつつ耐える! 手綱を掴み、鐙の上でバランスをとる。
そうして、ミーアは今までで最も長い浮遊感に、最後のジャンプの大成功を確信した。
――まさか、最後の最後で、この見事なジャンプとは! うふふ、我ながら見事ですわ!
などと自画自賛するミーアは……けれど……この時……完全に油断していた。
だから……直後に響いた声を、てっきり称賛の歓声と聞き間違えていたのだ。
華麗に着地を決めたミーアが、満面の笑みで歓声に応えるため、手を挙げようとしたところで……!
「ミーア姫殿下っ! 危ないっ!」
前方、ルヴィが駆け寄ってくるのが見えて……。その後ろ、遅れてバノスが駆けつけてくるのが見えて……。
……はて? なにかあったのかしら……?
なぁんて、のんきに振り返ったミーアは……直後に見たっ!
強い風に巻き上げられた障害物がびゅうっとこちらに向かって来ていることに!
「ミーアさま、こちらにっ!」
ルヴィが東風の手綱に手を伸ばすが……ダメだ。間に合わない!
横幅のある障害物はミーアのみならず、駆け寄ってきていたルヴィまでをも、巻き込みかねないもので……。
「ひっ、ひぃいいいっ!」
ひきつるような悲鳴を上げるミーアと、立ちすくむルヴィ。そこにっ!
「あぶねぇ!」
二人を守るように、堂々と立ちふさがったのはバノスの巨体だった。咄嗟にミーアとルヴィを守るように一歩前に出た彼は、グッと体躯に力を入る。
強烈な勢いで向かってきた障害物、臆することなく、バノスは、思い切り肩からぶち当たった!
「バノス隊長!」
ルヴィの悲鳴と重なるようにして、バキィッと、なにかが折れ砕けるような、恐ろしい音が辺りに響いて……っ! ミーア、思わず目を閉じかける……が、直後、びょうっとものすごい速度で、障害物が飛んでいくのが見えて、うひぃっと悲鳴を上げる。
幸い、障害物は、ミーアと、ルヴィとを避けるように、真っ二つに割れた状態だったので助かったが……。
――あら? 今の、どうして、二つに割れていたんですの?
「お怪我はありませんかい? ミーア姫殿下」
恐る恐る目を向けた先、バノスが小走りに近づいてきた。
「ばっ、バノスさん……。いえ、わたくしは大丈夫ですけど……あ、あなたのほうこそ、大丈夫なんですの? 今の、あの障害物に思い切りぶつかっておりましたけど……」
「ん? ははは、なぁに。あのぐらい、ディオン隊長のしごきに比べたら、どうということもないですよ」
などと笑うバノスを見て、へなへなっと力なく座り込んだのは、ルヴィだった。
「あ……ああ、よ……よかった……」
吐き出すようにつぶやいてから、
「むっ、無茶しないでください! バノス隊長!」
若干、震えるような声で抗議する。
「いや、まぁ、大したことじゃあ……」
頭をかきつつ、困り顔のバノスであったが、次の瞬間、さらに困った事態に巻き込まれることになった。それは……。
「見事っ! そなたの働き、この皇帝、マティアス・ルーナ・ティアムーンがしっかと見た!」
観覧席のほうから聞こえてきた大きな声だった。
見ると、皇帝が観覧席の前方まで歩み出て、ミーアたちを見下ろしていた。
彼は、感動に潤んだ瞳でバノスを見つめてから、
「よくぞ……よくぞ、我が娘、ミーアを守った。そなたの働き、まさに皇女の盾に相応しきものと言えよう!」
感極まった口調で言ってから、彼は、厳かなる口調で言った。
「今この場で、この者の働きに相応しく報いよう。我は、皇帝マティアスの名において、この者を士爵の地位につける」
「…………はぇ?」
あまりにも……あまりにーも、突然の展開に、ミーアは瞳を瞬かせる。それは、他の者たちも同じだった。バノス本人はもちろん、周囲の近衛兵たちも、そして、ルヴィも驚愕のあまり、口をぽかーんっとしていた。
そんな中、いち早く立ち直った者は……なんと、ミーアだった!
前の時間軸と合わせて、父の無茶と思い付きに振り回されることには、慣れっこのミーアである。
冷静さを取り戻した彼女は、素早く、現状を分析する。
「士爵……」
小さくつぶやき、ミーアは小さく頷く。
士爵、ティアムーン帝国におけるそれは、領地を持たぬ爵位。一代限りの爵位であり、一部の貴族特権は認められているものの、その実、名誉以外に意味があるものではない。
一応は、貴族ですよ……と言える程度のもので、他の帝国貴族からも貴族の一員として扱ってもらえるぐらいのもの……。
この程度ならば、皇帝のわがままでも十分通してしまっても、特に問題はない。
また、今回の出来事は、インパクトも十分だった。
実際のところ、あの障害物、馬がぶつかっても怪我しないように、軽く、また、壊れやすく作ってあったわけで……見た目ほどにとんでもない破壊力があったわけではないのだが……しかし、事実はどうあれ、今、重要なのは、派手なことだった。
ものすごい勢いで飛んできた物から、身を挺してミーアを、そしてルヴィを守ったという功績……。
それは、強力な説得力を持っていた。
「それに、その男はミーアの皇女専属近衛隊の隊長だと言うではないか。であれば、爵位を持っていないのは不都合があるのではないか?」
それもまた、事実であった。
今は、まだ、ミーアは一皇女に過ぎない。けれど、ルードヴィッヒらの働きかけが実ってしまい、ミーアが女帝になった暁には……。女帝の手足たる、女帝専属近衛隊の隊長が平民というのは、いささか問題があるかもしれない。
名誉爵位とはいえ、貴族であれば、その辺りのこともバランスが取れるわけで……。
なぁんて難しい分析をミーアがしたかというと、もちろんそんなわけはない。
ミーアが考えたのは、ただ一つのことだけだ。すなわち……。
――平民の兵士が功績をあげたことで士爵となり……そして、星持ち公爵令嬢と結ばれる……。実にドラマチックですわっ!
これである。
恋愛小説脳ミーアは、ピンク色の脳細胞に促されるままに、深々と頷き、
「なるほど、それは、とても素晴らしいことですわ」
満足げに微笑むのだった。




