第五十一話 ポニプリミーア! 出走す!
ともかく、急いだほうがいい。状況はひっ迫していた。
ミーアは東風のもとに小走りで向かう。
「ミーアさま……」
途中で歩み寄ってきたルードヴィッヒに、
「すぐにホースダンスをいたしますわ。障害物の設置を頼みますわね」
などと短い指示を飛ばしつつ、皇女専属近衛隊とレッドムーン公の私兵団のほうを窺う。
騒然とする兵たちに、ミーアは思わず、うぐぐ、と唸る。
「とっ、とんでもない雰囲気になっておりますわ! ぐぬぬ……ヒルデブラント。もう少し、空気が読めるやつかと思っておりましたけど……」
幼き日、美味しいお菓子になりたかった男、ヒルデブラントの単純さは、時を経て、むしろ、磨きがかかっていたようであった。
「なんとも、自分の欲望に忠実な男ですわ。あの蛮勇が、もう少しルヴィさんにあったら、もっと……もっと?」
ミーア、そこで思い出す。
先ほど、唐突かつナチュラルに告白をやらかそうとしたルヴィの姿を思い出す。
「……まったく間違ったタイミングで告白していたこと、疑いようがありませんわね。ふむ、やはり、闇雲な勇気など百害あって一利なしですわ」
さて、待機状態だった東風はミーアを見ると、ふーぶ、っと小さく鼻を鳴らす。
どこか殺気すら帯びつつある空気とは裏腹に、まったくもって落ち着き払った様子だった。ぽげーっと、辺りを見回していた。
帝国が誇るワークホース、テールトルテュエは、どんな時でも落ち着いているのだ。
「ふむ、さすがは、東風。大した度胸ですわ」
東風の首筋を軽く撫でてから、ミーアは、すぐそばに控えるゴルカのほうを見た。
「準備は、もうできているかしら?」
見たところ、東風は手綱と鐙がつけられて、後は乗るばかりといった様子だが……。
「はい。いつでも……」
ゴルカは、重々しく頷いて、それから……。
「先ほどの二頭、確かにどちらもすごい月兎馬でしたが……うちの東風も負けてませんから。どうか、こいつの力をみなに見せつけてくださいますように」
気合の入った応援の声に、ふむ、っと大きく頷いて、それからミーアは、颯爽と……颯爽と? 「よいしょー」っと勇ましい掛け声とともに、東風に乗った。
「まぁ、正直、この状況を打開できるとは、到底思いませんけれど……ともかく、少しでも空気を変える必要がございますわ。頼みますわね、東風」
ミーアは、もう一度、東風の首筋を撫でると、
「はいよー! シル……東風!」
汁豆腐! なる未知の料理の名前を叫び、出走した。
コースにはまだ、障害物が設置されていなかった。ルードヴィッヒの指揮のもと、急ピッチで作業が進んではいるが、未だ、会場はできあがっていない。
が、それはミーアも承知の上だった。
今は、むしろ、その場の空気を変えるのが肝要。
できるだけみなの視線が集まるように、ゆっくりコース内を一回り。片手を大きく振りながら、みなの前を走る。なにせ、このまま始めてしまうと、誰も見ていない可能性がある。それでは意味がないし、単純に寂しくもある。
――やったところで、あまり、意味はないかもしれませんけれど……。
あの慧馬の完璧な乗馬の後である。しかも、ヒルデブラントのやらかしの後なのである。
――わたくしのホースダンスに興味がある方など、いるのかしら?
なぁんて、不安になるミーアだったが……。
「うおおっ! ミーア!」
その歓声に、思わずミーアは驚いてしまう。
見ると、観覧席。いつの間にやら席を立った皇帝マティアス・ルーナ・ティアムーンが、両腕を振り上げて応援の声を上げていた。慧馬の走りなどなかったかのように、ただただ、ミーアの走りのみを楽しみにしていた男の姿が、そこにはあった。
さらに、そのそばでは、アベルとベル、シュトリナ、子どもたちも歓声を上げている。
――ふふふ、いつもは若干、ウザいぐらいのお父さまですけれど、こういう時にはありがたいですわね。
なにしろ、ああ見えて、この国のトップである。そんな皇帝が興味を持ち、応援する者に対し、下々の兵士たちが無反応でいることが許されるはずもなく……。
さらに言えば、ミーアは失念もしていた。自分が何者であるのか……。
しつこいぐらいに確認しないと、なぜか、みなが忘れてしまう事実ではあるのだが、ミーアは、なにを隠そう、この帝国の皇女である。お姫さまなのである。
そして、長い帝国の歴史上、乗馬を嗜んだ皇女というのは、ほとんどいない。絶対にいないかどうかは、歴史書を詳しく紐解かねばならないが、ともかくパッと思いつかないぐらいには、存在しないわけで……。
しかもミーアの乗馬術は、実のところそう悪くない。意外なことではあるが。
一般的な貴族のご令嬢の趣味レベルはとうに超えているし、セントノエル内でも、割と上位の馬の乗り手と言える。
そう、いつの間にかミーアは、 天馬姫は言いすぎでも、小馬姫ぐらいの腕前にはなっていたのである。
ポニプリミーアなのである……間違ってもプニプリではないので、念のため。
そうこうしている間に、コース上にいくつかの障害物が設置された。
それは、何度も練習したのとまったく同じ配置である。
「ふむ、完璧な仕事ですわね。ルードヴィッヒ……。では、行きましょうか。東風」
ミーアの声と、東風の甲高い嘶き。
そして…………まるで、その声に応えるようにして風が吹き始めた。




