第五十話 ミーアの誤算~決死のホースダンスへ!
そうして、レースはなんの波乱もなく終わった。
――後半の逆転とか、追い上げとか、全然なかったですわね。
などと思うミーアであったが、そもそも、それを期待する者もいなければ、予想する者も、いなかったのではないだろうか。
それほど、圧倒的な走りだったのだ。
ゴールした直後、慧馬は観覧席の前へ。
馬を降り、皇帝とレッドムーン公に、華麗に一礼してから、ミーアのほうにやってきた。
「ふふふ、どうかな、ミーア姫。騎馬王国の力、帝国に示すことができただろうか?」
ドヤァッという顔で言う慧馬に、ミーアは朗らかな笑みを浮かべ……。
「素晴らしい走りでしたわ。慧馬さん。さすがは火の一族随一の馬の乗り手ですわね」
パチパチと拍手しつつも……。
――なんだったら、もうちょっと手を抜いてくれてもよろしかったんですけど……。
などと言いたいミーアであるが……、その言葉をぐっと呑みこむ。
騎馬王国の民にとって馬での勝負は神聖なことのはず。であれば、どんな勝負であれ、手を抜くことなど考えられないのだろう。
――まぁ、慧馬さんに文句を言うのは筋違い。ここは心からの称賛を送るべきですわね。ヒルデブラントも、慧馬さんの走りを堪能したでしょうし、絶対に騎馬王国に興味を持ったはずですわ。
あまり、多くを求めてもよくない。ここは当初の目的通り、ルヴィとヒルデブラントの縁談をなんとかすることを考えるべきだろう。
っとそこで、タイミングよく、ヒルデブラントがやってくるのが見えた。
恐らくは慧馬の走りを褒め、互いに健闘を称え合うつもりなのだろう。あるいは、慧馬の愛馬、蛍雷を近くで見せてもらうつもりだろうか。
いずれにせよ、興味を持ってもらえたのは良いことだろう、と満足げに頷くミーア。
そばまでやってきたヒルデブラントは、真っ直ぐに慧馬を見つめ、笑みを浮かべた。
「いやぁ、慧馬嬢。貴女の乗馬術、実にお見事でした。このヒルデブラント、感服いたしました」
「そうか。我が友、蛍雷の力を示せたならば幸いだ」
慧馬、瞳を閉じたまま、ふっふーん、っと勝ち誇った顔で言う。
「ほう。馬を友と呼ぶ……。それが、騎馬王国の乗り手の考え方ということですか。そうでなければ、あの見事な騎乗はできないと……」
「そうだ。馬を使い捨ての道具のように扱えば、馬の力を十全出すことはできぬ。戦場において馬は一番信用するべき戦友なのだ」
腕組みし……慧馬は偉そうに頷く。それを聞くヒルデブラントは、実になんともキラッキラした目をしていた。
――ふむ、なかなか良い感じですわ。あとはレッドムーン公にバノスさんの活躍をどう思い出させるか……。
などと、思考に浸ろうとしたミーアだったが……そんな余裕はなかった。
なぜなら……ヒルデブラントが唐突に、その場で片膝を付いたからだ。
「…………はぇ?」
その行動に、ミーアは、きょとんと瞳を瞬かせる。ヒルデブラントは慧馬を見上げながら、静かな声で言った。
「慧馬殿、貴女の乗馬術、ぜひとも私にご教示いただきたい。私の師となっていただけぬだろうか……?」
それを聞き、すぐにミーアは落ち着きを取り戻した。
――あ、ああ、まぁ、そうですわよね。単純なヒルデブラントならば、そんなこと言い出しそうですわ。
なにしろ、彼は、美味しいお菓子に出会った時、将来はお菓子になると言い出す男である。根が単純なのだ。
まぁなんにせよ、これは計画通りと言えるだろう。慧馬に直接師事したいと言っているようだが、そこはそれ。慧馬に教わる前に、まず騎馬王国でもっと基礎的なことを学べ、とかなんとか、適当な誘導をしてやれば、彼を帝国から遠ざけられるはず。
そこで、騎馬王国の乗馬上手な女性に興味を持ってくれれば、さらに御の字だ。さすがに慧馬と恋仲になったりはしないかもしれないが、騎馬王国には乗馬上手の女性が溢れている。誰かしらと恋に落ちてくれれば、ルヴィとの縁談もなかったことになるはず……。
――いえ、慧馬さんと婚儀を結んでくれれば、それはそれで良いかもしれませんわね。慧馬さんと親戚づきあいというのもちょっぴり楽しそうですし、騎馬王国にも人脈ができるのは好ましいこと……。ふふふ、まぁ、ヒルデブラントが慧馬さんの心を掴めるかはわかりませんけれど……。
いずれにせよ、それはじっくりと親しくなってからの話で……。などと、ミーアは、完全に油断していたのだ。ヒルデブラントの一本気な性格を……見誤っていたのだ。
そのまま、慧馬の片手を取ったヒルデブラントは、続けて言ったのだ。
「いや、そうではないな。誤魔化すのはやめにしよう。できれば、私の生涯の伴侶になってもらえないだろうか?」
「……………………はぇ?」
驚愕の声を上げたのは慧馬――ではなかった。ミーアである!
いきなりの展開にミーアは、瞳を瞬かせて……次の瞬間、急いで視線を転じる。向けた先は観覧席。自らの父の隣に座る男、帝国四大公爵の一人、マンサーナ・エトワ・レッドムーンで……。
その顔を見た瞬間、ミーアは思わず、ひぃいっ! と悲鳴を上げそうになる。
マンサーナが……、大抵の場合、穏やかな笑みを浮かべた、あの男が……。
ギリギリギリ、っと歯ぎしりし、額に血管を浮かべていたからである。
『俺が、我慢に我慢を重ねて、可愛い娘をやろうとしてるっていうのに、てめえは、なに勝手なことしてやがんだ、この野郎!』
などと、公爵にはいささか相応しくない品のない言葉が、その顔に書かれているのが、確かにミーアには見えた。
まぁ、そもそもの話、紳士的に振る舞ってはいるが、レッドムーン公はもともと武闘派の人だ。そうじゃなきゃ、強力な私兵団とか作らないだろうし。
――なっ、なぜ、こんなことに……。
ミーアは、うぐぅ、っと思わずうめく。
すべては、慧馬の乗馬が、あまりにも見事だったせいだった。
慧馬が、あんなにも見事な乗馬をしなければ、ヒルデブラントが魅了され過ぎたあまり、唐突な告白をすることもなかっただろう。
慧馬が、あんなにも見事な乗馬をしなければ、マンサーナの脳裏には、バノスという優れた兵士のことが残っていただろう。それを橋頭保として、ルヴィのお相手候補まで話を進められたかもしれないのに。
すべては、あまりにも圧巻だった、慧馬の乗馬のせいなのだ。
「くぅ、かくなる上は、仕方ありませんわ。このままシレッと次の競技に移って、なんとか誤魔化すしか……」
要は、次の競技の乗り手が、慧馬以上に見事な乗馬術を披露すれば良いのだ。それで、場を盛り上げて、会場の空気を変えることができれば、その間に、レッドムーン公の気持ちも落ち着くかもしれない……。
なぁんて、希望的観測にすがろうとしたミーアは、そこで、思わずつっこむ。
「って、次の競技って、わたくしのホースダンスでしたわっ!」
かくて、ミーアの決死のホースダンスが始まるっ!