第四十七話 陛下、ナニカに気付く……
元ディオン隊副隊長バノス。彼は面倒見の良い男として知られている。
鬼神のごとき強さを誇るディオン隊長と、精兵なれど、常人の域を出ない兵たち。その間を取り持つのが彼の仕事だった。そして、その手腕には定評があった。
だが、一兵士としての実力を、ミーアはよく知らなかった。
もしかして、隊長としてはイマイチなのでは? などと不安になったこともあったが……。
バノスの活躍は、そんなミーアの不安を払拭して余りあるものだった。
「おおっ! お見事ですわ」
ミーアは、バノスの雄姿に思わず歓声を上げていた。
スッと伸びた背筋、天に向かって直立するその巨体は、さながら、大地に根差した巨木のごとく、どんと構えていてなんとも頼もしい。
そんな凛々しい立ち姿から放たれた矢は三本。
ひゅかっ! と音が立つたびに、寸分たがわず、的を射落としていく。
しかも、一射目から二射目、三射目の放たれる間隔が早い。
ひゅか、ひゅか、ひゅかっと、リズムよく三度音が鳴り、的はあっという間に射抜かれていた。
名手ルールー族には及ばないだろうが、それでも、専門家たる弓兵に引けを取らない手際の良さである。
対戦相手もそれを見て焦ったのか、早さを優先するあまり狙いが散漫になる。一射、二射までは良かったが、三射目は的をわずかに外れる。
けれど、それで冷静さを取り戻したのだろう。一度大きく息を吐き、改めて一射。線を引くように飛翔した矢は、的のど真ん中を射抜いた。
――さすがはレッドムーンの抱える兵士。冷静ですわ……。
うむうむ、と、しきりに感心するミーアであった。
続いて、馬上弓術だ。
バノスは、その巨体を軽々と愛馬に乗せるや、馬を加速させる。そして、的のそばを通り過ぎながら、射る、射る、射る!
「おおおっ!」
っと、ミーアが歓声を上げてしまうほど、それは見事な手際であった。
「すごいですわ! よくあんな風に当たりますわね。しかも、馬を操りながら……」
褒めたたえるミーア。その隣では、ルヴィが、ふふーんっと胸を張っていた。心なしか、とっても偉そうな顔をしている。
「馬の上から弓を射るというのは、確かアンヌとティオーナさんも同じようなことやってましたわね?」
「はい。ですが、あの時は私が馬を、ティオーナさまが弓を、と分担していましたから」
などと、ぶんぶん手を振るアンヌに、ミーアはほんのり優しい笑みを浮かべて……。
「ふふふ、そのおかげで、わたくしは助かったのですから、謙遜することはありませんわ。それに、あなたはメイドですから、本来は、ああいった戦闘をする必要は全くないのですわよ?」
「でも、副隊長たる私は、多少はできたほうがいいのでしょうね……」
横で心配そうな顔をするルヴィである。先ほどの得意げな顔とは一転、実に何とも不安そうに、私にもできるだろうか? などとつぶやいていた。
「まぁ、できるに越したことはないかもしれませんけれど……。あなたが前線で戦うようなことにはならないと思いますし……」
っと、チラリとフォローするミーア。そこに、
「ふっふっふ、まぁ、我はできるが……」
空気を読まずに、実に偉そうな顔で首を突っ込んできたのは慧馬だった。
ちなみに、今は、近くにディオンはいない。
ディオンとの距離に比例して、態度が大きくなる慧馬なのであった。
そんな騒がしい令嬢たちを置き去りに、競技は続いていく。
馬の速さを競う乗馬対決は、レッドムーン家の兵士の勝利。地上での剣術はバノスの勝利に終わり、最後に待つのは騎乗剣術だった。
「相手もなかなかの腕前のようですけれど、バノスさんには届きませんわね。ふふふ、さすがは、我が皇女専属近衛隊の隊長ですわ」
満足そうに笑うミーア。それから、ふと隣を見ると……少し前まで楽しそうにしていた慧馬が、ちょっぴり青い顔をしていた。
「あら、慧馬さん、どうかなさいましたの?」
その視線を追えば、ディオン……ではなく、バノスの姿があった。
「あら、慧馬さん。もしかして、バノスさんを怖がってるんですの? 大丈夫ですわよ? ああ見えても、彼はディオンさんと比べて、ずっと常識的で、穏やかな方ですし」
「いや、別に怖がってはいないぞ? ただ……な、あれを、片手で……片手間にあしらえるというディオン・アライアは常軌を逸した……とてつもなく恐ろしい存在なのではないか、と思ってしまって……」
ぶるるっと体を震わせる慧馬。ミーアはしばし考え込み……。
「……なるほど……言われてみれば……」
思わず頷いてしまう。
ちなみに、別にディオンが片手でバノスをあしらえる……などと言うことは、誰も言っていない……まぁ、できないとも断言できないわけだが……。
「って! 駄目ですわ、慧馬さん。そのように恐ろしい想像を膨らませては、この後の乗馬に差し障りがありますわよ?」
そう言って、ミーアは、ぽん、っと慧馬の肩を叩いた。
「大丈夫ですわ。もしも、ディオンさんが、こう……狼とかその仲間を斬りたそうな顔をしている時には、わたくしが全力で止めて差し上げますわ」
「ミーア姫は、あのディオン・アライアが怖くないのか?」
慧馬の問いかけに、ミーアは余裕たっぷりの表情で……。
「もちろん怖くない、と言ったらウソになりますけれど……。でも、少なくとも、制止したぐらいで斬りかかられたりはしないはずですわ……たぶん」
ミーアの心を支える言葉があった。それは……。
――わたくしは、彼にとって『愉快』な人間。となれば、そう簡単には斬られはしないはず。人は、不愉快なものはちょっとしたきっかけで斬って捨てたくなるものですけど、愉快なものならば別ですわ。
それから、ミーアは、慧馬に笑いかけた。
「さぁ、もうすぐ、あなたの出番ですわよ? その前に、バノスさんの雄姿を見て、盛り上がりましょう。今日は、馬たちの競演を楽しむ日なのですから」
「そうか……。そうであったな……」
慧馬は、ちょっぴり明るい顔で、ミーアに頷いて見せた。
そうして、ミーアと慧馬はバノスに応援の歓声を送るのだった。
さて……ところ変わって観覧席。
こちらでもご令嬢たちが盛り上がっていた。
「うわぁ、すごい! すごいです。さすが、ミーアお姉さまの近衛隊長!」
ピョンピョン飛び跳ねるベルと、その真似をしてキャッキャと笑うキリル。
表情こそ変わらないものの、パティもまた、ジッと、競技の行方を見守っていた。
それを、静かに見つめる者がいた……。
ティアムーン帝国、皇帝、マティアス・ルーナ・ティアムーンは、目をキラッキラさせるベルを見て……。ジッと視線を外さないパティを見て……。それから、下のほうで応援の声を上げるミーアを見て……。
その歓声の向かう場所、対戦相手と切り結ぶ巨漢の男、バノスを見て……。
「なるほど……」
重々しく頷いてから、小さな声でつぶやく。
「……筋肉、か。あの者に教えを請うのも……ふむ」
っと……。
瞬間、少し離れたところで応援しているミーアの背筋に、正体不明の悪寒が走ったのだが、ミーアがその原因に気付くことはなかった。