第四十六話 悲しい罪悪感
一方、ミーアと別れたベルと子どもたちは、シュトリナに連れられて観覧席に昇った。
やってきた子どもたちに、皇帝は実にこう……優しい笑みを浮かべた。
マンサーナもベル……ではなく、パティのほうを見て、興味深そうに瞳を細める。
「なるほど……。確かに、先代の皇妃さまの面影がありますな。それに、そちらの少女のほうは、どことなくミーア姫殿下に似ている……」
「ははは。そうだろうそうだろう。まぁ、実際にはミーアの可愛さには及ばないがな……」
上機嫌に笑う皇帝。促されるままに、ベルたち一行は席に着いた。
そんな中、ヤナは場違いな緊張感に体を硬くしていた。一度挨拶したとはいえ、帝国の皇帝と大貴族が座るような席である。緊張するなというのが無理な話だった。
一方で、キリルは席に座らず、前方の柵から身を乗り出してレースを眺めていた。
「すごい……」
高い位置から見る乗馬は、また一味違った迫力があった。
「こんなに馬がいるなんて、帝国ってすごい」
馬たちの白熱のレースを見て、歓声を上げるキリル。それを聞いたベルが、にんまーり、と笑みを浮かべ……語りだす。
「ふっふっふ、キリルくんに、いいことを教えてあげましょう。実は、騎馬王国っていう、みんなが馬に乗ってる国があるんですよ」
「騎馬王国……?」
小さく首を傾げるキリルに、ベルは大変偉そうな口調で語る。
「はい。それはもう、とっても素敵な国なんですよ? 広い広い草原が広がってて……。そこを馬たちが駆けまわる。住む人たちも馬と一緒に生きてて、ふふふ、ボクもたくさん乗りました。懐かしいなぁ」
そうしてベルは首を巡らせる。遥か遠く、騎馬王国の景色に目を向けるように、そっと瞳を細めて……。
「こうしてると、あの草原の光景が見える気がします。あ、ほら、あっちに……」
「ベルちゃん……騎馬王国は、あっちかも……」
シュトリナの控えめなツッコミを受けて、ベルは、何気ない風を装って顔の向きを変え……。
「……懐かしいなぁ!」
いつでも適当マイペースなベルである。
さて、ちょっぴりダメなベルお姉さんの発言にもかかわらず、キリルは、目をキラキラさせて言った。
「いつかぼくたちも行ってみたいね、ヤナお姉ちゃん」
嬉しそうな弟の様子に、ヤナもちょっぴり頬を緩めて、それからキリルの頭を撫でて……。
「うん。いつか、そこで暮らすのもいいかもしれないな」
自分で言ったその言葉……ヤナは、ふと不思議に感じる。
――少し前までなら、考えられなかったな……。
ガヌドス港湾国での、辛かった日々が頭を過る。
食べ物を盗み、自分たちと同じ貧しい子どもたちと奪い合い、殴られて痛い思いをして……それでも必死に生きてきた。
すべてはキリルを守るため、そして二人で生き残るためだった。けれど、今は……。
――なにをしたい、どこで暮らしたい……そんなこと、考えてる……。
「お姉ちゃん……?」
ふと我に返ると、キリルが心配そうな顔で見つめていた。安心させるように、その頭を撫でてから、ヤナはパティに目を向けた。
パティは相変わらず、顔になんの表情も浮かべずに、競争を見守っていた。
けれど、ヤナには、なんとなく……その顔が後ろめたそうに見えた。
――そっか……。パティの弟は今……。
ヤナは思い出し、今の日々を楽しく感じる自分に罪悪感を覚えた。
それは恐らく、パティが抱いているのと同種の罪悪感だった。
それは……自分だけが、心置きなく幸せな日々の中で生きていることへの罪悪感。
――よくわからないけど、パティは弟と会えない。そして、弟はあまり幸せじゃないところにいる……。
それがわかっているのに、自分は幸せを満喫している……。そのことが、ヤナの心に棘のように刺さっていた。
『パティの良いお友だちになっていただきたいんですの……』
頭に響くのは、大恩人ミーアに言われた言葉だ。
今、友として、パティに言えることは何だろう……?
迷った末……ヤナは口を開いた。
「ねぇ、パティ……。パティの弟を連れて、あたしたちと一緒に行けないかな?」
「……え?」
パティが、きょとんと瞳を見開いた。
「騎馬王国、一緒に行けたら、きっとすごく楽しいと思うんだ。キリルも喜ぶし……。えっと、もちろん、あたしはパティのこと、よくわからない。パティの弟が今どうしてるかも知らない。でも、きっとミーアさまなら……なんとかしてくれる」
ヤナが言いたかったこと、それは、ミーアならばきっと助けてくれるということ。
それは、小さな希望。
ミーアに助けを求めればきっと助けてくれる……。今がどれだけ絶望的でも、明日には、明後日には幸せが訪れる。
ヤナが、友だちに伝えたかったのは、そんな希望のことだった。でも……。
「だからさ……全部、終わったら、一緒にあたしたちと……」
勇気を振り絞った言葉は、けれど、届かない。
パティは……黙ったまま小さく首を振った。
「……それは、できないの……。ごめんなさい」
返ってきたのは拒絶の言葉。
そして、ヤナは、理由を問うことができなかった。
なぜなら、パティのその顔は……なんだか、泣き出してしまいそうな、そんな顔に見えたからで……。
その様子を、ジッと見ている者がいた。
誰にも気付かれぬよう、こっそり二人の様子を観察していたのは、シュトリナだった。
パティの顔……彼女の心の動きを極めて正確に捉えたシュトリナは、そこに、かつての自分の姿を見た。
「やっぱり、あの子は……」