第四十三話 やっぱり!
ミーアは、ルヴィ、シュトリナの両星持ち公爵令嬢を伴い、観覧席を降りた。
「ふぅむ、バノスさんのところに行く前に、アンヌと合流して着替えを済ませてしまうべきかしら……? しかし、着替えてる途中でバノスさんの競技が始まってしまってもつまらないですし……どうしたものか……あら?」
などとつぶやいていると、ちょうど蛍雷にブラシをかけている慧馬の姿が見えた。
「ああ、ミーア姫か……」
ゆっくり振り返った慧馬は、実に、なんとも締まりのない顔をしていた。
「あら、どうかしましたの? 慧馬さん、なんだか、とっても楽しそうなお顔……」
「当たり前だろう? こんなに楽しい日に、楽しそうにするなというほうが無理な話だ」
ウッキウキと嬉しそうに弾みながら、慧馬は言う。
「ああ、なんだか、久しぶりに胸が高鳴る。我の中にある血がたぎるようだ。思えば、我が一族の命運がかかった馬合わせの時に、我は勝負に臨むことができなかった……」
遠い目をして、慧馬は言う。
「あの時に、この胸に溜まったモヤモヤとした気持ち……今日、晴らさせてもらおう。ふっふっふ、今の我は何物をも恐れぬ! 我と蛍雷は、走りに飢えているぞ」
獰猛な雄叫びを上げる慧馬。実に頼もしい様子に、ミーアは、ふむ、と頷き……、
「どうやら、ヒルデブラントのほうは、どうにかなりそうですわね……。あとは、バノスさんのほうか……」
っと、皇女専属近衛隊のほうに目を向けたところで、ミーアは目的の人物の姿を見つける。
「ああ……あそこにいますわね。バノスさん。ふふふ、遠くからでもすごく目立ちますわね」
「お? 帝国の馬の乗り手を見に行くのだな。では、我も共に行こう」
などと、ノリノリでついてきた慧馬だったが……バノスの隣に、ディオンの姿を見つけて、
「ひぃっ……!」
ぴょんこっと飛び上がると、すっすうっとミーアの後ろに下がる。相変わらず、ディオンのことが怖いらしい。
――まぁ、よくよく考えると、慧馬さんは、狼使いという凄腕のお兄さまがいるわけで……。そんな強さを知っているお兄さまを、遥かに上回る剣の使い手がいたら、怖がるのは仕方のないことかもしれませんわね。
ミーアは、慧馬を背中でかばってやりながら、ニッコリ笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう、バノスさん。それに、ディオンさんも来てましたのね」
「ああ、姫さん……じゃなかった。ミーア姫殿下。酷いじゃないですか、こんなに面白そうな大会に誘ってくださらないなんて」
「ふふふ、剣術大会であれば、その腕を存分に振るっていただくところですけれど……いや、ディオンさんが出てしまったら、面白くないかしら?」
「そうですな。それは、あと五年ぐらい経ったら、開催してください。たぶん、姫さんの愛しの王子殿下が、良い感じに仕上がっていそうなんでね」
などと話しをしていると、不意に、ディオンがミーアの隣に視線を向けた。
その視線の先にいたのは、シュトリナだったのだが……。
「あっ、ぅっ、でぃ、ディオン・アライア……」
なぜだろう、シュトリナは、微妙に居心地が悪そうに身じろぎした。
――あら……、慧馬さんだけじゃなくリーナさんも、ディオンさんのこと、苦手なのかしら? まぁ、よくよく考えてみれば、リーナさんは蛇の関係者……。一度は、ディオンさんと敵対した者としては、なかなか、恐怖が薄れないのかもしれませんけれど……。
ちょっぴり、心配になる。
できることならば、味方同士、仲良くしてもらいたいと思うミーアである。
「おや、イエロームーン公爵令嬢。ずいぶんとお久しぶりだ。騎馬王国以来、だったかな」
ディオンは、かしこまった礼を見せるが、シュトリナは、なぜだろう、微妙に頬が赤く染まっていた。
「リーナさん、どうかなさいましたの?」
「え? あ……ええ。いえ、別に何も……」
それから、シュトリナは、んっ、んんっ、などと喉を鳴らしてから、いつもの可憐な笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう、ディオン・アライア。相変わらず、物騒な殺気を放っているのね。可哀想に、騎馬王国のお姫さまが怯えてしまってるわ。そんな風に気遣いを欠いていると、女性に嫌われてしまうと思うけど」
チラリと慧馬を見ながら、シュトリナは言った。対して、
「ははは。また、そんな笑顔ができるようになってなによりだよ。イエロームーン公爵令嬢」
ディオンはニヤリと笑みを浮かべて返す。
「あら? リーナの笑顔に興味があるの? 二十歳以下の女性には興味がないと聞いていたけど、もしかして、移り気にも宗旨替えしたとか?」
可憐な笑みに、ちょっぴりの、からかうような色を乗せて、シュトリナが言った。
対して、ディオンは……。
「もちろん、興味はないさ。だが、どちらかというと飽きの問題でね。妙齢の貴婦人の泣き顔ならば、見ていて飽きないのかもしれないが……」
シュトリナの顔を見て、やれやれ、と首を振り……。
「泣き虫な子どもの泣き顔は見飽きるし、鑑賞にも堪えないものでね。どうせなら、ミーア姫殿下のように、愉快な慌て顔を見せてくれると飽きなくていいんだけど……」
「なっぁ!」
思わず、ムッとした顔をするシュトリナである。
そんな二人のやり取りを見ながら、ミーアは満足げに頷いた。
――ふむ、仲が悪いわけではなさそうで、ホッとし……って、あら? 今、わたくし、ちょっぴり悪口言われた……? いえ、でも、愉快というのは褒め言葉なのかしら?
思わぬ流れ矢に、ミーア、腕組みをして考え込んで……。
――うん、まぁでも、ディオンさんに不愉快と思われているよりは、愉快と思われていたほうがいいですわね。うんうん。
そう結論付ける。
なにしろミーアは、『ミーア焼き』なる庶民のお菓子を見かけても、美味しければ、まぁいいか! と思える程度には器が大きいのだ。この程度、どうということもないのである。
さて、その間にも、二人の会話は続いていた。
反撃に転じるべく、シュトリナはしばし黙考。その後、なにか思いついたのか、ちょっぴり得意げな笑顔で、何かを言おうと息を吸って……。
「なるほど、これが、リーナちゃんの若かりし日の恋模様なんですね……」
直後、後ろから聞こえた声に、ひゃっ! っと悲鳴を上げた。
「なっ、べっ、ベルちゃん? どっ、どうして? いつから?」
狼狽えた様子のシュトリナに、ベルは小さく胸を張り……。
「休憩になって、ミーアお姉さまたちが降りてきたのが見えたから、みんなで来たんです。けど……」
それから、とっても嬉しそうな顔で言った。
「よかった。ボク、安心しました。やっぱり、リーナちゃん、ディオン将軍と……」
「ちっ、違う。違うのよ、ベルちゃん。リーナは……ええと……」
慌ててなにか言おうとするシュトリナに、ベルはペラペラ手を振りながら、
「うふふ、いいんですよ。リーナちゃん。大丈夫。ボク、わかってますから……」
ぽむぽむとシュトリナの肩を叩きながら、ベルは優しい笑みを浮かべる。
そんなベルの顔を見て、シュトリナは声にならない悲鳴を上げるのだった。